第7話 王女・ライラ

 ✧ ✧ ✧


 王の庭から離れた、王城の西の庭まで行くと、白い鷹が止まる木があった。木の側には、二人の若い騎士と侍女が数名立っている。プロクスたちに気付くと、一同に壁まで下がった。


「ウェールス! あの二人はまだ子供ではないか」

「落ち着いて。十六と二十で、成人しています。あなたが訓練したのでしょう。それに周りの壁にも蜘蛛みたいに騎士がくっついているでしょう」

「そうだったか」


 プロクスはルーナの木の元へ向かう。そこには、こちらに背中を向けた黒髪の子供が座っていた。膝の上に本を置いているが、果たして読んでいるのかどうか。


「ライラ」


 黒髪の子供が、顔を上げる。その右目の瞳は、【夜】を顕わにしていた。その中にプロクスは映らず、茶色の左目に姿を映す。

 王と王妃には似てもにつかぬ容姿。その眼差しだけが力強い。髪を耳の下で切りそろえ、まるで男の子のようにも思える容姿だが、彼女は十三歳の乙女だった。しかしドレスではなく、動きやすく飾りのない服装を身につけている。


「よく戻った、プロクス」


 ライラは微笑んだ。その笑みに誘われるように、プロクスは彼女の横に座る。


「今は何の本を?」

「父上がくださった『妖精物語』を」

「それは良い。古代ルルフ語でお読みか。さすが私の生徒だ」

「でも、時々翻訳が難しいところがある」

「見てみましょうか」


 二人の和やかなやりとりを、騎士たちは微笑みながら見守る。この二人の授業は、大体が心地よい外で行なわれる。

 ウェールスは、楽しそうなライラの様子を見ながら、胸を痛める。王妃とライラ王女もこのような関係であったら、と。


「そうだ、ライラ。贈り物があります」

「なんだ?」


 熱心に文字を追っていたライラが、きょとんと顔を上げた。プロクスは白い小さな小箱を開けた。中には、銀細工の燕のブローチがある。ライラはそれを見て目を輝かせた。


「父上の誕生日祝いに、晩餐会が開かれるでしょう? その時に身につけるものを、と」

「ありがとう……ありがとう、プロクス」


 ライラは早速胸にブローチを付けた。


「燕だね。どうだ、似合うか?」


 ライラは立ち上がり、壁にいる侍女と騎士にそれを見せた。皆優しく笑い、頷く。


「よく似合っている、ライラ」


 プロクスは片膝をついてライラを見上げる。そして、彼女の手を取り口づけた。

 その姿を見、侍女たちは満足げに視線を交わした。

 騎士王であるプロクス=ハイキングが忠誠を誓うのは、王とその後継のみ。いくら妨害があろうと、騎士王がそうだと認めたならば、ライラの将来は安泰だった。


「晩餐会には、お前も出るのだろうな?」

「お側におります」


 そう言うと、ライラは安心したように一息ついた。


「心強いぞ。お前を頼りにしている」

「はい、私は王女の忠実な下僕。あなたの剣、そして盾。忠誠を誓います」


 ライラは力強く頷いた。

 ――黒い鷹、ライラ王女。

 彼女が次代のサンクトランティッド帝国の宗主となる娘だった。


 ✧ ✧ ✧


 ライラと別れ、プロクスとウェールスは続いて大年会に向かった。


「バージニアとライラの仲は相変わらずのようだな」

「……王妃は、シエル王子ばかりを側に置かれます。それに、シエル王子にライラ王女を近づけさせません。王も気づいておられますが、王が王女を呼ぶと、王妃の機嫌を損ねて侍女に被害が」


 ウェールスは今日何度目かわからないため息をついた。


「彼女は美しいだろう、ウェールス?」

「はい、我が妻を抜きにすれば」

「正直者め。シュトレオン侯爵はその後王妃に接触したか?」

「監視させております」

「くれぐれも誘惑させるな。あの子にも困ったものだ。年々益々美しくなる。結婚してもなお、――王妃になっても、彼女に群がる虫共が多い」


 オリオン王は病気で政治の場にいない。もう少し彼女が賢くあれば、とは二人とも口にしなかった。

 美しいバージニアを巡り、かつて多くの男たちが決闘を行なった。選ばれず、自死した者までいたほどだったが、彼女は結果的に王太子妃となった。シュトレオン侯爵は彼女の従兄に当たる。


「それで、先日お二人は言い争いを。どうやら、侯爵との噂を聞きつけたようで」


 プロクスは仮面の下で呻いた。


「ライラ様に、どうしてあのような言葉を吐けるのか。聞きたいですか」

「また言ったか」


 ――あの忌々しい女の生まれ変わり。


 黒髪の子が生まれて、バージニアは「夫と自分に似ていない」とすぐに長女を遠ざけた。王にはかつて、黒髪の美しい恋人がいた。近衛騎士団に所属していた若い娘で、王の従姉だった。公国騎士団長として公国に降った後、妖魔との戦いで命を落としたのだ。


「血を分けた娘なのに」


 娘を溺愛するウェールスからすれば、王妃の行動は理解し難い。


「あの意思の強い目に、黒髪。あれはアトラス=ハイキングのものだ。恥じることはない」

「そうなのですね。さすがお詳しい」

「たくさん肖像画が残っているからな」


 長い廊下の果て、見上げるほど大きな扉が開く。

 奥に向かって長い、口の字型に置かれた長机の前に座り談笑していた面々は、プロクスらの姿を認めると、一斉に立ち上がった。

 騎士王たるプロクスが現れたことで、その場は一瞬静まりかえった。

 一番上座の、美しい青と白のステンドグラスがはめられた壁を背景に、プロクスは静かに椅子に腰掛けた。その左手側には、近衛騎士団長のウェールスが座る。彼が今回の会議の主催であり進行役で、プロクスは相談役だった。


 正面から入って右手の長机の上座には、白蹄騎士団長ジークバルトと、背後に副団長ルナール・ガーフェス。ジークバルトとは違い、野性的で荒々しく、くすんだ金髪と空色の目をしていた。


 その隣の席には、帝都の東を守る青烏騎士団団長ツェルカ=アイン・エメットと、背後に副団長アスファル・ランビール。ツェルカは黒髪に灰色の瞳、落ち着いた中年の女性で、アスファは栗色の髪に、明るい鳶色の瞳が印象的な男だ。


 その向かい、左側の長机には政務官・神官が座る。が、ぽつぽつと空席が見られた。


「ウェールス。神殿に連絡したよな?」

「もちろんです。神官長殿には一ヶ月前から通知を」


 プロクスは、神経質な神官長にしては珍しいと思い、首を傾げた。

 そうしてこそこそとしゃべる二人を静かに見るのが、四大侯爵家の筆頭・グラウクス家当主・セリウスだ。彼はふわふわの雪のような髪に、鈍い鋼の瞳をしている。彼のクセなのか、鼻の下の綺麗に整えられた三日月型の髭を時々ひねるように触っていた。

 彼は王家の世話係であり、歴代の宰相を輩出した名家の出身。常に眉間に皺を寄せた厳しい表情をしており、彼の笑ったところを見た者はほとんどいない。王に対する忠誠心は非常に厚い。現在、国王に代わり政権を率いているのは彼である。

 その隣は、同じく侯爵家であり、神官と共に儀礼を取り仕切るシュトレオン家が座る。王妃の実家であり、現在の当主は彼女の従兄のベリウスである。彼もまた神官であったが、自分の上司よりも先に座っていた。

 彼は将来、本殿の神官長になると噂されている。三十代後半、白金の髪に青い目の非常に甘い顔立ちをしており、周囲をどこかおもしろがるような表情を浮かべていた。


 プロクスは、先日王妃が彼と密会していたと聞いた後だったので、彼にいろいろ思うところがあった。ベリウスは神官でありながら、女性の噂が絶えない人物だった。

 彼女はさらに視線を巡らす。

 下座の四席には公国騎士団長が座っている――はずだったが、一席だけ副団長が座っていた。


「グラナート公国騎士団副団長、クリードよ。団長はどうした?」


 議長であるウェールスが問う。


「申し訳ありません。団長は急病で、私が出席せよと命じられました」


 グラナートは広大な国であり、副団長は複数いる。クリードはまだ二十代だろう、この部屋の中では随分浮いていた。そして、背後に控えている騎士も若い。幹部会議では、団長の隣に副団長が付くのが慣わしだった。

 グラナートには、プロクスの弟子のテルーがいる。彼女の様子を聞きたかったプロクスは、少し拍子抜けした気分だった。

 そんなプロクスを、軍幹部たちはかすめるように見ていた。彼らの多くはプロクスが現役だった頃の活躍を知ってはいたが、今や騎士王は古き時代の遺物という認識だ。

 農民の乗り物とされるロバに乗って城に来たこともあるロバの騎士様は、物笑いの種だった。そして、最強の武器である雷蹄を持つというのも、眉唾ではないかと疑われている。この場にいる者で、その剣が振るわれるのを見た者がいないのも、その噂に拍車を掛けていた。


「そういえば、氷壁前でバニャニャ食べたのだ。美味しかったよ」

「あなたはまたそんなことを……変なものを食べちゃいけないってあれほど言ってますでしょうに」


 小さな声で騎士王と近衛騎士団長が話しているが、周りの者は耳聡い。こんな呆けた老人に敬意を払う近衛騎士団長は哀れだと思う者もいる。

 そして、皆は残りの席にやって来るだろう人物を待ち受ける。いつも会議には代理ばかり寄越す「彼」が、果たして騎士王がいる会議にはやって来るだろうか。


「――随分賑やかなことだ」


 響き渡った美声に、一瞬にして空間に緊張が走る。


 初めて彼の姿を見たと思しき公国騎士団は、「彼」の異形にぎょっと目を見開く。彼が来るとは思っていなかったウェールスもまた、思わず息をのんだ。

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