第5話
結局、ソフトクリームの代金を払ったのは、言い出した僕の方だった。ストライクやスペアが続いたのは前半だけで、後半は調子を取り戻した聡に追いつかれてしまったのだ。
それでも気分は良かった。
全身の疲れも心地良く感じられた。
今夜、ボーリングの夢を見るのは聡ではなく、きっと僕の方だろう。
あの街路樹の植えてある坂道を帰る頃は、一面の夕焼け空だった。赤く染まった雲が高いところをゆっくり流れ、まるで赤い海に浮かぶ島々のように浮き上がって見えた。
おばあさんが孫と手をつなぎ、その景色を眺めている姿が目に入った。その二人の幸せそうな様子は、小さい頃、僕の手を引きながら、例え小さな虫一匹でも、命を粗末にしてはいけないと教えてくれた、死んだばあちゃんのことを僕に思い出させた。ばあちゃんは家の中に迷い込んだ蜘蛛を見つけては、弱った足腰で恐る恐る立ち上がり、運動代わりだと言って捕まえては外に逃がしに出かけていくのだった。近所の川原で足を滑らせて転び、そのまま病院で息を引き取ったのも、そんな散歩の時の出来事だった。
「ばあちゃんの仕事は、僕がちゃんと引き継いでるからね」
僕は二人の後姿に向かって、声には出さないけれども、祈るように語り掛けていた。
聡とのボーリングから二週間ほど経ったある日、真人から電話があった。僕は真人の声を聞いてすぐに、軽く頭を殴られたような衝撃を感じた。忘れていた約束を思い出したからだ。
真人は、まだ手に入れて間もない中古のスポーツカーに、僕と聡を乗せて海水浴に繰り出そうという計画を立てていた。その連絡係は僕に一任されており、聡の予定を空けさせておかなければならないはずだった。ところが、聡はボーリングの次の日から合宿で自動車免許を取りに行っており、約束の日までには戻ってこられない予定だった。聡の都合が悪い場合は、必ずこの日までに連絡すると真人に約束した期日は、もうとっくに過ぎてしまっていた。
「なんだよー。聡が行けないって分かってたら、女の子も二人でよかったのに」
不満を隠そうともせず、容赦なくこちらの過失を責め立てる真人の言い方は、吠え立てる犬のように思われ、僕は身の安全を確保するのが先決と、慌てて適当な言い訳を口にした。だが真人が言葉を和らげ、こちらも少し落ち着きを取り戻すと、自分の口にしている言い訳が汚らわしい影を落としていることに気付き、僕は突然口をつぐんでしまった。
本当は約束を忘れてなんかいなかった。由紀を奪った真人と一緒にいたくなかったから、忘れたふりをしていただけなのだ。
欲しかったものを奪われてしまった口惜しさと、それに気付くどころか、平気で友達を傷つけるようなことを言う真人の無神経さに、僕は苛立っていた。今さら自分からは言い出せないが、彼女が僕の好きだった相手だと気付いてくれてもよさそうなものだと思った。僕は、そうやって自分に甘えることで、降りかかった災難から、誰かが助けてくれると期待していたのかもしれない。約束を忘れたふりをして、それが通り過ぎるまで目と耳を塞いでいよう、などと卑怯な真似を考えたのも、その甘えが原因だった。
自分がほとほと嫌になり、電話口で立っているのもやっとという状態だった。ふらふらする体を壁に寄りかかって支え、消え入りそうな声で言葉を継いだ。
「女の子って。女の子も来るのかい?」
「あったり前だろ。女っ気もなしに男だけで海なんか行けるもんか。俺たちもう中学生じゃないんだぜ。それに、浩次にも寂しい思いをさせないようにって、ちゃんと由紀に友達を連れてくるように言ってあるんだから。感謝しろよ」
僕は返す言葉が見つからなかった。
事態は考えうる最悪の状況へと突き進んでいるのは間違いなかった。真人と由紀がいて、その上僕の味方になってくれそうな聡はいないのだ。
断るだけの気力も勇気も失っていた僕は、自信に満ち溢れた真人が電話の向こうで述べ立てる計画に、ただ頷いて従うしかなかった。今さら僕まで行けないなんて、言い出せる訳がないのだ。
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