05:ミルクピースの行方


 廃ビルの一室に入り、鍵をかける。へなへなと地面に倒れこむと、黙って抱きかかえられていた小谷がアールグレイから降りようとした。

「……降ろして」

「でも怪我していますよ?」

「いいから降ろして!!」

 強く言われて、アールグレイはそっと小谷を降ろした。小谷はきゅっと下唇を噛んだままキッと二人を睨んだ。

「あの人たちは何? 手越君たちの知り合いなの? 何で私捕まりかけたの?」

「そ、それは」

「あぁ、俺の名前を呼んでくれる小谷かわいい」

「え」

「話がややこしくなるから、黙っていてください」

 こほんとアールグレイが咳ばらいをした。

「僕とあいつらは同じ未来からやってきました。僕はあなた達を守るため、あいつらはあなた達を廃人にするため」

「それよ、それ」

 小谷は苛立たし気に声を荒げる。

「何で殺しに、じゃないの? 何でわざわざ廃人なのよ、精神的に追いやられる理由がわからないわ」

「未来の人間が過去の人間を殺せば、自分の存在を消しかねません。だから、やつらは存在自体を消すのではなく、何もできなくさせようと思ったようです」

「わけわかんないわ!! どこの宗教よ!!」

「……それが普通の反応ですね」

 小谷は苛立たし気に頭を掻きむしる。それはアールグレイの先ほどの姿に似ていた。

「……小谷と小谷に似た青年のツーショット、いいな。一枚ほしい」

「え」

「ドン引きしている小谷も可愛い」

「もうずっと黙っていてください」

 キラキラしている目を自分に向けてくる連に、小谷は目をそらした。

「て、手越君は信じるの? こんな無茶苦茶な話」

「ん? いや心底信じてるわけじゃないけどさ。でも自分や小谷にかかわる事だろ? だから信じてる設定にしてる」

「……わけわかんないわ」

 ぽろっと小谷の目から涙がこぼれた。そして限界だったのだろう、がくんと崩れ落ちる。

「もういや、何? これは夢? 夢よね? だって頭おかしいことしか起こってないもの。私が一体何をしたっていうの? いつも通り交信しにきただけなのに!」

「小谷……」

 泣き叫ぶことで、小谷は必至に壊れまいとしている。

「これもそれも、早く迎えに来てくれないからよ……私なんて、私なんて……!」

(この状況を受け入れられている俺がおかしいんだろうか)

 ふとアールグレイの方を見るが、彼も暗い顔をしている。

(……あの男達を、アールグレイはどうするつもりなんだろ。殺す? そんなのできないだろ、コイツに。だって犯罪だ。タイムスリップするのに死に物狂いで資格を取るようなやつが、罪を犯すわけがない)

 ならば、相手が諦めるまで逃げ続けるしかないのだろうか。

(そもそも、あの男達は殺さないで俺達をどうやって廃人にするつもりなんだ?)

 ふと、マンガで生きたまま手足の生爪を一枚ずつゆっくりとはがしていく拷問を思い出す。

(あぁ、そうか。生きたまま拷問して、ゆっくりと心を殺していくつもりなんだ)

 待っているのは殺人か、自分たちの発狂か。どちらにしても暗い未来しかない。

(それなのに、何故俺は絶望しないんだろう。まだ心のどこかでどうにかなると思っている自分がいる)

 相手が二人しかいないと思っているから? 増援が来る可能性だってあるのに。楽観的すぎるのだろうか? 単なる諦めが悪いのか。

「まったく、どの時代の君も絶望とやらを感じないから、おもしろくない。君のミルクピースはあの瞬間にしか集められないね」

「うを!?」

 突如背後から声がして、連は飛びずさった。二人もぎょっとして黙ってその人物を見つめている。

 鼻先まで覆った白いマフラーに白髪のもこもことした癖のある髪、そして白く濁った瞳は不気味だ。身長は小谷の腰ぐらいまでしかない、小さな少女だ。

「子供?」

「誰だお前、いつの間に」

 目元をにぃと歪めて、嬉しそうに少女は連を見つめている。

「君たちの目的は、彼女のミルクピースを守ることだったね」

「あぁ……もしかして、お前がミルク?」

「いかにも」

 こんな小さな少女が? と連がつま先から頭のてっぺんまで無遠慮に見ていると、ミルクは連を指さした。

「君のミルクピースは実に美しかった。だから、今すぐ絶望してごらん。そうしたらどちらかのミルクピースは返してあげよう」

(ん? 何? どういうこと? もうすでに小谷のミルクピースは奪われているってこと? いや、どちらかのっていうことは三人の内、二人は奪われているってことだよな。いつだよ)

 少女はニタニタと目元だけ笑っている。

(……俺が奪われている可能性はないな。だって、コイツはさっき俺のミルクピースが奪えるのはあの瞬間だけとか言ってたし。いつか知らんけど)

 すぅっと深呼吸をして、連はにっと笑った。

「絶望、絶望ね。絶望、任せろよ」

 うーんと考えるが、何も浮かばない。助けを求めるように二人を見るが、首を横に振られた。

「だめだ、どうしたら絶望できるんだ、わからん!」

「ははは、もう降参か。まぁ、どのみち今の小谷美亜のミルクピースは現段階では手元にないのだがね」

「は? 意味わかるように言えよ」

「私は時に縛られない、世界線にもだ。ただミルクピースが剥がれ落ちるその時にだけ現れる」

「なんだよそれ、まるで今この瞬間、俺達の内の誰かのミルクピースが剥がれ落ちるみたいな言い方――」

 そこまで言って、はっと後ろのドアを見る。おそらく、もうすぐにこの部屋に男が入ってきて自分達は心を壊されるのだろう。そしてミルクピースのみならず、心毎全てのピースをバラバラにされ、生きながら死を迎えるのだ。

「い、嫌だ、そんなの嫌だ!」

「ミルクピースがかちっとはまった時、それはそれは美しいモノが現れる。人の心とは美しいものなのだ。私はそれを見るのが好きだ。だから、お前が壊れるのは見たくはない」

 少女はすっと連を指さした。

「だから、お前に味方してやろう。性質上、本人以外にミルクピースを渡すことはできんが、失くした瞬間には連れていける」

「は?」

 少女の目が鳶色に変わったかと思った瞬間、鳩尾を殴られたような衝撃に襲われた。

「うっわ!?」

 ぐわんぐわんと頭を金盥で殴られたような衝撃、そして体から魂が飛び出したような浮遊感。

「わぁぁぁぁ!!?」

 はっと気づいたときには、連は山奥にいた。

「は、どこだよここ……夢か?」

 あたりは暗く、月だけが頼りだ。

「……どうして?」

 ふと、聞き覚えのある声がした。

(あれは……小谷?)

 声のした方を見ると、少し開けた場所で女性が月を見上げていた。泣いているのだろう、きらっと目元が輝いた。

(あれ、小谷だ。でも、ちょっと大人っぽいような)

 どうみても、大学生ぐらいに見える。ドキドキしながら見ていると、小谷は泣きながら嗚咽を漏らしていた。

「ひっく、ひっ、う、うぅ、どうして? どうして迎えに来てくれないの? 一度だって交信に成功したことない! 地上に私なんかの居場所はないのに!! どうして!? 助けてよ!! もう私なんて生きてたって仕方がない!!」

 わぁぁと泣きながら崩れ落ちた。その時、小谷の胸からぱぁんと真っ白なパズルのピースが飛び出してきた。

(あ、あれがミルクピース!?)

 月明かりに反射してキラキラと輝くパズルのピースは、絶望に反比例して美しい。そして小谷の純真のパズルはもう崩れ落ちる寸前だった。

(小谷、ずっと、ずっと苦しかったんだ。それでも宇宙人の存在を信じてがんばってきたんだ、そんな一体お前になにがあったんだ!!)

 もう何も考えられなかった。

「こ、小谷ぃぃ!!」

 気づくと、連は走り出していた。そしてそのピースを掴み、胸へと押し戻す。

 カチリ

 純真のパズルへと戻されたミルクピースは輝きを放ちながら、カチリカチリと崩れかけていた心を戻していく。そしてすべてがかっちりとはまった時、連の目の前に音も何もない暗黒の世界が広がった。

(な、なんだこれ!? い、息が)

 体は空中に浮いている。空中には小さな石の礫のようなものが飛び交っている。そして振り返った瞬間、テレビで見るよりも美しい、青い地球が見えた。

(宇宙だ、小谷の純真はまさしく宇宙なんだ)

「え、手越、君?」

 突然現れた連に小谷は戸惑っている。

「あ、いや、えっと」

 現実に引き戻され、胸に手を当てていることに気づいて慌てて離す。

(あんな暗く重たい世界の中に地球だけが美しく輝いていた、お前の宇宙は、いやお前の母星は地球だとちゃんとわかってるんだな)

 何かぐっと込み上げるものが来て、連は眉間の皺の間に人差し指をぎゅっと当てた。そしてばっと顔を上げ、小谷を食い入るように見つめ、口を開いた。

「お前の居場所は俺が作るから! だからそんな寂しいこと言うなよ!! 交信、俺も手伝ってやる!!」

「え? えぇ?」

 連は小谷の手を掴み、立ち上がらせる。そして両手を掴んで向かい合った。

「あ、あの」

「交信やるぞ、ほら目をつむって」

「う、うん」

 連の有無を言わせない雰囲気に飲み込まれて、小谷は黙って目をつむった。

「えージンルイミナキョウダイ、ないすつぅーみーつぅー」

「何故片言」

「いいから」

 二人で目をつむって空に向かって交信する。するとザザっという音がした。

【ん? 日本語? 英語? どっちだ?】

【わからん、たぶん子供じゃないのか? 発音がヘタクソすぎる】

 機械の音声のような声が、頭に響く。

「い、今のって……」

「な、ないすとぅーみーつぅー! アイムレン!!」

【日本人だな、たぶん。発音が中学生レベルだ】

 二人は喜びにじわぁと涙を流し、お互い抱き合った。



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