第5話 アストライア主国

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 サンクトランティッド帝国――帝都の名はアストライア。

 ここに、七人の王の頂点に立つ、王帝が住む。


 ――純白の、星降る都。


 ここに訪れた者たちは、口々にそう言う。町のあちこちに、星のモチーフの飾りが見られるからだ。


 氷壁の巨大なトンネルをくぐってすぐ城まで続く大通りは、左右に賑やかに商店が並ぶ。大型の店が多く、沿道にはやっと都に入ることができた隊商たちが休憩している。彼らは苦労して運んだ品を並べ、路上ではすぐに競りが始まった。


 さらに奥に進むと、職人街。ここで道は狭くなり、外から来た大型の乗り物は入ることができなくなる。路地を進むと、いろんな形の看板がぶら下がる。店は大抵扉が開きっぱなしで、職人たちが忙しく働く姿が見える。杖がぶら下がっているのは、魔道具を売る店だ。この都には魔術師の養成所もあり、魔法では最先端をいく。


「先生、武器もだけど、俺新しい魔法道具もほしい。あんな細い枝みたいな杖じゃなくて、先生みたいなやつがいい」


 先生みたいな、とは大剣と同じくらい太いプロクス愛用の魔法の杖のことだ。主に腰痛を起こした時に使用される。


「わかった。到着したら、探してみようね……あぁ、あそこ。寄っていいかな」


 プロクスが指さした先は、銀細工の店だった。看板代わりに、銀の杯が雑にぶら下がっている。

 馬を沿道の木につなぐと、二人は店に入る。神聖な銀を扱う職人は少ない。この店にも、老人と店番の少年が二人しかいなかった。


「こんにちは、ロバの騎士さま!」


 少年は、プロクスの姿を目に留めると元気に挨拶した。


「ご依頼のものはできています!」

「ありがとう。おじいさまは?」


 茶色のふわふわした羊のような髪の少年は、黒い目を閉じて、首を振る。


「今仕事を邪魔すると怒られちゃいます」


 少年は、小さな白い箱を奥から持ってきて、中を見せる。三つの星を背負った燕を象ったブローチだった。星は青い石がはめられ、キラキラと輝いた。


「素晴らしい。ありがとう、君の祖父はますます腕を上げているな」

「お褒めいただき、光栄ですな」


 奥から、七十歳くらいの白髪の男が出てきた。深い皺が額に刻まれている。


「眉間に皺を寄せて店番をしていた少年も、今では都随一の職人だ。なかなか感慨深いものだ」


 その言葉に、店番の少年がきょとんとした。


「あなたは昔から最高のお客だ。あなたの難しい依頼のおかげで、腕を上げることができた」


 老人は厳つい顔をしていたが、ふっと口元を和らげる。


「次も、お待ちしておりますよ」

「あぁ、ありがとう。もちろん、また頼むよ」


 プロクスは目当てのものを手に入れるとマントを翻し、弟子を連れて店を去った。


 王城に近づくと、一気に町の雰囲気は変わってくる。

 一般市民の居住区域から、貴族や富豪の住まう区域へと進むからだ。建物はさらに高く、美しく整えられる。沿道は赤や白の花で飾られる。

 王城は、周囲を深い堀に囲まれている。町よりも一段高く、町のどこにいても城の尖塔がよく見える。

 城の正門前広場では、巨大なアトラス=ハイキングの像がある。城を背後に、町を見つめる始祖の巨大像。剣を手に、厳かに佇んでいる。どの騎士も、急事でない限り、この象の前で馬を下りる。

 プロクスも他の騎士にならって、馬を下りた。


 他の騎士、とは現在進行形でプロクスとルーカスの周囲を取り囲んでいる騎士団のことだった。青色に、白馬が描かれた旗は、帝都の王城を含む西を守る王立軍【白蹄騎士団】。彼らは銀の甲冑に、青灰色のマントを身につけている。


 アトラス=ハイキングの像の前で頭を深々と下げるプロクスの背後に、白蹄騎士団長・ジークバルト・テネドールが立つ。二十代後半、黒髪に漆黒の瞳をした眉目秀麗な男。切れ長の目に浮かぶ鋭い眼光はどこか鷹を思わせた。

 優秀な騎士を率いる彼は、帝国でも数少ない「百人隊長」の一人だ。


「見回りご苦労。ジークバルト。今日も恙なく」


 振り返りながら、プロクスは彼を仮面越しに見つめる。


「はい、閣下」

「ジーク、門まで歩きながら話さないか」

「喜んで」


 そんなジークバルトの態度といつもとは違う静かな雰囲気に、騎士団の何人かが首を傾げる。そして、ルーカスを捕まえて何をしていたがひそひそと問い詰めた。


「うちの部下は躾がなっていない……」


 ジークバルトはため息をついた。プロクスは馬の首を撫でながら、ジークバルトを見つめた。


「あの子たちは今年の春に見習いから昇格したのだろう? 生き生きとしていて良いことだ」

「あなたはいつもその調子だ……」

「君は黙って我慢してばかりいたから、心配だった。話せるようになったのは、やはり婚約者のおかげ」

「ところでサーティス=ヘッドはどうでしたか?」


 珍しくジークバルトが上から言葉をかぶせてくる。プロクスは少しだけ笑った。


「相変わらず、危険な土地だ。人間が入るのには、後一体何年かかることか」

「やはり。それでは、昨今の噂は誰かの妄想かと?」

「例の噂か。死を間際にした人間を治すという万能薬があるなどと、幻を追うようなものだ。現実的ではないな。この国には十分優秀な魔法使いも科学者もいる、彼らに任せよう」


 は、とジークバルトは短く返事する。


「ところで、君が土下座するほど尽くしているという婚約者について聞き」

「到着しました。では、また大年会で」


 ジークバルトはさーっと騎士団を引き連れて去って行った。もみくちゃにされたルーカスだけが、その場に取り残された。


「グラディウス侯の到着!」


 衛兵が叫んだ。


 橋を渡った向こうには、近衛騎士団が待っていた。

 白蹄騎士団と同じく銀の甲冑をまとっていたが、身に付けるマントは夜空を思わせる濃紺。縁取りは銀糸で、風に揺れると煌めいた。そして、その胸には星の木ルーナを象った紋様を刻む。


「ご苦労、夜空の子たちよ」


 プロクスは騎士団の面々に声をかけた。夜空の子たち、というのは王立騎士団に属する者たちのことだった。そう呼びかけることが許されたのは、王か騎士王のみだった。


「ウェールス、ただいま」

「閣下。……お戻り、お待ちしておりました」


 近衛騎士団長・ウェールス・ランサーは穏やかに笑い、目を細めた。浅黒い肌に黒髪に黒い髭、青の目をした男は、傍らに立つ娘を見つめ、騎士王への挨拶を促す。

 ウェールスとよく似た容姿の娘は、白い襟に空色の愛らしいドレスを着ていた。貴族の娘らしく、彼女はドレスの裾を持って一礼する。


「娘のアリシャです。今日は神殿で、祝福の儀がありまして」

「無事に七つを迎えられたということか。それはめでたい」


 プロクスは膝をつき、乙女の手を取った。


「はじめまして、アリシャ。私はプロクス=ハイキング」


 アリシャは大きな青色の目を大きく見開いた。


「あなたが、ロバの騎士さま?」


 そう言うと、コラ、と父親のウェールスが苦笑いした。


「そうですよ。年老いたので、もう連れてきてはいないのだけれど……私からも、祝福を」


 ぜひに、と背後から父親が返事をした。にこにこしている。私情を仕事に堂々と持ち込む団長に、周囲の騎士たちは苦笑する。


「では、アリシャ。目を閉じて」


 はい、と小さく返事して、アリシャは目を閉じた。その白い滑らかな額に、プロクスは指を当てる。


「……風よ、山から下りる春の風よ、この娘を清めたまえ。悪魔がこの娘を避けるように。影をはらえ、道を照らせ。アリシャに星の導きがあらんことを」


 風が吹いた。明るい日差しが当たったかのように、アリシャの額が明るく光る。

 バササと羽ばたく音がして、黄色い尾羽の、白い小鳥が降りてきた。アリシャが目を見開き、手を差し出すと、小鳥は素直にその手にのった。


「ありがたい! お前の守護者だよ、アリシャ」


 ウェールスは嬉しそうに娘と小鳥を交互に見た。


「ありがとうございます、ロバの騎士さま」

「閣下と呼びなさい、アリシャ」


 父と娘のやりとりを、ほほえましくプロクスは見つめた。そして、はたとウェールスが視線を巡らせた先、若い騎士が手を上げて何か合図をした。


「……さて、そろそろ準備もできたようだ。行きましょう、閣下」


 そして、ウェールスは娘の背中を押す。いつの間にいたのやら、彼の妻が一行の側にいて、アリシャを手招きしていた。アリシャはドレスの裾をつまむと、そろそろと歩いて行ったが、途中で振り返ってこちらに手を振った。


 それに仮面の下で微笑んで、プロクスは手を上げて見送った。

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