第50話 離ればなれ
痛いのか熱いのか……寒いのか…ただ、下腹部から下が麻痺している様な、それでいて激しく痛んでいる様な感覚。声も上げられずに、歯を食いしばり脂汗を流して横たわる神成。その両脇に、必死な形相のタカルハとササキが座り込んでいた。
「タカルハさん、ご主人様は大丈夫ですよね! 自分だって助かったんだ。このナイフでも、あなたの魔法があれば……この、ナイフ。クソッ、自分が油断して、シオリにスリ取られた。自分のせいで…」
「大丈夫に決まっているのだっ! 師匠は強いのだぞ! 自分を責めるのは止めるのだ。師匠が嫌がるのだぞ!」
神成の腹部に手をかざしながら、ササキを叱りつけるタカルハの言葉は、神成の耳にも届いていた。
痛みで思考がままならない神成は、「何でだ、そうだ、そうだぞ、痛い、気持ち悪い…」そんな単語を繰り返し頭の中で繰り返している。汗と涙で滲んだ視界に映るタカルハの顔も、泣いているように見えた。その情けない顔をした弟子の額に、後ろから褐色の手が伸びて来る……
手の意味を理解した神成は、麻痺したように動かないだろうと考えていた己の体に渾身の力を込める。
突然上体を起こした神成に、タカルハとササキは大声を上げた。
「師匠、動いては駄目なのだ!」
「ご主人様! 痛いんですか、しっかり……」
ただならぬ様子を察したササキが、神成の視線を追う。
そこには、タカルハの額に伸びるシオリの手……その指が黄色く光る玉をつまんでいるのが見えた。
神成が手を伸ばし、タカルハの上にのしかかる。
「師匠! 動いては駄目なのだ! 止まれ! とーまーれー!」
タカルハに抱えられて動かなくなる神成の体。
タカルハは、『止まれ』の特殊技能が効いたことに胸を撫で下ろし、神成をそっと砂浜に横たえた。
「ササキさん、ちゃんと師匠を押さえておいて欲しいのだ。『止まれ』の効果もすぐに切れてしまうかもしれないのだぞ!」
ササキに厳しい顔を向けたタカルハだったが、返事もせずにタカルハをじっと見つめ返して来る姿に違和感を持つ。
「何なのだ…いったいどうしたと言うのだ…、俺の顔に何かついているのか?」
「タカルハさ…ん…、何とも無いんですか? さっき、シオリがあなたの額に黄色い玉を当てたように見えました。ご主人様は、それを止めようと…。その玉は、リュウマンに聞いた記憶を奪う玉に似ている様な気がしたのですが…」
ポツリポツリと話すササキの言葉に、タカルハの顔が青ざめる。
勢いよく振り向いたタカルハは、背後で倒れているシオリの姿を確認した。確かに、額に何か冷たい物が触れた気がする。それが煩わしくて、腕で払ったのは何だったか…シオリの体では無かったか…思い返して、血の気が引いて行く。
「記憶、を、奪う玉だと? シオリ、そうなのか? お前、俺にそれを使ったのか? なぜお前が玉を持っている!!」
返事は無いが、シオリの伏せた横顔から、口の端が上がっているのが見えた瞬間、タカルハは確信する。
「た、玉、玉はどこだ…玉を壊せば大丈夫なのだ!」
シオリに跳び付くが、その手に玉は無い。リュウマンのイザナが、額に玉を当てられただけで記憶を無くしたと言っていたことを思い出し、夢中で辺りの砂をさらう。
「シオリは持っていない! ササキも探して欲しいのだ! 玉がどこかに!」
叫ぶタカルハの体が、ぐらりと揺れる。
「うぅっ…、な、何だか、力が…目が…かすむ」
「タカルハさん! しっかりして下さい! 玉、玉ですねっ」
焦ったササキが、周囲の砂に目を走らせる。
「あっ、何だか…クラクラする、のだ。い、嫌だ。記憶が、無くなる、のか?」
「クソッ、タカルハさん、今、玉を見つけますから!」
四つん這いで砂に手を這わせるササキ。
「うぅ、嫌だ、嫌なのだ…師匠、助けて…た…す…け…て…」
じっと地面に横たわる神成へ助けを求めたタカルハは、そのまま目を閉じて砂浜へ倒れ込んだ。
「おい、獣人! 動くな!」
タカルハへ駆け寄ろうとするササキの耳に、恫喝するようなヨサクの声が届く。反射的に顔を向けると、ゴサクが横たわる神成の腹部に手を伸ばしていた。
「お前のご主人様にとどめを刺されたく無ければ、じっとしていろ!」
ササキの体が止まる。
それを機に、ヨサクとシオリがタカルハを抱え上げ、船へと運び込む。
歯噛みしながら、ゴサクと睨み合うササキ。鋭い眼光と牙に、ゴサクの額から汗が流れ落ちた。
「動くなっ、動くなよっ!」
「貴様…ご主人様に指一本でも触れて見ろ、どこまでも追いかけてお前達を殺してやる」
ササキの唸り声に、ゴサクの手が震えた。
「おい兄者、船を出すぞ! どうせ獣人一人で、無防備な二人は守れはしない。手は出してこないぞっ」
ヨサクの怒鳴り声に、ゴサクは素早く体を翻し、派手な水音をさせながら船へ乗り込んだ。その瞬間に、もの凄い速さで船が沖へと走り出す。
「その通りだ…クソッ…」
ふらふらと波打ち際まで進んだササキは、遠ざかる船を見つめながら膝から崩れ落ちた。拳を握って水を打ってみても、船を追い掛ける術は無い。神成もこのままにはしておけない。
怒りで震える手を制しながら、ササキはミナカタへ緊急のお手紙を書いた。そして、守れたのかどうなのか解らない神成の元へ座り込む。ピクリとも動かない神成は、片手を挙げたおかしな姿勢のままで止まっていた。
タカルハは東の連中にさらわれ、神成はナイフが刺さったまま動かない。
ササキは、祈る様な気持ちで、そっと神成の心臓の上へ手を置いた。
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タカルハは、目が覚める感覚を味わっていた。目を閉じたままでも、明るい日差しが瞼を通して伝わって来る。酷く居心地が悪い。体中が痛いし、グラグラ揺れているような気がする。目を開ければ眩しい日差しに目が痛むはずだからと、ゆっくりと薄目を開けて、徐々に慣らして視界を確保した。
「あぁ、目を覚ましましたのね?」
眩しい光の中、見知らぬ女が覗き込んでいる。
「お前は、誰だ?」
自身のかすれ声に驚きながら辺りを見回すと、これまた見知らぬ男が二人、こちらの様子を伺っているのが見えた。同じ顔をした二人の男に驚いたが、あぁ、双子かと納得する。
「私は、シオリですわ。やはり、覚えていないのですね?」
優し気な笑顔を向ける女…シオリ…、心当たりが無い。解らない。
「知らん。解らん…ここはどこなのだ…俺はなぜ、ここにいる……な、何だ? 船!? ここは海の上か!?」
タカルハが驚いて上体を起こすと、船が大きく揺れた。それに更に驚いたタカルハが、狭い船内で後ろに逃れようともがく。
「お静まり下さい! 海に落ちてしまいます! 大丈夫ですわ、私がきちんと説明いたします」
シオリが穏やかに声を掛けて手を伸ばしたが、タカルハはその手を払いのけ、側に置いてあった魔法のカバンを腕に抱えて黙り込んだ。
「あの…、あなたは数日前に転倒してしまって、今までずっと寝てばかりで、起きても意識がはっきりしなかったのですわ。酷く頭が揺れましたので、もしかして、何も覚えていないのではないですか?」
シオリの言葉に、首を傾げるタカルハ。
頭がはっきりしない…それに、転んだことなど覚えていない。なぜ船に乗っているのかも解らない。何も思い出せない。そういえば、俺は、誰だ。
「覚えていない…覚えていないのだっ! 何も解らない…自分の名前も解らない…」
再び取り乱しそうになるタカルハの体を、シオリが抑え込んだ。
「大丈夫、大丈夫ですわよ! あなたのことは、私たちがよく知っていますから、安心して下さい! 記憶だってその内戻りますから、船の上で暴れては危険ですわ」
船の揺れを感じたタカルハは、グッと不安を抑え込んで体の動きを止めた。
「俺は…俺は誰なのだ。俺の名前は?」
水を飲んで落ち着きを取り戻したタカルハは、隣に寄り添っているシオリから距離を取りながら口を開いた。知らない女に馴れ馴れしくされるのは気分が悪い。
「あなたのお名前は……そう、そうですわね…お名前は…えぇと」
笑顔で首を傾げるシオリを見て、タカルハは眉間に皺を寄せる。名前を聞いただけなのに、なぜもったいぶるのか解らない。溜め息を吐いて視線を落とすと、ふと目に付いたのは、腹の前に抱えたカバンの横に書いてある文字だった。
「タ、カ、ル、ハ…。そうか、これだ、これが俺の名前であろう? 絶対そうなのだ。このカバンはすごく大切な物のような気がするのだ。なぁ、そうであろう?」
「え? えぇ…そうですわ。あなたはタカルハ様ですわ」
一瞬、表情を曇らせたシオリが、気を取り直したように同意して見せる。
「やっぱりそうか! だが…何も思い出せないのだ」
タカルハの言葉を聞いて、シオリの顔に笑顔が戻った。
「無理に思い出そうとしなくて大丈夫ですわよ。その内自然に、思い出しますわよ。私たちは旅の途中で…、これから遠い家に帰る所です。故郷に着く頃には、きっと思い出せますわ」
「旅か…旅の途中で転んで記憶を無くすとは、我ながら間抜けなのだ。旅の仲間に迷惑を掛けてしまったのだな、すまないのだ」
眉尻を下げて項垂れたタカルハの手を取り、シオリが優しく微笑んで顔を覗き込む。
「そんな他人行儀はいけませんわ。タカルハ様は、私の恋人なのですよ」
「何? 恋人…だと?」
ハッと顔を上げるタカルハに、ゆっくり頷いて見せるシオリ。
「恋人を忘れるとは……すまないのだ。恋人…か…」
じっとタカルハに見つめられたシオリは、満面の笑みで首を縦に振る。
「良いのです。一緒に居られるだけで、充分ですわ。何も心配せずに、全て私にお任せ下さい。無事にお家へお連れ致しますわ」
「そう、か。任せるしか無さそうだ。頑張って思い出すから、お願いするのだ」
嬉しそうに頷くシオリ。
船の揺れに身を任せ、空を仰ぎ見るタカルハ。酷く気分が悪いのは、船酔いのせいでは無さそうだ…だが、なぜかは解らない。ただただ、己の名前が書かれたカバンを、ギュッと胸に抱き込む。
タカルハは、進行方向とは逆の方向を振り返り、後ろの空のほうが綺麗だな、と思った。
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