ナチュラル・サンクチュアリ5

 緑螺子真拳の神髄は骨にあった。


 骨折を前提とした鍛錬により関節ではなく骨自体を硬質化し、同時に柔軟性を持たせることで、通常ではありえない角度まで捻じることができる。


 度重なる捻じれは内出血を起こし、そこへ過度な遠心力が加わることで血液が分離し、肌が緑に変色する。これが緑螺子真拳の由来だった。


 捻瑠が緑螺子真拳の奥義を極め、正当伝承者となったのは齢九十の時、皮肉か運命か、常闇の時代の始まりと同じ年だった。


 溢れる闇、暴れる悪、未知の脅威に、それでも彼ら緑螺子真拳門下は人知れず、死力を尽くして戦った。


 ……そして、完全敗北した。


 相手はケモノ狂人クルイ深淵ナラカ、時にはただの人間の前に門下生は次々と敗れ、無様に死んだ。


 ただ一人、生き残った捻瑠には絶望だけが残った。


 それは門下生が全滅したことにではない、己の信じてきた緑螺子真拳が、常闇の時代の前ではあまりにも無力だった事実が、捻瑠を絶望させた。


 自死をも考える捻瑠に、手を差し伸べたのが封印の騎士団だった。


 単体では力不足でも、予備の武器としてなら有用だ。


 事実を述べただけの提案に心を抉られながらも、それでも何か生きた証をと、捻瑠は縋りついた。


 こうして緑螺子道場が誕生した。


 当初は、その破壊力に門下生も多かったが、その鍛錬の厳しさからほとんどが脱落した。


 残ったのは素質のない、それでもあきらめの悪いゴミばかりだった。


 こんなものしか残らない。その程度の力しか、緑螺子真拳にはない。


 まだ二つしかなかった捻瑠の目には、希望よりも絶望ばかりが、残り育った門下生よりも、残らなかった脱落者ばかりが映った。


 転機は、ある日の夢だった。


 やたらとリアルな通販番組を見ているような夢だった。


 同種の生物に限り、体の一部、あるいは全てを合成し、免疫機能や医学生物学を超えて新たな姿に作り変える、常闇の時代でも解明できないアーティファクト、値段は騎士団の機密情報だけ、お手頃価格だった。


 捻瑠は迷わず、騎士団を裏切りった。あらん限りの機密情報をぶちまけて、そのアーティファクトへと手を伸ばした。


 夢から目覚めたその手には、現実にアーティファクトがあった。


 ……堕ちてからは早かった。


 ◇


 捻瑠にとって門下生は、アーティファクトのための材料を集める道具であり、己の体を作る前に行った練習でしかなく、そうでなくとも最初から情など欠片も持ち合わせてなかった。


 それが無意識のうちに、捻瑠の視野より、その姿を眩ませていた。


 だから周囲で門下生たちが流れ弾に当たり、傷つこうとも、気にすることなく、まさに眼中にない状態で戦っていた。


 それが、見落としだった。


 ほんの少しの間、目を離した隙に、異形の門下生たちは、弾痕より這い出た黒に侵食され、これまでとは異なる異形になっていた。。


 それが何なのか、初見の捻瑠に知る由もないが、それでも乏しい俗世の知識から、それらをゾンビと想像した。


 そしてゾンビらしく、侵食されたものはされていない物へ襲い掛かり、侵食を広げて、気が付けば捻瑠は元門下生たちに囲まれていた。


「使えぬ馬鹿どもよ」


 発した言葉は本心からの罵声、その真意まで伝わったかは不明だが、きっかけに、ゾンビたちが一斉に襲い掛かった。


「なめるな!」


 全方位死角なく、捻瑠は拳を振るった。


『蔓巻』『羽笠』『前舞』『離射弩』『打円』初歩から上位まで、緑螺子真拳の持てる技を遺憾なく発揮し、ゾンビを打ち倒してゆく。


 所詮は門下生、しかも技も忘れたゴミ以下のゴミ、数集まろうとも赤子の首を捻じ切る程度の労力で殺せた。


 殺しながらも、捻瑠はクラクから目を放さなかった。


 これは目くらまし、新の狙いは他にある。


 見極めようと見つめる先で、クラクは刀で偽物の木を切り倒していた。


 空洞の切断面を見せるプラスチック、そこから枝を切り落とすや、無造作に投げつけてきた。


 放物線を描き、ゴミを超えて落ちてくる軽い枝、ただの嫌がらせと見て取った。


 だが、またも見逃した。


 そのプラスチックは空中で燻ると、青く燃え始めたのだった。


 炎は熱い。


 幼稚な思考しかできない捻瑠に回避はできなかった。


 それでも右手を掲げて防御の姿勢、同時に捻り、『旋万せんばん』を試みた。


 ビシャリ。


 腕で受けることはできた。だが、捻瑠はプラスチックが高温で熔けることを忘れていた。


 結果、燃えるプラスチックは弾けず飛び散り、より広範囲に、捻瑠の体を覆うように燃え広がった。


 目に染みる激痛、焼き尽くされる。何とか逃れようと瞬きを施し、体中から涙を絞り出す。


 だが視野が濁っていく。細かく傷ついた角膜に冷えて固まったプラスチックの欠片が膜となって張り付き、次々と眼球からクリアな視界が失われていく。


 大ダメージ、それでも何とか鎮火した捻瑠の眼前に、新たな青い炎が燃え上がる。


 切り倒された偽物の木だ。その葉が燃え盛り、膨大な大気汚染と共に青く燃え光る雫を雨がごとく滴らせていた。


 それを両手で掲げるクラクは、雫を避けながら、巨大な松明にその顔を照らし出した。


「完成のため、その目をよこせ」


 静かに響く一言が捻瑠の感情を逆撫でした。


「貴様ぁ!」


 激昂の声で叫び返す捻瑠、それへの返事か、クラクは無言で囲うゾンビもろとも捻瑠目掛けて振り下ろした。


「うがああああああああああああ!!!」


 燃えるスコールに、燃え溶ける打撃、ゾンビもろとの捻瑠の全身が青い炎に包まれる。


 超越し難い灼熱、緑螺子真拳でどうにかできる範囲を超えた。


 捻瑠、逃げるため、地を蹴る。


 だが滑って不発に終わった。


 転んだ拍子に飛び散る感覚、足元の人工芝、高温に液状化していた。


 その上に無様に倒れ、それでも足掻き、だけども立つこともできず、逆に足掻いて飛び散った雫が今度は気化して、空気と混ざって、よりよく燃えた。


 生きながらの火葬だった。


 最早全身の眼球は既に光を失っている。中の水晶液を沸騰させ、内より爆ぜて消え、空いた眼窩より炎が入り込み、捻瑠の体は内より焙られた。


 肉だけでなく骨まで十分火が通って、捻瑠は死んだ。


 亡骸を新たな薪に、大炎上となった。


 世界の終わりを連想させる火柱を前に、人知れずヒニアは腰を抜かし、クラクは足りぬとばかりにタバコを吹かした。


 この島始まって以来の大災害、中で燃えて踊る異形たち、地獄のような光景に、生き残ったクラクとヒニア、二人には何の言葉はなかった。


 ……ほどなくして、木の中に隠されていたスプリンクラーが動き出した。


 どこからくみ上げてきたのか、豊富な水量が降り注ぐとあっという間に青い炎を鎮火させた。


 跡には、焼けて溶けて冷えて固まったプラスチックが、墓標のように並んでいた。

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