第51話 違うのだ

 タカルハを連れた東の三人は、いくつかの島を経由して、ネーブル島の沿岸へと到達していた。

「おぉ、あれはネーブル島だっ! もうすぐ、東の領域に戻れるぞ!」

「そうだな、兄者! 一安心だなっ!」

船の上で抱き合う双子と、潤んだ目で島を見つめるシオリの姿を、タカルハは無感動にぼーっと見つめていた。


 意識ははっきりしてきたものの、体調が優れないし、何より記憶が無いことが不安で、何をするにもシオリの言いなりになって大人しく過ごしていた。


「ヨサク、ゴサク、東との境界ギリギリまで船で行ってしまいましょう」

「そうですなっ! この忌まわしい船を、最後までこき使ってやりましょう。島に上陸したら、いっそ壊してしまいましょうか!」

「兄者、それはいいなっ!」

豪快に笑い合う双子を見て、タカルハは眉間に皺を寄せた。


「……どういうことなのだ? 生きて海を渡れたのは船のお陰であろう。なぜそれを壊すのだ? 俺は船に感謝しているから、壊されるのは嫌なのだ…」

タカルハの言葉に、双子は口を噤んで顔を見合わせ、伺う様にシオリに目を向ける。シオリは溜め息を吐いてから、タカルハに身を寄せてそっと肩を撫でた。


「タカルハ様……ヨサクとゴサクが言ったことは冗談ですわよ。ちょっと、この船は…とても悪い人間から借りて来たものですから。持ち主はどうあれ、船に罪はありませんものね。壊したりいたしませんわよ」

「悪い人間? 借りた?」

「いえ、タカルハ様は気になさらないで下さい。すっかり元気になられたら、全部お話しますから」

シオリの笑顔に、タカルハは黙って顔を伏せた。


「寒気がするから、ちょっと休むのだ…」

シオリに背を向けて、魔法のカバンを抱きかかえて横になるタカルハ。

「それはいけませんわ。タカルハ様、どうぞ私の膝をお使いください」

「……構わないで欲しいのだ」

シオリを無視して、ギュッと目を閉じたタカルハ。溜め息を吐いて側から離れて行くシオリの気配を感じて、ホッと胸を撫で下ろす。


 船の上で目を覚ましてから、シオリには世話になりっぱなしだった。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、感謝している。しかし、だが、と考えずにはいられない。シオリは恋人だと言うが、何の感情も湧いてこないし、正直わずらわしくて仕方が無かった。馴れ馴れしく体に触れられるたびに、嫌な気分になるし、作ってくれる料理も口に合わない。いくら記憶が無くなっても、こんなことがあるだろうか。


 ただ、腕の中にある魔法のカバンだけは、懐かしい匂いと手触りがする。


 いつの間にか眠ってしまっていたタカルハは、背筋に寒気を感じて目を覚ました。シオリ達のヒソヒソ声が耳に届き、何となくそのまま寝たふりを続ける。


「シオリ様、やはり恋人というのは…」

「そうだな、兄者。辻褄を合わせるのが大変だ」

「二人はタカルハ様に、余計なことを言わないで頂戴。ちゃんと考えるわ」


ぼんやりしていたタカルハの意識が、一気に覚醒する。


「シオリ様、タカルハ様のあのカバンは大丈夫ですか? 中身がカラなのは確かめましたが、随分と執着しておりますな」

「そうだな兄者、捨ててしまえば良かったんだ」

「大丈夫よ。空っぽのカバンで何か思い出したりしないわ。あの男も言っていたでしょう? 玉を壊さないと記憶は戻らないって」

「しかし、どれ程信用して…」

「シッ」


ヨサクの言葉が途切れて、タカルハは三人の視線を感じた。シオリが立ち上がって近づいて来る足音がして、タカルハは体を硬くする。


ギギィィィッ


突然、船が軋んだ音を立てて、グラリと揺れる。


「キャッ!」

シオリの短い悲鳴が響き、タカルハも寝そべったまま甲板を転がった。

「な、何なのだ」

慌てて体を起こし、甲板に手を付いたシオリに手を貸す。


「す、すいません! よそ見をしていて、岩を避けるのがギリギリになってしまいましたっ! 怪我はありませんかっ?」

ヨサクのだみ声が響き、タカルハは溜め息を吐いた。

「そうか…寝ていたから、驚いたのだ。シオリ、大丈夫か?」

タカルハに体を支えられ優しく声を掛けられたシオリは、頬を染めて満面の笑顔を浮かべた。



*********************

「さぁ、ここいら辺りから東の領域です。ゴサク、いよいよだぞ!」

島に上陸して徒歩でしばらく進むと、ヨサクが明るい声を上げた。

「あぁ、そうだな兄者……うん、良く解らんが、空気の匂いが変わった気がするぞっ!」

ゴサクが大げさに深呼吸を繰り返す中、タカルハがガクリと地面に膝を付く。


「うぅ……何だか突然、体が重くなったような気がするのだ」

「まぁ、タカルハ様、大丈夫ですか!?」

慌てたシオリが、タカルハの体に手を回した。シオリの胸に抱きかかえられたタカルハが、慌てて体を起こす。

「大丈夫なのだ。シオリ…恥ずかしいから、あまりくっつかないで欲しいのだ。お胸が…」

「え? あら…いいのですよ、私たちは恋人同士なのですから」

「それならばなおさらなのだぞ。大切な恋人ならば、結婚するまで簡単にベタベタしてはいけないのだぞ」

「まぁ…」

タカルハの言葉に驚いた表情を浮かべたシオリは、柔らかい笑みを向けられて頬を赤らめる。それからのシオリは、優しいタカルハの態度にすっかり気を良くして、上機嫌で歩を進めた。



「それではタカルハ様、ゆっくり休んで下さいませ」

島の東で小さな宿を取った東の面々は、久しぶりの宿だからと、タカルハにも個室を用意してくれた。

「そうするのだ。シオリ、記憶の無い俺の面倒を色々と見てくれて、助かったのだ。優しくしてくれて、ありがとう、なのだぞ」

「そんなこと……当然のことですわ。おやすみなさいませ」

「うん、おやすみなのだ」



 シオリが去ると、タカルハはベッドに体を横たえて大きな溜め息を吐いた。

「疲れたのだ。体が重いのだぁ…」

目を閉じて、身動き一つしない。


 しばらくしておもむろに立ち上がると、そっと扉に近付いて耳をそばだてる。扉の先から、人の気配がする。


 静かにベッドに戻り、眉間に皺を寄せた。


「たとえ記憶が無くても、俺は馬鹿では無いのだぞ…」

呟きながら魔法のカバンを引き寄せると、そっと口を開く。

「これは魔法のカバンだ。シオリ達はこのカバンが空だと言っていたが…」


 タカルハは、ただ東の連中の言いなりになっていたわけではなかった。


 ずっと自分を見張る様な視線と態度を、不審に思っていた。三人の目を盗んで、そっと開けてみた魔法のカバンには、ぎっしりと色んなものが詰まっていたが、内緒にしていた。カバンの中身は、自分の宝物に違いないという確信。それを共有するには、シオリもヨサクもゴサクも怪しすぎた。


 船の上で盗み聞いた話では、三人とも、魔法のカバンが空っぽだと思っているようだった。名前を書いた魔法のカバンは、本人にしか使えない……自分はそれを知っている。だが、東の三人は、それを知らない。魔法のカバン自体を知らないのだろう。


 一緒に旅をしていて、そんなことがあるだろうか……大切な仲間に、魔法のカバンの事を秘密にするはずがない。


「俺だって、色々と覚えているのだ。魔法のカバンのことだって、西と東の大陸のことだって解る。ただ、人の記憶が無いのだ…家族のことも、友達のことも、自分のことも」

魔法のカバンを覗き込むタカルハ。


何も入っていない。空っぽのカバン……


「解っているのだ。島の東に来たから、魔法が使えなくなって、ただの空のカバンになってしまったのだな」


 タカルハは考える。中身が空っぽのカバンは、西に行かなければ中身が戻って来ない。それは、自分の記憶も同じなのではないだろうか、と。何も解らないまま、怪しい三人に連れられて、東に向かっては駄目だ。それではきっと、カバンの中身も自分の記憶も戻って来ない。


 自分のことが解らない不安はあるが、この魔法のカバンを大切に思う気持ちがある。それに、西の空を見上げる時に込みあげる懐かしい気持ち。東の事は何も解らないが、西には自分の大切なものがあるような気がする。


「行くのだ。絶対に…」

西の大陸に戻る決心をしたタカルハは、魔法のカバンを背負い、そっと窓枠に足を掛ける。


「シオリには世話になったが……、あのお胸は違うのだ」

お胸のサイズの違和感にも気が付いていた。

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