銃殺
銃殺
青年は人を殺したことなんてなかった。
彼はほんの数ヶ月前まで銃なんて握ったことすらなかった。
そんな青年が今一人の女を銃殺するために、慣れない手つきでライフル銃に弾を込めている。銃殺を行う兵士は彼を含めて四人。青年以外は中年のベテランの兵士で、手慣れているのか特に戸惑うような素振りもなく無表情で一発ずつ銃弾を込めていた。
何とか弾を込め終えた青年は、なぜこの女が処刑されなくてはならないのか考えてみた。上官からは思想犯と聞かされていたが、今目隠しをされ、逃げないように両手両足を縛られて、混凝土の壁を背に立たされているこの女が本当に社会の秩序を乱すような極悪人なのかと不思議に思ったのだ。
女は少しばかり震えていたが、悲鳴を上げたり、泣き叫ぶことはなく、目隠しされていても毅然としていることがわかった。これから処刑されるというのに、命乞いをしない女を見て、青年はいざ自分が処刑されるようなことになったら、あんな風に正々堂々としていられるか考えてみた。そして恐らく自分には無理だろうという結論に至った。
処刑時刻までまだ余裕があった。
空は澄み渡り、日は高く上っていて、ぎらぎらと青年たちを照らしつけている。処刑が行われる日にしてはあまりにも美しすぎるくらいの晴れ模様だった。
青年は一人、手帳の白紙に処刑を待つ女の姿を鉛筆で丁寧に描いた。絵を描くことと物語を作ることが好きだった彼は、世が世なら画家か小説家になっていたことだろう。だが時代がそれを許さなかったのだ。彼は兵士として駆り出され、軍学校で短い訓練を終えてから、ほんの三日前に実戦部隊に配属されたばかりだった。
訓練で的を撃ったことがあっても、生身の人間を撃ったことなど一度もない。数ヶ月前まで平凡な市民だった自分が今は兵士として前線にいるのだと思うと、青年は恐ろしい気持ちに駆られた。
国にいる両親の為と青年は兵士になったが、果たして両親は自分に人を撃つことを望んでいるのだろうかと思うと、引き金を引くことが躊躇われた。
他の兵士は処刑時間まで談笑したり、コーヒーを飲んだりしている。緊張感のない和んだ雰囲気に青年は、狂気じみたものを感じた。彼らは今から人を殺そうとしているのに、どうしてああも呑気なのか。人を殺すことを何とも思わないのか。
青年は彼らを眺めながら、深く考え込んだ。そして、彼らは既に何人もの人間を殺してきたせいで、そういった感覚が麻痺しているのだなという一つの答えに行き着いた。そして自分もまた戦場で多くの人間を手に掛けていく中で、人として持つべき罪悪感やらを欠如していくのかと思うと、どうして戦争なんてやらなきゃならないのだとやり場のない怒りが沸き上がった。
だが人を殺したくないと思っても、引き金を引かない訳にはいかない。戦場では一瞬の気の迷いが命取りとなる。青年はそう軍学校で教わった。自分は人を殺したくないし死にたくもない。だが、人を殺さないと死ぬ世界に生きている以上、生きるために殺す他ないのだという何とも納得のいかない答えにたどり着いた。
ついに処刑時刻となった。
兵士たちは一斉に立ち上がり、それぞれを銃を掴み取ると、安全装置を解除して、それぞれの位置についた。和んでいた空気が一瞬にして引き締まった。
青年は一番左端に立ち、再度銃器の確認をした。教わった通りに銃に問題がないか点検し、万全であることを確認した。
発射指示を下す指揮官が到着した。ベレー帽を被った四十代前後であろうその指揮官は顔をこんがりと日焼けし、刑場の入り口で銜えている紙巻き煙草を吐き捨てて、半長靴の踵で踏みつぶした。
指揮官は無表情で定位置に立つと、兵士たちの顔を一瞥し、処刑される女の方をじっと見つめた。
「処刑時刻となった。これより刑を執行する」
罪状が読み上げられることはなかった。指揮官はただそう叫ぶと、指揮棒を高く振り上げた。
「構え!」
兵士たちは一斉に銃を構える。ライフルのガチャリという重い金属音が響き、刑場の緊張が一気に高まる。
青年は微かに自分の手が震えていることに気づいた。覗いている照準がぶるぶると蠢いて、狙いが定まらない。照準の中心が頭に来るように狙っているが、これだけ震えていればきっと逸れてしまうだろう。どうしても震えを抑えることができない。この震えは一体何によるものなのか? 青年にはその正体がわかっていた。隣の兵士に目を遣れば、まったく震えていない。人を殺すことへの恐れが、自分の手を震わせている。青年にその恐れを克服する力はない。その力を手に入れるためには、自分の手で人を殺す必要があった。人生の多くを平和な生活で過ごしてきた者なら、誰しも初めて人を殺す時は恐怖で震えるものだ。
「おい新兵、肩の力を抜け。緊張しすぎだ」
指揮官が青年を見てそう呼びかけた。
青年は一度深く息を吐くと、言われた通り肩の力を抜いた。
そして恐怖によって銃を撃つことを邪魔されないように、青年は考えることを止めた。
「撃て!」
号令の声が響き、青年は引き金を引くのと同時に目を閉じた。計四発分の銃声が空高く響いた。
青年は初めて人を撃った。その事実を受け止めるので精一杯だった青年は思わずその場に座り込んでしまった。激しい拍動に息が止まりそうになりつつ、青年は自分が撃った女の方に視線を向けた。
「大丈夫か?」
隣のベテラン兵士の声かけも、青年の耳には入っていなかった。
青年はただ女の死体だけを見つめていた。
四発の銃弾は、頭に二発、胸と腹に一発ずつ命中していた。青年は自分の撃った弾がどこに命中したのかわからなかったが、あのいずれかが自分の撃ったものであるという事実だけで十分だった。
頭を撃ち抜かれた女は、べっとりと血を脳漿を壁に塗り付けて、地面には血溜まりを作っていた。
青年はその死体を見て、何を思ったのだろうか、咄嗟に手帳を取り出して、白紙に女の死体の絵を描き始めた。
青年は無表情で、ただただ死体の絵を懸命に描き続けた。刑場にいた誰もがその姿に不気味なものを感じた。青年の周りに情念の蒼い炎がまとわりついているように見えた。
青年もまた人を殺すことに躊躇いがなくなった。
終
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