第十八章 | 陽太郎
「馴れ初めかぁ」
三つ離れたカウンター席に座る勇造さんの顔を見やる。恋人は掛け値のない優しい笑顔で見返してくれる。
「ゲイバーで働く勇造さんに、俺が一目惚れしただけ。そんなロマンチックな話じゃないよ」
「あら。バーで一目惚れなんて、ロマンチックじゃない?」と佐衛子が茶化す。
「私もバーで声とか掛けられてみたいなー」と菜摘が唇を尖らし、「Don’t be silly」とカノンに窘められる。出会ったばかりなのに、いつの間にか二人はすっかり打ち解けている。
「勇造さんの話では、勇造さんの方から一目惚れしたってことだったけど?」
カウンターの向こう岸から、直樹が声をあげる。遅れてきた旧友は、相変わらず品行方正な表情だが、スーツ姿のせいか、それとも年齢のせいか、昔にはなかった色気のようなものを漂わせている。
「本当? 勇造さんは、陽ちゃんのどこに一目惚れしたんですか?」
直樹の隣に座る真紀が、勇造に尋ねる。細い指先でグラスを持ち上げている仕草が、誰よりもこの店に馴染んでいる。今夜はもう会えないと思っていたが、戻ってきてくれて素直に嬉しかった。
「そりゃ、このルックスだからね。最初会った時は、こんな完璧な外見をしてる男がこの世にいたのかって驚いたよ」
出会った頃から、こういう照れくさいようなことを、何の衒いもなく語れる人だった。そんな陰日向のない人柄に惹かれたのだ。
「じゃあ、陽太郎は!?」
先ほどの告白が終わって気持ちがほぐれたのか、少し酔った様子の航が、大きな声で聞いてくる。
何と答えたものか、俺は少し天井を見上げて思案する。期待のこもったみんなの視線を横顔に感じる。伝わらないだろうなと思いつつ、頭に浮かんだ言葉を、そのまま口にしてみる。
「一目惚れっていうかさ……、思ったんだよね」
「何を?」
「俺がこの人の最後の人になりたいなって」
一瞬の沈黙の後、歓声が上がる。
「何それー!」
「超ロマンチック!」
「言われてみたーい!」
冷やかしの嵐の中、勇造さんは顔を火照らせながらモスコミュールを飲み干し、カノンさんにおかわりを注文している。
「でもさぁ」
ひとしきりの盛り上がりの後、直樹が冷静な声で聞いてくる。
「勇造さんの『最後の人』ってどういう意味? 陽太郎にとってじゃなくて?」
「まさか、勇造さんが余命三ヶ月とか、そんな話じゃないわよね?」
菜摘が言った冗談が、店内に微妙な空気を作る。佐衛子が不安げな目を勇造さんに向けている。
「違う、違う。全然そういうことじゃなくて」
空気を変えるつもりで、俺は明るい声で打ち消す。まあそりゃ、ちゃんと説明しないと伝わらないよな。
「『最後の人』っていうのは、俺の母親の言葉でね」
俺は、父親を知らない。
大工だった父は、建築現場の足場から転落して死んだらしい。当時俺は三歳で、親父に関する記憶は何も残っていない。
子供の頃に住んでいたアパートの戸棚の上には、生まれたばかりの俺を頭上高くに持ち上げて笑う、親父と俺のツーショットの写真が飾られてあった。写真を見る限り、体がプロレスラーみたいに大きくて、顔立ちもくっきりとした美丈夫な人だった。「あんたは父さんによく似てるわ」と、後年母親からよく言われた。
俺が物心ついた時から、母は水商売をしていた。
千葉の旧家でお嬢さま育ちだった母は、二十歳で父と駆け落ちし、二十四で未亡人になった。父の死後も、絶縁状態だった実家には戻らず、女手一つで一人息子を育てるために、ホステスを始めた。学生時代は複数の芸プロからスカウトを受けたというルックスと、一度縁を切ったからには親元には絶対に頼らないという気の強さで、母のホステス稼業は想像以上に成功していた。
母には「手相占い」という特技もあった。学生時代に趣味で覚えたというその占いは、素人易者の眉唾モノでしかなかったが、美人ホステスに手を触られて、耳障りの良い御宣託を耳元で囁かれると、大抵の客は上機嫌になり、太客の常連になった。「この娘の占いはよく当たる」という都合の良い噂も広がり、母は水商売を始めて三年目で自分の店を出し、四年目に二件目をオープンさせた。生活は父が生きていた頃より、はるかに豊かになっていた。
そんな母には常に「ボーイフレンド」がいた。俺に遠慮してか、彼らを自宅に上げることはなかったが、外食だと連れて行かれたレストランに、高級そうなスーツ姿の男がいたり、自宅前に付けられたベンツに乗せられ、見知らぬ男の運転でドライブに連れて行かれたりしたことがあった。そして、それらは大抵半年から一年くらいの周期で、別の男に代替わりした。
幼い頃は、父親代わりに遊んでくれる母のボーイフレンドたちに、懐いたり甘えたりしていたが、ようやく心を開いた頃に、なんの挨拶もなく不意にいなくなり、その余白を埋めるように現れる新しいボーイフレンドと、また一から関係を作り直す繰り返しに、俺は子供ながらに不毛さを感じていた。
「母さんは、惚れっぽいくせに飽きっぽいよね」
中学三年になった頃、十何人目かの新しいボーイフレンドとの顔合わせをさせられた帰り道に、俺は母親に向かって率直な感想を言った。母親は一瞬驚いた表情を見せた後、「あんたも言うようになったわねぇ!」と、歩道のガードレールに寄りかかり、ゲラゲラと大笑いした。ひとしきり笑ったあと、まなじりの涙を指でぬぐいながら、彼女はガードレールに腰をかけて夜空を見上げた。
街は冬の夜で、月の裏側のように冷え込んだ空気を、時おり通り過ぎる車が寒風に変えていた。街灯に浮かんだ母の横顔は、三十も半ばを過ぎ、昔のような艶やかさはなかったが、憂いと陰を身につけた表情は、それはそれで息を飲むほど美しかった。
「でも分かってほしいんだけど、別に遊んでるわけじゃないのよ。いつも真剣に探してるの。真剣に『最後の人』を探してるのよ」
「最後の人?」
「そう、最後の人。ちょっと陽ちゃん、手ぇ見せてごらん」
母親はそういうと、強引に俺の左手を取って、手のひらを上向きに開き、街灯に照らした。
「アンタもずいぶんややこしい手相してるわね。特に恋愛線は拗れちゃってるね」「え? そうなの?」
俺は母と一緒になって、自分の手のひらを覗いた。それまでも母に手相を見てもらったことはあるが、恋愛の話をされたのは、この時が最初で最後だった。
「陽ちゃんはこれから、たくさんの恋愛を経験するわ。あの父さんの息子だもんね。モテて当然よね。でもあなたはちゃんと『最後の人』に巡り会える。手相にそう出てる」
「だから『最後の人』ってなんなのさ?」
「これ以上素敵な人はいない、もう恋愛はこれで打ち止めにしようって思えるような、そんな人のことよ。私は毎回、そんな人を探しながら恋をしているの。でも、まだ出会えてないの」
「母さんには出てないの? 手相」
「出てないわね、残念ながら」
今度は自分の手のひらを夜空に透かしながら、母は言った。
「大切なのはね、自分が好きになれる人を探すことじゃないの。ましてや、自分を好きになってくれる人を探すことでもない。その人と一緒にいる時の、自分のことを好きになれる人を探すこと。それが『最後の人』なのよ」
そういうと母親は自分の言葉に照れたように笑い、俺の背中をパンっと叩いた。「ま、まだあんたには早いわね」
すでに自分の背丈を追い越していた息子の腕を取り、母は歌うように言った。「さ、帰ろ。今日の人もハズレだったよね〜」
それから三年して、母は肝がんで他界した。発病したのはまだ四十手前で、「なんか最近フラフラするのよね」と言い出してから、半年も経たずに逝ってしまった。当時俺は高校生で、一時的に母の実家に身を寄せたが、母の店やマンションを売却し、弁護士に資産整理をしてもらうと、かなりまとまった額の遺産が残った。母が絶縁していた祖父母の家に世話になるのはなんとなく居心地が悪く、大学入学と同時に一人暮らしを始めた。初めて住んだそっけないワンルームの戸棚に、父とのツーショットと、元気だった頃の母の写真を、並べて飾った。
母の予言通り、俺は恋愛に関して多くの機会に恵まれた。それは、俺自身の努力や中身とはなんの関係もなく、ただ単に美丈夫と美人の両親から、優良な外見の遺伝子を継いだだけの話だ。こういう言い方も、嫌味に聞こえるかもしれないけど。
とにかく、大学に入って立て続けに何人かの女の子と付き合うことになった。たくさんセックスも経験した。でも、誰とも関係が長続きしなかった。決していい加減な気持ちで付き合っているつもりはなかったし、みんな素敵な女の子たちばかりだったが、三ヶ月が限界だった。自分でも、理由がわからなかった。
大学二年生の時に、あるキッカケがあって、俺は自分がゲイだということに気づいた。キッカケ自体はくだらない話だから省くけど、複雑なあやとりが最後の一手ですべてほどけてしまうように、自分でもいろいろ不思議に思っていたことが、スルリと紐解かれるカタルシスがあった。
もし両親が生きていたら、自分がゲイであることに関して悩んだかもしれないが、俺はほぼ天涯孤独で、俺が何者であろうが迷惑をかける相手はいなかった。ただ、かなり年上の男性がタイプだと気づいた時は、母子家庭だった生い立ちを揶揄されているような気がして、母親に申し訳ないような気持ちになった。
けれど、対象を男性に変えても、俺の恋愛は長続きしなかった。短い時には一ヶ月、長くても半年くらいで関係は破綻した。いつも原因は俺だった。母の言った「最後の人」にとらわれすぎて、相手に少しでも違和感を感じると「この人じゃないんじゃないか?」と疑心暗鬼になり、自分から関係を解消させた。母の占いは俺の中で、呪縛に似たものになっていた。
勇造さんに初めて会ったのは、友人に連れられて入った二丁目のゲイバーだった。勇造さんは週末だけのスタッフとして、その店で働いていた。初日は満席だったこともあり、ほとんど会話もできなかったが、その愛らしい風貌と明るい笑顔に惹かれて、俺はそれから何度もその店に通った。
勇造さんは、いつも陽気で、誰に対しても公平に接客し、一人で退屈そうにしている客を見逃さなかった。場の中心で仕切るタイプではないが、いるだけで空気を和やかにさせる独特なオーラがあった。
通い始めてすぐに、俺にも気安く声をかけてくれて、冗談や軽口を交わすようになった。ライターという仕事ならではの、幅の広い会話や奥深い洞察力は、俺と同年代の男性にはない魅力があり、話していると刺激になった。しかし、週末はいつも酔客でごった返していて、人気者かつ公平な勇造さんは、すぐに別の客に取られてしまう。餌の順番を待つ雛鳥のように、俺は勇造さんとの会話を待ちわびた。
勇造さんを独り占めにして、一度ゆっくり話をしてみたい。
そう思った俺は、ある夜、酔いつぶれたふりをして、閉店までバーに居座り、ようやく二人きりになった。
いざ二人きりになってみると、急に気恥ずかしくなってしまい、俺はまくし立てるように自分の気持ちを話してしまった。ゆっくり話がしてみたかっただけなのに、気づくと「付き合ってほしい」とまで告白していた。おそらく自分で思っている以上に、勇造さんのことが好きになっていたのだと思う。
勇造さんは心底驚いた顔をしていたが、最後には「俺もお前が好きだ」と言ってくれた。そしてこうも言った。
「俺はもう四十過ぎだ。これから先、お前以上に素敵な男と出会えることもないだろうし、これ以上恋人探しや駆け引きなんかに時間を使いたくない。人生の時間を、もっと別のことに充てたいんだ。だから俺は、恋愛はこれで最後にしたい。エイトにそうしろって言ってるんじゃないよ。お前はまだ若いんだから、そんなこと考えなくていい。ただ、俺がそうしたいってだけの話だ。そして、俺がそういう覚悟だってことだけ、わかっていてほしい」
勇造さんが放ったその言葉は、俺の中でピンボールのように激しくバウンドした。
俺はずっと「最後の人」を探していた。何十人という恋人と巡り会いながら、「なんか違う」「この人じゃない」と、枯れた枝を手折るように関係を断ち、独りよがりな恋愛を続けてきた。相手にとって自分が「最後の人」になれるかどうかなどとは、一度も考えたことがなかった。
いま目の前にいる人は、俺を「最後の人」にしたいと言っている。そして、この関係が続こうが途中で終わろうが、この恋愛を最後にしたいのだと。
俺にそんな資格があるだろうか?
こんな素敵な人の、最後になれる資格があるだろうか?
逡巡する表情を、当惑と捉えたのか、勇造さんは慌てた様子で付け足した。
「悪い悪い、重かったよな? 違うんだ、それだけエイトとの関係を大切に考えてたいってことを言いたかっただけなんだ。エイトはエイトらしくいてくれれば、それでいいんだ」
俺が、今まで通りの俺らしくいたら、おそらくすぐにこの関係を壊してしまうだろう。
俺は変わらなくてはいけない。
もっといい男に、この人の「最後」にふさわしい男に、ならなくてはいけない。
いや、ならなくてはいけないのではない。なりたいんだ。
俺はこの人の、最後の人になりたい。
自分の決意に自分で答えるように、俺は勇造さんに頷いた。
「You make me want to be a better man」
カノンさんが口ずさむように言った。
「なんて言ったの?」
耳ざとく聞きつけて菜摘が聞く。
「『As good as it gets』って映画で、Jack Nicholsonが言ったセリフです。日本語のタイトルは確か、恋愛……」
「『恋愛小説家』だよ。ヘレン・ハントが相手役だったよね?」と、直樹が口を挟む。
「そのセリフはどういう意味なの?」
ふたたび菜摘がカノンさんに尋ねる。
カノンさんは、菜摘の目を見つめながら、眉を寄せて男顔を装い、低い声で言った。
「君に会ってから、僕はもっといい男になりたくなったんだ」
菜摘は一瞬固まり、分かりやすく赤面した。
その様子に苦笑しつつ、佐衛子が誰にともなく言った。
「それって、相手に対して最高の褒め言葉よね」
「そうだね。今の陽太郎の話は、まさに勇造さんに対する最大級の賛辞だな」と、直樹が同意する。
「で? それでどうなったんだ? 付き合い始めて、陽太郎には変化がありましたか?」
勇造さんの肩をワシワシと掴んで、航が尋ねる。
「うーん、どうなのかなー」
勇造さんは照れた笑顔で答えながら、「でもね」と続けた。
「変わったのは俺の方だと思うよ。昔はあんまり恋愛に良いイメージがなかったんだ。特にゲイの世界は誓約がないからね。束縛されたり依存されたり、かと思ったら、浮気されたり騙されたりね。せっかく時間を掛けて丁寧に関係を築いたつもりでも、ちょっと強い風が吹いただけで、パタンと倒れてしまう積み木の家みたいな恋愛に、本当に不毛を感じていたんだ。だから、エイトに『最後にしたい』って言ったのも、そんな不毛な恋愛を繰り返すくらいなら、いっそ一人で生きていくことを腹に決めて、他のことに集中した方が良いと思っていたからなんだ」
「分かります」と直樹が言った。
「私も」と佐衛子が呟いた。
「エイトと付き合い始めた当初は、また同じことの繰り返しになるんじゃないかとビクビクしてたよ。虐待されて人間不信に陥った野良犬みたいな気分だったんだ。でもエイトがこの二年間、腰を落ち着けてゆっくりとリハビリしてくれたおかげで、俺はすっかり快復したんだ。恋愛は楽しい。恋愛は彩りだ。人生から切り離してしまうのはあまりにももったいない」
真紀がじっと、語る勇造さんの顔を見つめている。その視線に気づいて、勇造さんも真紀を見つめる。
「成就するとかしないとか、結ばれるとか結ばれないとか、本当はそんなことに大した意味はないんだ。心から誰かを好きになり、自分よりもその人のことを大切に想い、その人を好きになった自分自身を今以上に好きになることができれば、それだけで十分価値のあることなんだと思うよ」
口元にひっそりとした笑みを浮かべて、真紀が頷いた。
その真紀を、航は子供のような表情で見つめている。
菜摘はカノンさんに微笑みを向け、カノンさんは菜摘にそっとウィンクを投げている。
物思いに耽るように、直樹は手にしたグラスをじっと見つめている。
全員の表情を一通り見渡したあと、やれやれと言った面持ちで、佐衛子が俺を見て言った。
「そろそろおしまいかしら? なんだか今夜は壮大なノロケに付き合わされたような気がするわ」
「そうだよ? 最初からそのつもりで呼んだんだけど、今頃気づいたの?」
すました顔で返すと、店内に笑いとブーイングが沸き起こった。
店を出ると、月はもう見えなかった。
菜摘は慌てたようにコートを羽織り、「ごめん! 終電ギリギリだから、先に行くね! またね!」と早口にまくしてると、駅に向かって走って行った。
「カノンさんとイチャイチャ連絡先の交換とかしてるからこうなるのよ」
菜摘の後ろ姿を見送りながら、佐衛子が毒づいた。
「勇造さんは、まだまだ付き合ってくれますよね? 約束しましたよね?」
航が、見えない尻尾を振りながら勇造さんに迫る。
「俺は全然いいんだけど、航くんは時間大丈夫なの?」
勇造さんが一応牽制してみるが、「明日は土曜っす! 休みっす!」と、尻尾が千切れんばかりの勢いで、航が答える。勇造さんは困ったような顔で俺の方を見るが、明らかに嬉しそうだ。
「俺もまだ全然飲み足りないから、一緒に行ってもいい? ていうか、飯食いそびれて、腹減ったんだけど」と直樹が言い、「え? 直樹くんは、まだ夕飯も食べてないの?」と勇造さんが驚く。
「そうなんですよ。今日は朝から本当についてない一日だったんです。まず朝イチでネクタイにコーヒーをですね……」と話し始めた直樹を、佐衛子が遮る。
「その話長くなりそうだから、私と真紀は先にタクシーで帰るわね。同じ方向だし」
「え、真紀も行っちゃうの?」と航。
「真紀も、ってなによ? 私は帰っていいってこと?」と絡む佐衛子を笑いながら制して、「航くん、また今度ね。デート楽しみにしてる」と真紀が言うと、「ヒュー!」と声が上がり、男性陣が航を四方から小突く。
「陽ちゃん、今夜は呼んでくれてありがとう。あと、まだちゃんと言えてなかったんだけど、本当におめでとう。お幸せにね」
真紀が、俺の前に立って言った。
「ありがとう。真紀にそう言ってもらえるのが、何よりも嬉しいよ」
俺がそう言うと、真紀は細い右腕を差し出してきた。
(こんな風に握手できる日が来るなんて、思わなかったな)
手のひらを通じて、お互い同じことを考えているのが分かった。
佐衛子がタクシーを止め、真紀と一緒に乗り込む。タクシーの窓を開けて、佐衛子が勇造さんを呼ぶ。
「勇造さん、今度連絡していい? 今日奢ってもらったワインのお礼もしたいし」
「当たり前だろ、サエちゃん。俺から連絡するよ」と勇造さんが手を振る。
二人を乗せたタクシーが角を曲がり見えなくなると、残された男四人は顔を見合わせた。
「じゃ、飲みに行きますか!?」
「俺、ゲイバーって行ってみたいんスけど!」
「だから、俺、腹減ってんだけど!」
「それじゃ、お通しにカツ丼を出してくれるゲイバーにお連れしましょう!」
「なにそれ!?」
「そこ行く!」
俺の親友二人に左右から肩を組まれ、恋人が数歩先を歩いている。
その後ろ姿を眺めていたら、なぜだか鼻の奥がツンとして、俺は慌てて上を向く。そこには星のない春の夜空が広がっている。上を向いたついでに、漆黒の空に手のひらを透かしてみる。
拗れた恋愛線がどれなのかは分からないが、予言通り、俺はちゃんと見つけられたみたいだ。
(ね? 言った通りでしょ?)
耳元で、母さんの笑い声が聞こえた。
昔の仲間に会うのなら 智信 @tomonobu
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