第4話 氷壁前にて

 ややあって、タイタニスの部下――神殿兵たちがやって来た。その頃には支度はできていて、プロクスとルーカスは準備万端だった。彼らは外に出ると、旅のお供の馬に近づく。


「やぁ、アッシュクラフト」


 鬣まで真白の馬の目は、とても優しい。顎を撫でると、目を閉じる。一方、葦毛の馬・ポルボールは、ルーカスの背中に頭を打ち付けていた。


「相変わらず乱暴だな!」


 そう言いつつ、ルーカスは嬉しそうにポルボールの首をごしごしと撫でた。


「閣下。リリアックも、城に向かうそうです。よろしくお伝えください」


 タイタニスは言い、右手を挙げる。


「……祝福を、騎士王。道が遠くまで見通せますように」


 他の神官たちも、タイタニスと同じく右手を挙げた。

 少し離れたところでプロクスは振り返り、右手を挙げる。


「さぁ、行こうかルキ。麺を食べに」

「……先生、主目的それじゃないから」


 わちゃわちゃと言いながら、二人はようやく出発する。


 プロクスの予定は、それこそ分刻みだった。

 その貴重な時間で、最も力を入れているのは後進の教育であり、その勤めが果たせないとプロクスはとても残念がるが、ルーカスは逆に罪悪感を覚える。

 プロクスは夜遅くまで鍛錬に付き合ってくれるし、ルーカスが勉強したいと言うときちんと教えてくれる。プロクスは、「わからない」と素直に言うと、喜んで教えてくれる。できたら、すぐに褒めてくれる。

 暴力の渦の中で育ってきたルーカスにとって、プロクスとの出会いは衝撃だった。血の繋がった人間より、全くの赤の他人の方が優しいだなんて。


「先生って……寝ているんだよな?」

「もちろんだよ。一日に二時間は寝ないと。魔力が枯渇したりすると大変だからね、回復には睡眠だよ」

「ふーん」


 ルーカスは、長くプロクスといるが、その素顔は見たことが無い。全身を覆う布の術式から、プロクスの発する声も恐らく偽物なのだろうとは見当が付いていた。


「そうだ、ルキ。君の姉弟子のテルーに会いに行こうと思うんだけれど」


 それを聞いて、彼は少しだけ顔を歪めた。正直言うと、ルーカスは姉弟子が苦手であった。

 テルーは優秀で、現在グラナート公国に魔術師として派遣されている。それ以前からあちこちに呼ばれ、積極的に仕事をこなしていたが、これほどまで長期の仕事は初めてだった。何でも、グラナート公国の砦建設に伴い、周辺敷地の再調査を行なっているのだと言う。

 あれだけ師匠であるプロクスを溺愛している姉弟子が、【商人連】からとはいえ、遠い国での仕事を引き受けたのは驚いたが何とかやっているらしい。


「でも、もうすぐ任期が切れて帰ってくるんじゃないの?」

「そうなんだけど、どんな仕事をしているか気になるからね。君も近衛の訓練を済ませたらこちらに来ると良いよ。訓練ばかりで疲れるでしょう? たまには息抜きすれば良いじゃないか」


 ルーカスは王立騎士団に属する【白蹄シロヅメ騎士団】の見習い騎士だ。町中で現われる妖魔の討伐から、貴族の護衛まで、仕事は幅広い。そして、ゆくゆくは王直属の近衛騎士団に入団する。

 近衛騎士団は最も王家に近いこともあり、プロクスが直接指導・管理を行なってきた。精神・肉体共に磨き上げられた優秀な人材が揃っている。

 ルーカスにはちょこちょこと近衛騎士団の補佐はさせていたが、立ち居振る舞いが粗雑で、とても王族の側に置けたものではなかった。やっとふらつかずまっすぐ長時間立てるようになった時には、プロクスは手放しで喜んだものだった。


「そうかなぁ、俺、大丈夫だけど」


 休まなくてもいいのに、とルーカスは遠くを見るような目をする。


「そうかい?どんどん持久力がついてるね」


 ――弟子が成長している!

 プロクスは「親ばか」で、何でも良い風に取るのだった。


「そういえば、竜殻甲冑イカロスの訓練を先日受けたそうだね。どうだった?」


 プロクスは、何気なく問うた。

 竜殻甲冑とは、プロクスが身につける特殊な甲冑のことだ。身につけている者の魔力が強いほど、防御力・攻撃力を高めてくれる。正確に敵を討ち、通常の人間の数十倍は体力が持続する。負傷した傷もすぐに回復し、不眠不休で戦うことが可能だ。

 ただ、竜殻甲冑は【商人】と契約しないと身につけることができない。ルーカスは将来雷蹄を振るうために、プロクスが【商人連】に取りなして支給された、身体能力増強だけを目的とした竜殻甲冑で訓練をしていた。


「十五分つけて、……一日ひっくり返っていた。一日置きにしか訓練できていない……」


 プロクスの問いに、急速にルーカスは元気がなくなった。ルーカスは、眉間に皺を寄せてなんともいえず悔しそうな顔をしていた。

 ルーカスは初めて竜殻甲冑を身につけた時のことを忘れられない。牙を剥き出しにした獣が、ぴったりと自分の周りを取り囲んでいるような、そんな感じがしたのだ。

 いざ動きだしてみれば、時間が経つほど疲労感が増し、呼吸ができなくなる。やがて、泥の中に沈むように、身動きが取れなくなった。


「十五分もつけたら上々じゃないか」


 そう言うが、ルーカスは視線を下に落としてしまった。魔力がまだまだ足りていないことを彼は自覚している。


「新しい甲冑を身につけた君はきっととても強い騎士になるよ」

「……本当?」


 プロクスの言葉に、ルーカスの声が少し跳ね上がる。


「もちろん。君は私が後継に決めた弟子だからね」


 ルーカスの顔が、紅潮する。

 そこから、ルーカスはこれからこうしたい、こんな技を身につけたいと、熱心に話し出した。プロクスはそれに、うんうんと頷いて穏やかに応えた。


 夢中になって話している間に、第二の壁の前についた。帝都を守るための壁だ。


 公国と公国との境目にもそれぞれ存在するが、帝都を取り囲む壁はその大きさが違う。見上げるほど高い壁は山脈のように横にずっと伸びている。青空の下に、まるで白い波が凍ったようなその光景は、遠目からは異様で美しい。

 この国では、外から侵入してくる妖魔は、まず結界によって抹殺される。その壁を突き抜ける大物は、その次に防壁フォールに行く手を阻まれる。防壁は各国によって形が異なった。

 アストライアの防壁は氷壁アグニーオルムと呼ばれる。その素材は不明で、壁は土をえぐり地下深くまで続いており、正確な長さはわからない。それにより、地下から這い出る妖魔も防壁によって抑えられている。

 壁が発する人には見えぬ光が、妖魔には眩しすぎて近づくことができない――それ故、帝都には「光」をモチーフにした飾りが多く見られる。


「俺、先生みたいに何でも使いこなせるようになりたいよ」


 人が増え、馬の速さを抑えながら、ルーカスが言う。


「なれるさ。でも、まぁ、君は弓矢だけがあんまりよろしくないね。また帰ったら練習しようね」

「そうする」


 のんびり会話しながら、二人は検閲の列に並んだ。帝都民専用なので、他の検閲の列に比べて空いていた。

 空に向かってそびえるような壁に対し、その門は小さく見えるが、十分大きい。隊商や、荷を率いる巨象ドンエレフが余裕で通ることができた。


「バニャニャがあるね」


 検閲で待たされている商人たちが荷を広げて、壁の前は市場のような有様だ。彩り豊かな果物の中に好物があって、プロクスは馬から下りると、ふらふらと列から外れていく。


「ちょっと待ってくれよ、先生……」


 ルーカスが止める前に、プロクスはあっという間にその姿を消し、ルーカスが追いつくまでに黄色い皮に包まれた、とびきり甘そうな香りの果物を手にして出てきた。プロクスの大好物、これがバニャニャだった。


「焦ることはないじゃないか、ルキ。私たちは通行手形があるから、検閲なんてあってないようなものじゃないか」

「そうだけど……」


 ルーカスはプロクスの背後の風景を眺める。

 汚れて、はたけば砂の出てきそうなテント、その薄布の向こう頭部が獣の獣人、また鮮やかな色彩を体に持つ、異境の民がちらほらと見られた。


 彼らは皆、空白地帯の住人。


 その中でも、結界を超えることが許された特権階級の者たちだ。彼らは身体検査の前に、書類審査を受ける決まりとなっている。それまでには時間がかかり、ここで市場を開くようになったのだ。

 一般市民ならまだしも、貴族階級にある者が簡単に近づいてはいけない相手だ。彼らは昔、奈落の魔女に与し、この国を攻撃したのだから。


「どうしたんだい、ルキ」


 気がつけば、目の前に師匠が果物を差し出している。ルーカスは戸惑いながら、その果物を手にする。


「甘いだろう?」

「うん、……甘いね」


 胸焼けしそうな甘さの果物を食みながら、ルーカスは遙か後方まで続く検閲の列を眺める。


 そして、その背後にそそり立つ防壁、その向こうにはこの地で皆が憧れる都があった。

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