散りては咲く、妖の桜

ばん

第1話

 白い軍服に身を包み、数人もの部下を付き従えて歩くその男の名は、染井カスミと言った。桜花帝都警察隊員として活動を始め、早三年。そして齢は二十となる。受け取ったばかりの「隊長章」を胸元に付けた彼は、己の浮かれた気分を押し殺せないまま、街に警邏けいらへと繰り出していた。

 時間は昼下がり。空を見てみればまだ日は高く、表の道をじりじりと焼く。街道の脇に植えられた木々には蝉が取り付いており、カスミ達とは対照的に元気に鳴いていた。


「隊長、そろそろ休憩を……」


 部下の一人が、おずおずと申し出てきた。季節は夏真っ盛り、その上今日はと、隊員たちは今朝方詰め所のラジヲで聞いていた。そして今では予報のその通り、皆で滝のような大汗を流しながら、街中を歩き回る羽目になってしまったのだった。普通の隊長なれば、ここで休みを取ることは吝かでないとするのだろう。しかしこの隊員は、朝の隊配属からして運が悪かった。


「馬鹿者、我々が休んでいる、いやこうして言葉を交わしている間にも、市民たちに魔の手がが迫っておるのだぞ。それを『休憩を』などとは……」


 言語道断である。玉のような汗を手で拭いながら、カスミは部下の言葉を一言の元に切り伏せてしまった。そう、に配属となってしまったのは、運がないとしか言えないのだろう。部下は肩を落とし、彼の後へと戻っていった。

 『頑固一徹がんこいってつ頑迷固陋がんめいころう、頭の中は石のかい』……要は石頭と言っているだけのこの言葉は、カスミのことを知る者の言である。誰が言い出したのか定かではないのだが、彼の性格を実に良く表していると言えよう。その上、今日は警邏隊隊長として命ぜられた初日である。彼が張り切らぬはずがなかった。


「ええい、気合も鍛錬も足りぬわ。背筋を伸ばせ、胸を張れ、大きく腕を振れ。その堂々たる姿で、桜の帝都に我ら有りと、罪人どもらへ示してやるのだ。」


 飲まず食わず休まずで街を警邏し始めて、もう四時間程になる。如何に鍛錬を積んだ隊員と言えど、たかが人間。気合だけではどうにもならぬことも、あるものだ。そう時間がかからぬうちに、隊員たちは次々と音を上げていった。


「た、隊長殿、そろそろ皆も限界であります。まだ昼飯も、それどころか水一滴も、我らは口にしておりませぬ。昔から『武士は食わねど高楊枝』とも云いますが、『腹が減っては戦ができぬ』とも云います。どうでしょう、ここはひとつ、腹ごしらえでも……」


 軍帽をかぶり直しすと、カスミは蒼白の亡者どもにチラリと目をやった。


「ふむ……そうか。それほどまでに皆は疲弊しておるのか。」

「ええ、このように顔も青白く、中には正気すら失いかけておる者もおります。何卒、お聞き入れくだされば……」

「……このような醜態を霧に見られては、それこそ桜の恥となるか。止むを得ん、そこな店へ飯屋で一服しよう。」

「ハッ、承知致しました。――――オイ、お前たち、昼休みだ。」


 這うように店へ入っていく隊員たちを見て、カスミが深い溜息を吐いたことは、最早言うまでもないことだろう。


***


 この世界には、存在する。ひとつはここ『桜の帝都』、そしてもうひとつは『霧の帝都』と呼ばれる世界である。ふたつの世界は宙に浮くかのように存在していて、飛行船を利用することで世界間の移動が可能であった。それぞれ桜の皇帝、霧の女王が治めている世界であり、独自の文化、思想を形成しつつも、飛行船交易などにより互いに高度な経済成長を続けていた。

 しかしこの関係も、良いことばかりではない。世界同士は犯罪者が密航するようになってしまったり、思想の違いから争いなども数多く起こった。そのため魔の手から市民たちを守るため、染井カスミの所属する『桜花帝都警察』が編成されたのである。警邏部隊に配属されている彼は日々、そういった不審者が居ないか目を光らせなければならないのだった。


***


「ご注文は、お決まりで御座いますか。」

「あ奴らに五人分の、何か精の付く物を食わせてやってくれ。私はそうだな……はあるか。」

「はい、御座いますよ。」

「ではそれを頼もう。注文は以上だ。」

「畏まりました。すぐにお持ちいたします。」


 洋風に着飾った女給はカスミらから注文を取ると、すぐさま奥へ引っ込んでいった。洋食屋「吉珍亭きっちんてい」は、警邏隊の間では人気の食事処である。早く、安く、うまいをモットーに、頑固親父のシェフが一家で商いをやっている店だ。看板娘のシナミが美人で有名なので、それを目当てに毎日のように通う隊員もいるのだとか……あくまで、噂であるが。


「いつもの、かァ……隊長、結構通ってるンだなァ……」

「店に入るなり『染井様、いらっしゃいませ』だからな……」

「顔どころか、名前まで覚えられてたからな。……勿論、シナミちゃんにもさ……」

「案外、気があるのかもしれねないぞ……」

「ええーッ、シナミちゃんが、あのお堅い隊長にぃ……いやいや、無理あるって、その話……」


 小声で話す隊員たちにひと睨みを聞かせて黙らせると、カスミは運ばれてきたライス・カリーへと目を移した。闇を思わせるほどに黒いルーと、炊き立てのライスの白との対比が実に美しい。脇に控えめに添えられた福神漬けの赤も、差し色として申し分ない。深く息を吸うたびに香り立つスパイスが鼻孔を刺激し、食べてもいないのに身体が火照ってくるようである。いやこれは、恐らく気のせいではないだろう。本当に彼の身体は、熱を発しているのだ。素晴らしい皿を目の前にして、心を躍らせているのだ。カスミは満足そうに頷くと、興奮を抑えつつ彼はスプーンを取った。


 吉珍亭のカリーは玉葱を飴色になるまで炒めるのは勿論のこと、まだ土が付いているほどの新鮮なじゃがいも、その橙色が採れたてそのものである人参、そしてまろやかで香り高いバター……極めつけはその脂までしっとりと甘い最高品質の牛肉……隅々にまで大変こだわり抜いた逸品である。店主が言うには「あまり割に合わない一皿」らしいのだが、頑なにメニューから下げようとしない。しかし「売るたびに赤字になる品とはどうなのだ」という家族の声もあり、折衷案で「裏メニュー」としての提供を行っていた。ちなみにカスミは、この店に来るたびにライス・カリーしか頼まない。彼が「」以外を頼むときは、店主が家族に屈し、提供をやめてしまうときだろう。


「んん何だか、外が騒がしくないか。」

「……そうかァ、俺にはわからんが……」

「いやこりゃあ本当に聞こえるぞ。」

「確かに、確かに。……おッ、窓から何か見えるぜ。」

「…………おい、今お向かいの銀行に……」


 じっくりとライス・カリーを味わっていたカスミの肩が、急に叩かれた。


「た、た、た、た、隊長。そんなの食ってる場合じゃないですよ。」

「……何だ、騒がしいぞ。静かにしろ。他の客にも迷惑だろう。」

「いや、でも、こりゃあのんびりしている場合じゃなくて……」

「要領を得んな、落ち着いて話せ。一体、何があったのだ。」

「はァ、それが……見る限り、お向かいの銀行に強盗が入っていったようで――」


 スプーンを荒々しく放ると、カスミは勢いよく立ち上がる。そして懐から小さな袋を取り出すと、近くにいた女給に投げて寄越した。


「済まぬ、暇がないので財布ごと置いていく。適当にそこから払っておいてくれ。さ、お前たち、すぐに支度をしろ。現場に急行する。」

「は、はい、只今ァ。」


 隊員たちは頬張れるだけ頬張ると、それを水で流し込み、先に行ったカスミを追いかけていった。

 財布を受け取った女給シナミは、財布と開け放たれた扉を何度か見比べると小さく笑い、小さくつぶやいた。


「またのご来店をお待ちしております。」

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