第2話

 大帝都飛行船発着場から路面電車に乗りしばらく揺られていけば、帝都の中心部である桜花街に出る。そこで西側大通り方面に乗り換えていけば、通称「大壁通り」へ辿り着く。電車から降りればすぐに見えるはずの、桜花グルメマップにも載っている洋食亭「吉珍亭きっちんてい」の看板が、目印になるだろう。さて今回の舞台は、そこから更に道を挟んだ向こう側、「小金井銀行」である。


 古くは侍の時代、一代目小金井ホクサイは地方で縮緬ちりめん問屋を営んでいた。しかし縮緬ちりめんの店と言っても反物、染め物、布とあれば何でも御座れと手広く商いをしており、着々と財を貯めこんでいくと、それを元手として帝都にて「両替商」を始めたのだった。両替から貸付、売買代行、預金、手形発行などを取り扱い、その業務は多岐にわたる。相手は貴族から一般市民まで、客の身分を選ばずに商売をした結果、帝都でも五本の指に入るほどの財を成した。これが現在の小金井銀行のルーツとなっている。


 そのような歴史のある銀行に、たった今、銀行強盗が押し入っていた。


「むゥ……ええい、押すな。よく見えんではないか。」

「あ、あいすみません、隊長。しかしですねェ、こうも大変な状況、気になるのが人情ではないですかィ。」

「そうそう、ケエゾウの言う通りですよ。俺らにも見せてください。」

「わかった、わかった。ほれ、今退いてやる。」


 染井カスミと五人の部下たちは銀行の裏手に回り、窓から中の様子を確かめている最中であった。正面から押し入ろうにも、銀行内の人間を人質に取って立てこもられていては、手の出しようがない。それに部下が言うには、彼奴等きゃつらの獲物は鉄砲らしい。あわよくば突入が成功したとしても、近づき切り伏せる前に撃たれてしまうだろう。下手に動くことすら、できないのである。


「ウゥ……せめて俺たち警邏隊にも拳銃が配備されていれば……」

「確か突撃隊には既に、小銃が配備されたと聞いたぞ。」

「なッ、なッ、なんだそれは。あ奴らだけ、ず、ず、ズルいではないか。」

「俺もブッ放してみてぇなぁ……」


 物騒なことを話す部下を尻目に、カスミは一体どうするべきか思案していた。突撃か、潜入か、応援を呼ぶか……


「……んン、アレェ。」


 すると窓をひとり覗き込んでいた朝霧ケエゾウが、素っ頓狂な声を上げた。


「オイ、人質の中のあのご令嬢さ、何か見覚えねェか?」

「ん……どれ、見せてみろ。」

「俺も、俺にも。」

「…………アア、ありゃあ八重垣やえがきのとこのご令嬢じゃあないか。」


 不意に予想だにしない言葉が耳に入ってくると、カスミの脳内は真っ白になった。額にはだらだらと脂汗をかいて、そして頭には嫌な予感が駆け巡り、それを止めきれずにいた。


「おい、退け。私にも見せてみろ。」

「ワッ隊長、押さないでくだせェよ。」

「いいから、私に見せるのだ。……そのご令嬢は、どちらにいらっしゃる。」

「へェ、あすこですよ。」


 ケエゾウが指の差す方を見てみれば、黒色の布地に赤い椿の花柄、そして目に眩しい白い袴。しかしそれらの何よりも、染井カスミの良く知るその顔は、はっきりと遠目でもわかった。カスミの口から、彼女の名前が小さく漏れ出す。


「タ、タカネ……様……」


***


 染井カスミと八重垣タカネは、幼馴染である。八重垣家と言えば帝都でも有名な華族であり、カスミが幼少の頃に、彼女はよく遊びに来ていた。御屋敷を離れてから疎遠となり、十数年もの間会う機会を失っていたが、つい先日ふたりは再会を果たした。


***


 ……しかしほんの、正に「昨日の今日」とも言えるほどに再開から間もないうちに、このようなことに巻き込まれてしまうとは……カスミはつい、独り言ちた。


「運命とは真、わからぬものであるな。」

「ハ……今、何と申されましたか。」

「いや、気にするな。取るに足らん事だ。それよりも現状を、どうするべきか。」


 何としても早急に、タカネを助け出さなければならない。それは最早決まりきったことであるが、問題は手段であった。先に確かめた通り、正面突破は難しい。かといって裏口の窓を開けようにも鍵がかかっており、割り入るとすれば派手な音が鳴る。下手に応援を呼べば犯人を刺激してしまい、人質を傷つけられるかもしれない。はてさて……


「飛行船で、空から、なんてどうです。こう、ブワッと、飛び降りて。で、バーッと行って、切るんです。そんで生きてたら、犯人を捕まえる。」

「阿呆、乗っているときに落とされてもみろ、被害は増すばかりだ。危険である、却下。」


「でしたら、自動車で正面から押し入る、というのは如何でしょうか。『しょうを千里にくじく』とも云いますが、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』とも云います。」

「言っていることはわからぬでもないが、正面を突破出来ねば、乗り込んでいる我々の身体に風穴が空くだけであるぞ。窓からしか中の状況が確かめられぬ以上、却下せざるを得ん。」


「なれば、変装して潜り込む、などはどうでしょう。これならば正面から堂々と入り込めますし、もし中に立ち入ることが難しくとも、時間稼ぎとしては有用かと。何より、情報が掴めまする。」

「ふむ、それは妙案だな。犯人の首領が自ら出てくれば其れで良し、だがしかし現実はそう上手くはいくまい。もう一手、決め手が欲しいところではあるが……」


「一手……そういうことなら、やはり突撃が良いのではないでしょうか。隊長は却下されましたが、それがしは突撃が一番、漢らしいかと考えます。どうでしょう、いっそのこと派手に、蒸気機関車などを借りて……」

「なぜ貴様らは、物事をそう大きくしたがる。民間人を巻き込んでしまえば、桜の御帝様に合わせる顔がない。腹を切るだけでは済まんぞ。突撃の類は却下だ。」


 各々が好き勝手に物を言い、小声ながらも現場は喧々囂々けんけんごうごうとしていた。己が策に色々理由をつけては却下をする隊長殿と、ほとんど役に立ちそうのない、碌な意見ではなものしか出さぬ部下たち。議論ですらないものが過熱していくが、一向に策は決まらなかった。


「正面から引き付けている間に、どこかに上手く、監視の目をすり抜けて入る道などはないのだろうか……」


 そんな上手い話、あるわけがない。わかっていながらも口から出た、隊長の心の内からの吐露を、朝霧ケエゾウは聞き逃さなかった。


「…………隊長、ひとつ思いついたんですがねェ。いいですかィ。」

「何だ、朝霧の。構わん、思ったことを言ってくれ。」

「……アー、これはあンまり、上品な方法じゃないんですけどねェ。」

「良い、良い。この際多少汚くとも、どのような意見でも良いわ。」

「そうですかィ。ほんじゃァ、一応言っときますけども――」


 ケエゾウは皆の足元にある、分厚く丸い鉄の蓋を指さし、こう言った。


「空もダメ、陸もダメってンなら、地下からしかないンじゃないですかィ。」


***


 時折走り去る鼠が水音をかすかに立て、そして辺りに反響する。息を吸うたび、えたような臭いが鼻をついて仕方がない。モノを踏まぬように歩こうにも足の踏み場は狭く、かといって頭上にも気を配らねば、壁から出ている鉄の棒に頭をぶつけてしまう。地下の下水道は、青年三人が通るには、少し狭すぎた。


「おう隊長、そこォ、頭気ィつけてくださいよォ。」

「むッ、お、おう。承知した。」

「そうそう、上手く避けてくださいねェ。でねェと――」


「ぐぬッ、う、派手に打った。痛い、痛いぞォ。」


「――ああなッちまいますよッて。おォいタカトォ、大丈夫かィ。」

「う、ア、ああ……問題ない。何も問題ないぞォ。」


 大峰タカトはその大きな身体で胸を張り、大声で言い放った。地下水道にこだまし、二人の耳を刺激する。もう少し静かにと叱ると反省したのか、少しばかり縮こまった。


「朝霧の、ずいぶん手馴れておるな。」

「んん?ああ、タカトのことですかィ?」

「うむ、それも勿論あるのだが……この地下水道のことだ。よく知っていたなと思うてな。」

「アア、そんなことですかィ。昔ガキの時、よく悪さしていたんでさァ。そンで警察から逃げンのにこういった地下道を、よく使ってたンですよ。」

「……な、なるほど。仔細は聞かぬようにしよう。」

「昔のことだ、俺ァ何を聞かれても、別段気にゃアしませんがね。――おッ、確かここです。さ、足元に気を付けて、上がっていってくだせェ。」


 レンガ造りの壁に荒々しく打ち込まれたいくつもの鉄の輪が、真っすぐと頭上へ伸びている。入ってきた場所と同じく、昇降用の梯子のように使われているようである。


「……どうしたんです、上がンねェンですかィ?」

「いや、地上のあ奴らのことが、ふと気になってな。」

「あの三人ならば、心配は要りませぬ。某ほど身体は大きくはありませぬが、頭の出来はいくらかまし。滞りなく、作戦を実行していることでしょう。」

「ふむ……そうであれば、良いのだが。」


***


 一方、其の頃。地上の銀行の前は、随分と賑やかなことになっていた。


「ど、どうかこのマッチを……」

「あァん、マッチだぁ……俺たちゃ銀行強盗さんだぜ、ゴートー。何売りに来てくれちゃってるわけぇ、お嬢ちゃんよう。」


「……よし、良いぞ、佐野アオバ。お前は今、立派なマッチ売りの少女である……」

「うん、誰がどう見ても、少女だな。さすが古典を基にした作戦だ。」

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散りては咲く、妖の桜 ばん @blard76

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