第4話

「嫌な夢を見てさ」僕は聡に打ち明ける決心をすると、重い荷物を下ろすように肩を大きく下げながら言った。

「真人と彼女のことがまだ尾を引いてたみたいで……。だから今週はずっとこんな調子だったんだよ」

 聡は僕に頷いて見せ、何ごとかを考えるように一点を見つめていた。自分のシューズの先を見ているのか、床を見ているのか分からなかった。きっと、かけるべき言葉を探しているのだろう、と僕は思った。自分の暗い気分につき合わせてしまったので、聡に悪いような気がした。

「まぁ、気にしても仕方ないんだよな」

 独り言のように、だけど聡にも聞こえるようにそう言ってみた。なんとか、この息苦しい雰囲気から抜け出したいような気がしていた。

「失恋なんて誰にでもあることだし。僕もしょっちゅうだしね」

 聡はそう言ったが、聡が何時、誰を相手に失恋したのか、そういう話は全く聞いたことがなかった。真人の家で好きな女の子の写真を見せ合った時も、なんだかんだと理由をつけて写真を持ってこようとはしなかった。多分、恥ずかしかったのだろう。

「でも、浩次って中学の時からモテたよね」

 聡は手を打ち合わせると、思いもよらぬことを口走った。口元には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

「は?」僕が驚くと、聡の笑みは顔いっぱいに広がる。

「だって、結構色んな女の子から、構われてたじゃんか」

「そりゃ話ぐらいはしてたかもしれないけど、別にモテてた訳じゃないよ。あれでモテてるっていうなら、それは僕だけじゃないさ」

「ねぇ、浩次。あれでモテてないっていうなら、それは女心が分かってないのさ」

 聡がわざとおどけて、知った風な口を利いているのに気付いて可笑しくなった。けれど、ここのところずっと卑屈な気分だった僕には、引きつった顔のまま鼻で笑うことしかできなかった。こんな愛想のない反応しかできない自分が、つくづく嫌になった。

「じゃぁ、聡は女心が分かってるとでも言うのかよ」

 聡の調子に合わせて冗談っぽく言ったつもりだったが、顔の筋肉が強張っていたためにイヤな言い方になってしまった。

「当たり前じゃない、当然よ」聡は右手の甲を左のほおに添え、色っぽくしなを作って答えた。それがいかにも滑稽だったので、僕は腹の底から笑いがこみ上げてきた。

「なんだよ。そうゆうオチか!」僕は頭を抱えて隣の椅子に倒れこんでしまった。

「あはは。でも実際そうだと思うよ。なんやかや話かけられて構われるのは、とにかく浩次に興味があるからだもんね。何にもないよりマシだよ」僕の気分が明るくなったのに呼応して、聡もいつもの調子を取り戻し、跳ねるような調子で言った。

「そういうもんかな。あの頃は、遊ばれてるだけみたいに感じてたけど」

「でも、悪い気はしなかった?」

 あの頃の気持ちを思い出しながら、少し間をおいて答えた。

「そうだね」

「そういえば、あの女の子とは最近どうなの?えーとー、川島ー、景子ちゃんだっけ?」

 いきなり脇の下をくすぐられたような気分だった。中学の時、休日になると通っていたCDショップで度々会ったことがあるのがその彼女、川島景子だった。同じクラスだったが、特に好みのタイプという訳でもなかったので、学校では何とも思っていなかった。けれど、明るい色のふわふわとしたセーターに、いつも身を包んでいた彼女の私服姿は、学校でのブレザー姿と違って、何故か輝いて見えたものだった。買い物の後、同じ方向の帰り道を一緒に並んで歩いたことがあったので、それをクラスの誰かに見られて噂になったのだった。その後はおたがいに意識してしまい、学校で目が合っても避けあうようになった。それでも例のCDショップで会った時だけは、誰かに見られていないかと心配しながらだったけれど、おたがいに自然体のまま、好きなアーティストのこととかを話して過ごした。彼女と話をしていると気持ちが和やかになって時間の経つのも忘れるほどだったし、そうやってクラスの皆の目を盗んで会っていると、二人で秘密を共有しているみたいでドキドキもした。彼女に恋心はなかったけれど、今でもそれを思い出すたびに、僕はなんだか赤面してしまうのだ。

「ぷっ、あっはっはっは」

 聡は、我慢できなくなったように吹き出し、すぐにこちらに顔を見せないように向こうを向いて笑い続けた。

「なっ、なんだよ」

 我に返った僕は慌てて言った。全身から汗が噴出るようだった。

「……だって」

 聡は止まらない笑いをこらえて、やっとそれだけ言うと、またとめどなく笑いだした。どうにかそれがおさまっても、しばらくの間は笑いの続きのような深呼吸をして喘ぎ、落ち着いたところでやっと言った。

「幸せそうな顔して、色んなこと思い出してたみたいだったからさ。なんだかこっちが恥ずかしくて、とても見てられなかったよ」顔を赤くしてそれだけ言うと、また堰を切ったように笑いだすのだった。

 僕は川島のふわふわしたセーターを思い出しながら、きっと顔の筋肉をだらしなく緩め、ニヤけていたに違いなかった。

 聡が笑えば笑うほど、僕の顔はたき火に当てられたように熱く火照った。聡が何を想像したかは知らないが、僕の回想よりもずっと不純でいやらしいに違いないことは、聡の笑い方で見当がつくというものだ。それを否定するには、自分の回想を隅々まで説明しなければならず、そんなことをしても聡を今以上に喜ばせるばかりで、身の潔白を証明することになりはしないだろう。

 黙っていることに耐え切れなくなって、僕は大声で言い訳をした。

「そんな訳ないだろ。だいたい誤解だったんだよ。そんなこと知ってるだろ?」

「うんうん。僕みたいな子供が分からないことが色々あったんだろうね。いやん、エッチ」

「えっ、えっち?」

 聡は両手で顔を覆い、体を恥ずかしそうにもじもじさせながら言ったのだった。その聡のしぐさに僕の恥ずかしさは頂点に達した。

 こんな具合に人をからかう聡を見るのは初めてだった。それは僕を不思議な気分にさせたが、僕は恥ずかしさをこらえるのに精一杯だった。

 それから僕たちはボーリングを再開した。

 聡の誘導でまんまと赤恥をかかされたけれど、おかげで由紀と真人のことは虫刺されほどにも感じなくなっていた。持ち上げたボールも、先程あれほど重く感じられたボールと同じものだとは、とても信じられなかった。

 そうなってくると、眠っていた勝負心がレーンの先に並んでいる十本の標的へと向けられるのは自然の成り行きだった。この真球の砲弾を、全身運動によって生み出される推進力によって放ち、十八メートル先の標的をなぎ倒すのだ。倒れたピンなど数えなくても、打ち倒された木製の標的がぶつかり合って立てる爽快な響きが、勝負の成り行きを教えてくれるだろう。

「ようし、これからが勝負だぞ。次負けた方がソフトクリームをおごるんだからな」

 聡の返事を待たずに、僕はレーンの前に立った。深呼吸で気持ちを落ち着けてから、ゆっくりと足を前に踏み出した。手を離れたボールは静かにレーンに着地し、最初やや右側に寄って走って行ったが、僕の合図とともに、ボールはゆるやかな弧を描いて先頭のピンへと吸い込まれていった。

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