アビス・プラント6

 壁に背中から叩きつけられて、なのに痛みを感じないのは、やはり死んでるからだろう。


 ヒニアはぼんやりと思いながらも、その目は激突の瞬間を見ていた。


 押し負けたのは球体、チョーワール、渾身の一撃を弾かれ、なお迫る斬撃に、反応などできるはずはなかった。


 代わりに動いたのがデュラハンたちだった。


 どこからか這い出て、欠けた手足で駆けつけるや重なりあって壁となった。


 人数までは数え切れてないけれどかなりの人数が厚みを作り、だけど結局切り飛ばされた。


 押し切るに近い切断面で散らばる肉体、それでも殺し切れなかった威力が、壁を引き裂き、外より海水を引き入れていた。


 大きく揺らぐ床、島そのものが傾むいたような揺れ、その中で、チョーワールは立ち上がった。


「まだだ!!!」


 腹の底から吐き出すような忿怒の絶叫、だけど吐き出す口からは歯が欠け、片目は潰れ、右腕はだらりと垂れて、見える指はバキバキに折れているようだった。


 それでも怒りを燃料に、折れたサーベルを持ち直し、まるで獣のようにクラクへと突進する。


 対するクラク、体は無事に見えた。


 だけど無事ではない。体を折り曲げ、刀を落とし、口から透明な粘液を、続いて粘つく血液を、吐き出した。


 ふらつく足、定まらない焦点、完全に限界を迎えたクラクの姿に、気がつけばヒニアは走り出してた。


 何を、どうして、どのように、何も考えられないまま、ただただクラクの元へ、駆け出していた。


 だけど間に合わなかった。


「死ねぇ!!!」


 シンプルな殺意の言葉と共に飛びかかったチョーワール、折れたサーベルで殴りかかる。


 これに、クラクは弱々しいながらも腕を振るい、弾いていなした。


 だけどそれだけ、ぺたんと尻餅をついて、そして腕も落ちて、クラクはただ笑うだけになった。


 絶好、隙だらけ、今なら殺せるクラクを前に、だけどチョーワールも動きを止めた。


 その目が見てるのはクラクではなく、己の左手、サーベルを持つ手、そして今し方クラクに弾かれた手だった。


 そこに、黒いシミができた。


 ヒニアには見覚えのあるシミだった。


 それは動いて、広がって、そして厚みまで持ち始めた。


 侵食だった。


 絶叫が響く。


「初めから、こっちにしときゃ良かったな」


 絶叫の中、のんびりと、クラクが言う。


報復乃宴ほうふくのうたげ沁入病しみいるやまい、数はざっと六千、弾丸の二十倍だ。ま、苦しめ』


 それが合図のようにチョーワールがサーベルを取りこぼす。


 もう右手は指まで黒く染まり、それが、縮んだ。


 曲げたのではない。ミチリと、ストローを包む紙が剥がされた時のように、シワを寄せて長さが半分に、太さは倍に、短く太く、押しつぶされていく。


 どれほどの力がかかっているか、ヒニアには想像できない。


 だけど痛みは、想像できてしまった。


 縮まる腕を振り回し、痛みから、侵食から逃れようともがくチョーワール、だけど押さえた左手にも侵食が移り、縮まりが二倍速となる。


 そして腕が、肩まで縮まり、あとはあっという間に全身を覆うと、絶叫ごと呑み込んで、黒い球体にまで押し潰されて、チョーワールは死んだ。


 ◇


 ……黒がクラクに戻っていく。


 黒く燻る髑髏たち、歩くもの、這いずるもの、引き摺られるもの、吸い寄せられるもの、続々と集まり、重なりながら、クラクの影へ、その身へ、取り込まれていく。


 次に黒い靄、侵食の黒、チョーワールからだけでなく天井から、地上からも、まるで砂塵のように降り注ぎ、クラクへとまた取り込まれていく。


 それらは全て静寂の中で行われている。


 まるで映画のエンディング、スタッフロールが流れて席を立つタイミングだろう。


 だけど、次に現れた姿たちに、ヒニアは、胸を締め付けられた。


 知らない顔、知らない顔、知ってる顔、見覚えのある顔、そしてさっき見た顔、半透明で頭と体をつなぐ首がモヤモヤしてるのは、水槽の中に浮かんでいた人たちだった。


 あの騒動で生命維持装置が壊され、死ねた人たち、だから霊体となって、現れた。


 ……その顔は、今までヒニアには見せたことのない、憎悪の表情だった。


「復讐したいだろ?」


 クラクが言う。


「知らないやつもいるなら教えてやる。お前らの主人さまはこの島を捨てた。悪事の抹消にあいつら雇ってな。そして口封じにお前らは残された。水槽入りは、後始末組へのボーナスだ。ついでってやつだよ」


 クラクの言葉は、煽っていた。


 怒りを、悲しみを、悔しさを、そして憎しみを、まるで悪魔のように、誘っていた。


 そこに、ヒニアは惹かれた。


 もう、ヒニアも死んでいる。殺されている。


 今更否定するつもりはない。


 だけどそれを、誰にも知られずに、やった黒幕がのうのうと生きて、終わるなんて、許せるわけがなかった。


 初めてヒニアは、この体になって、痛みを感じた。


 ……そんなヒニアたちに、クラクは手を差し出した。


「さぁ、こっちに来い。成仏するよりも、悪霊になるよりも、俺に使われた方が遥かに復讐の確率は高いぞ」


 ……誘いに、一人、また一人とまた前に出る。


 そしてクラクへと取り込まれ、姿を消していく。


 みんな歓喜していた。


 やれる、やり返せる。


 憎しみをぶつける術を見つけ、みな邪悪に笑いながら、クラクへ、クラクへ、進んで、消えていった。


 …………そしてヒニアが最後に残った。


 もう海水は膝を超え、腰に届く深さ、時間がない。


 ない中で、クラクは今までに見せたことのない笑顔で、ヒニアに手を差し出した。


「さぁ」


 差し出されたその手に、ヒニアは手を伸ばした。


 だけど、その手は、血だらけで、傷だらけで、あざだらけで、ボロボロだった。


 これが、復讐するものの手だった。


 その手に、ヒニアは………………

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