第8話 弟子・イオダス

「神鹿軍団長、イオダス・サージェス閣下……」


 背筋をぐっと伸ばした彼の横で、プロクスもうたた寝していたところぼんやり目を覚まして彼を見た。


 彼は、首から下は人の形をしている。つるりとした黒い皮革の服。だが、その顔は黒い鏡のような玉の顔。目、鼻、口、耳といった部位は全く見えない。それを支える首元は、人の手が無数に頭を支えるような、不気味な襟で飾られている。彼は長いローブの裾を優雅に擦りながら、歩みを進める。部屋にいた神殿兵は、すぐに直立不動の敬意を払う。その動きは美しく統一されていた。


 神鹿軍とは、国中にある神殿を守護する兵団――神殿兵の属する軍のことである。その数は大規模であり、軍団という呼称が付く。神官が身にまとう赤と同じマントを身につけることから、赤の兵団と呼ばれる。

 神官や多数の兵士・魔術師を統括する軍団長である彼は、その異形から黒真珠と呼ばれた。そして、部屋の上座にいる「ロバ騎士」こと騎士王であるプロクスの弟子である。


 彼と共に現われたのは、数千ともなる神官の頂点に立つ大神官のゴルダ。黒の詰襟の長衣に金の数珠をぶら下げ、深紅のマントを羽織る。

 齢九十ともなる彼の顔には無数の皺、背筋を伸ばし歩く様は迫力があるが、空のように青い瞳は優しい。彼の背後には二人の侍従がつき従う。そして、ゴルダは入って左側の一番上座の席に座った。

 その彼の後に続いたのが、神殿騎士のジャーダ・ソルである。彼は伯爵であり、代々神殿兵を輩出してきたソル家の当主。黒髪で、ソル家特有の【緑のヘル・アイ】が強烈な印象を与える。


 騎士王の横に、イオダスがやってくる。黒真珠の顔には、何者も映っていないように見えた。だがその実、彼は部屋に入ってきた時から、ただ一点、騎士王プロクス=ハイキングを見つめ続けていた。

 イオダスは膝をつき、師であるプロクスの右手の甲に口づける。その一連の動作はとても自然で、なおかつ絵になりそうなほど美しい。

 騎士たちは驚く。誰にも屈さぬ矜持の持ち主が、「ロバ騎士」に敬意を払うことに。

 イオダスは顔を上げると、鋭く声を掛ける。


「随分とたるんだ空気だ。軍の規律は一体どうなっているのだ?」


 一瞬にしてその場が静まりかえる。


「現在、王立軍は将軍不在とはいえ、汝らはそれぞれの隊の長であろう。自らを律することを覚えよ」


 イオダスが椅子に座ると、大きな男二人に挟まれた騎士王は、ますます小さく見えた。

 それでは、とウェールスが会議を始めようとした時だった。


「グラナート公国騎士団は、なぜ団長が来ていない?」


 イオダスは去った話題をぶり返した。それに対し、クリードは再び急病で、と言う。


「また一族の悪い癖が出たのではなかろうな」


 その言葉に、無表情だったクリードの顔が青ざめた。部屋に、不穏な空気が漂う。

 プロクスは先程から微動だにしない。ひた、とクリードに再び顔を向けた。そこに自分の姿が映り込んだのを見たクリードの額から、玉の汗が浮かんだ。


「グラナート公国は、今すぐ団長を帝都に寄越し、欠席の申し開きをせよ。恐れ多くも騎士王が出席する幹部会議に、青臭い兵士の出席は許さぬ。下がれ」


 低く、脅しつけるようなイオダスの声に、クリードはいよいよ顔を真っ白にして立ち上がり、一礼すると部屋を出た。ガチャガチャと、廊下を足早に駆ける音がしばし響いた。

 それが消えるのを待たず、イオダスの矛先は続いて会議の主催者に向かう。


「ウェールス・ランサー。くれぐれも、騎士王の地位を貶めるような言動は慎むが良い。騎士王の時間を無駄にするな」

「……気をつけます」


 ウェールスは静かに頭を下げた。

 それ以降、プロクスの隣に座ったイオダスは何も発言しなかった。プロクスも同様だった。

 会議は最初を除き、滞りなく終わったのだった。



 ✧ ✧ ✧



「空気最悪だったね」


 ルーカスが正直に言った。彼は会議室の隅にずっと控えており、軍人がプロクスを影で嘲笑するのをじっと拳を握りしめて聞いていた。

 そして現れたイオダスに、さらに会議室の空気は緊張感に満ちたものになった。


「でも、イオダスの言うことも一理ある。王立軍は緊張が足りない。将軍不在の軍だ。会議室にいた神殿兵の統率は見事だった」


 私のせいだな、とプロクスは思う。【騎士王】は名誉職だ。それ故、あまり王立軍に介入することは避けていた。だが、将軍という軍を統率する存在がいない現在、プロクスがその役目を担うべきだった。


「タルナーダが亡くなって十年か……」


 プロクスは城にある自室に休憩に立ち寄っていた。歴代の騎士王が代々受け継いできた部屋であり、それぞれの時代に使用された武器や甲冑、宝飾品が壁に飾られる。

 そこに、タルナーダ・ロジャー――前将軍の大刀も飾られている。


「タルナーダ将軍って強かったの?」

「とても強かったよ。私と共に戦った者で、唯一王立軍に戻った。後はグラナート公国のサブルム王。大神官のゴルダ。皆偉くなったもんだ」

「先生も偉いだろ」

「あぁ、そうだった。忘れていたけどそうだね」


 プロクスはわざとらしく腰に手を当ててふんぞり返る。それを見て、ルーカスも、部屋の隅に控えていた侍女もぷっと吹き出した。

 プロクスは執務用の机の前に座ると、城に不在の間に届いた大量の手紙に目を通していた。返信が必要か、緊急の誘いかなど、振り分けをするのは弟子であるルーカスの仕事であった。


 紅茶を飲みながら、さらさらとプロクスは返事を書いていく。その手跡の相変わらず見事なこと、ルーカスは舌を巻く。


「先生、今から軍団長の所に行くんだよな?」


 そうそう、とプロクスは頷いた。そして、書いた手紙をぱたぱたと乾かす。


「軍団長の言っていたグラナートの『悪い癖』って何なの?」

「あぁ、そう言えばそんなことを言っていたな。竜殺しのキルディアブロ家は、情愛深く愛しい者のためならば、一国を滅ぼす。空飛ぶ天使ですら、彼の王に狙われればその翼は喰いちぎられて地に墜ちる」


 不吉な言葉の羅列に、ルーカスは眉間に皺を寄せて首を傾げる。

 それを見、プロクスはふふっと笑った。


「おおげさに話が盛られただけだよ。ルキ、帰ったら麺を食べよう。それまでおやつでも食べて待ってなさい」


 プロクスは机の引き出しに入っていた袋から、銀貨を数枚出してルーカスに渡した。反射的に受け取ってしまったルーカスだったが、その顔は不服そうだった。


「……先生、俺のことどう思ってんだ……俺、もう少ししたら成人だけど……?」

「たくさん買って、君が気になっている例の侍女に渡すと好感度が上がるのでは」

「ちょっと行ってくるわ」


 ルーカスはそれを受け取ると、風のように部屋を出る。

 残されたプロクスは、壁に控える侍女・ヘスティアに視線をやる。ヘスティアは年配の女性で、プロクスに仕えて長い。城に来た時には、必ず彼女がプロクスの世話をした。


「イオのところへ行くから、服を着替えるよ」


 そう言うと、ヘスティアは部屋の奥から美しい薄紫の絹の衣装を取り出す。

 今の衣装でも十分なのだが、プロクスの弟子であるイオダスは衣装に煩かった。銀糸で繊細な刺繍が施された布をたっぷり使った布をまとい、白くやわらかな帯を締める。

 顔も、無骨な仮面を外して貴石を散りばめたベールを被る。薄いベールだが、星のように煌めく石の重みで、風に揺れてもめくれることはない。

 そうすると、老人のようだったプロクスは、一気に乙女のような雰囲気へと変わった。


「ハル様、靴もこちらを」


 言われて、プロクスは茶色のブーツを脱いで、鼠色の光沢のある靴を履く。こちらには木の枝に留まった小鳥が白い糸で刺繍されている。

 これら全て、イオダスからプロクスに贈られたものだった。


「これで神鹿軍団長も満足するかな?」

「もちろんですとも」


 ヘスティアは目を細めて嬉しそうに頷いた。プロクスが不老の乙女あることを知っている旧知の侍女は、笑って彼女を部屋から送り出す。


 外に出ると騎士数名がいて、プロクスを神殿まで護衛する。神殿に着くと護衛は神殿兵に交代し、彼らは本殿までプロクスを送った。

 始まりの神殿と云われるだけあって、サンクトランティッド帝国宗主の神殿は別格であった。ルーナも一級品で、艶があり、傷など一つもない。装飾も大胆で、広範囲に施される。廊下の天井はルーナの一枚板で、複雑な紋様が掘られている。部分的に石造りのところもあるが、そこには彩り豊かなタイルが填められ、繊細で美しい。


 途中、神官たち、或いは巫女たちがプロクスを見て壁、あるいは庭の地面まで下がり、片膝をついて深々と礼を取る。イオダスが神鹿軍団長に就任してから、本殿は徹底して規律が守られていた。

 プロクスはそれに対して頷きながら、さらに神殿の礼拝所に続く長い廊下を進む。窓がなく、灯火があるものの、夜中のように薄暗い。

 廊下を抜けると、天井が半球の形をした部屋に出る。ガラス貼りのため、頭上からは日の光が明るく降り注ぐ。そこにはたくさんの職人がいて、飾られた絵画の修復作業を行なっていた。


 彼女は、日の光の目映さに目を細めながら、歴史を描く壁画を久しぶりに眺めた。


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