第32話 休息が必要

「両親の話は、後で詳しくしてやるから。今は、そっちのピンク…イザナに聞きてぇ。その前に、お前が記憶を奪われた話をササキにしてやってくれ」

「え、また? まぁ、いいけど」

頷いたイザナが、イシュバラで記憶を奪われた話をして聞かせている間、ササキは難しい顔をして聞いていたが、口を挟まなかった。


 話し終わったイザナが、まだ何か言いたそうに神成をチラ見している。

「イザナ、俺に何か言いたいことがあるなら言えよ」

「あのさ、さっきは関係無いと思ってたから言わなかったんだけど。俺がイシュバラで化けた死人っていうのが……サクヤって女だったんだ」

「は? サクヤって、どっちの? 俺の母親だっていう方か?」

「だと思う。大人だったし…サクヤは、イシュバラの外れ、北の山の麓に住んでた面白い女で、女王の妹だとは知らなかった。珍しい白マンと一緒にいるのも見たから、きっとお前の母親だよな。何度か会って話したことがあるから姿を借りたんだけど、死んでたなんて」

皆の視線が、神成に注がれる。


 きっと皆、考えていることは同じだ。神成は、そう思う。イザナは変身の魔法が使える。それならば、もう一度サクヤに変身することも出来るだろう。死んだ神成の母親に。

 ヘアヌード女優の写真では無く、本当の母親の姿が分かる。でも、本物では無い。それでは偽物の写真と何も変わらないじゃないか。それに、サクヤが母親だという話も、半信半疑だ。


「変身、しようか? サクヤに…」

おずおずと立ち上がるイザナ。

「止めろ! 止めてくれ…いいから…」

大声を出した神成に、神妙に頷いたイザナが腰を下ろした。


 震える神成の肩に、タカルハの手が添えられる。

「そうなのだ、いつだって見られるのだぞ。今度だっていいのだ」

優しく笑って見せたタカルハも、本当の母親の顔は知らない。神成は、タカルハにはすっかり心中が伝わっているのではないかと考える。それはすごく心強くて、有り難いことだ。


 ミナカタがわざとらしい咳払いで、場の空気を切り替える。

「んじゃ、話を戻すぞ。ササキは、イザナが言ったような玉を知ってるか? イシュバラは、人の記憶を奪う物騒な玉を作ったのか? イザナの話が十年以上前なら、今では大量生産されてるかもしれねぇな」

「それは、聞いたことがありません。記憶を奪う玉なんて、そんな恐ろしい物があるとは、噂ですら…」

「それは益々物騒なことだな。実際に有る物の存在が隠されている。つまり、内緒で使いたい放題をしている奴がいるってことだ」

 ミナカタの言葉に、場の空気がざわついた。人知れず記憶を奪うような奴らが、イシュバラに存在しているとしたら…想像しただけで恐ろしい。十年以上も草原で一人きりだったイザナのように、記憶を奪われたことすら忘れて一人きりだったら。


「イザナ、記憶を奪ったのはどんな連中だったんだ? 顔ぐらい覚えてねぇか? 少なくとも、そいつらは記憶を奪う玉の存在を知ってるはずだからな」

「そうだなぁ…顔は覚えてないけど、黒い服と青い服、それと…紫のマントの男と、顔を隠した女がいた。黒い服は、そこのササキのと似ていると思う。もうちょっと立派だったけど」

ササキが呻く。心当たりがあるのだろう。知っているならば話せ、という容赦ないミナカタの視線を受けて、ササキが口を開く。

「黒い服は、『沈黙の黒バラ隊』でしょう。服が立派だったのなら、隊長でしょうね。青い服は、『鉄壁の青バラ隊』ですかね。紫のマントは…十年前も今も、一人しかいません。女王陛下の側近の、ヤシミ様です」

「あぁ、ヤシミなら俺も知っている。全ての部隊のトップで、いつもナガヒ女王の護衛でくっついていた男だ。しかし、誠実で悪いヤツではなかったんだが…普通の人間だから、今四十歳代ってとこか」

顎に手を当てて、考え込むミナカタ。


「顔を隠した女というのは…解りません」

「ハハッ! 解るだろ、ナガヒ女王だ。自分が殺したはずの妹が現れたら、直接調べに出向くだろうさ。ナガヒ女王が死んだってのも娘が出来たってのも怪しいもんだ。夫と健全な関係があったとは思えねぇ」


 突然、神成が立ち上がった。

「あぁー、もう無理だ。覚えきれない。頭が付いて行かない」

新しい情報で頭がいっぱいで、破裂しそうだ。正直、両親の件だけでキャパオーバーになっている。

「まぁ、カミナリはそうだろうな。お前はちょっと休んでろ。後は、色々個人的に話した方が良さそうだ」

「うん、ちょっと散歩でもしてくるかな」


そう言って立ち去った神成は、夕飯にも顔を出さなかった。


 神成は歩く。小走りになる。ダッシュする。意味も無く、南へ向かう。ただ真っ直ぐにひたすら突進して、山に登り、川の流れを耳にする。


 そして神成は、特別なものを見つけた。



********************

 翌朝、朝食を用意していたタカルハの耳に、聞き慣れた音が響いた。


ポーン

―――――――――――――――――――――

カミナリからタカルハへ

 腹減った。南の山の煙が上がってる所へ飯を持って来てくれ。

あと、俺の魔法のカバンも頼む。

―――――――――――――――――――――


「マメ子―! 師匠から連絡が来たのだー! 飯を持って来いと言っているのだー!」

タカルハの大声に、飛んでくるマメルカ。

「良かったのです! 昨夜は、山の方からすごい地響きが何度か聞こえてきていたのです」

「俺も聞いたのだぞ。恐らく、苦悩した師匠が岩やら地面やらを叩き割っていたのだろう。また家出するのではないかと心配していたのだが、一安心なのだ」


 早速、魔法のカバンと食事を持って歩み出した二人の元へ、イヌマンのササキが駆け寄って来た。

「カミナリ様の所へ行かれるのですね? 食事ですか? 自分が持って行きましょうか?」

突然の申し入れに、眉間に皺を寄せる二人。

「なぜササキさんがそんなことをするのだ。お気遣いなく、なのだぞ」

「いえ…自分はやることも無いし、身の置き場が無いというか。せめてお役に立とうと」

「結構なのだ。師匠の面倒は、弟子の俺が見るのだぞ」

「いえいえ、そう遠慮なさらず」

「いいや、遠慮では無いのだ」

「いいえ、是非、自分に」


 いいや、いえいえ、と肩を並べて歩く二人。山の狼煙に向かって、二人の歩調は早まって行く。笑顔で肩をぶつからせながら歩む二人の後ろで、マメルカが含み笑いを漏らした。

「ふふふ、丁度良いのです…あたしは頭が良いのです」

マメルカは、夢中で歩を進めるササキの背中に跳び付いた。


 辿り着いた狼煙の元では、神成が河原の大石の上で寝そべっている。気配に気づいて体を起こし、にこやかに手を振って見せたが、眼前に来たタカルハとササキが荒い息を吐いているのを見て、顔を引きつらせた。

「何か、悪いな。随分と急いで来てくれたみたいで」

「べ、つに、急いで、無いのだぞ。弟子として、当然、なの、だ。普通なの、だ」

「そ、そうか…ありがとう。ササキまで連れて来たのか?」

「ち、違、のだ」

地面に座り込むタカルハと同時に、ササキも膝を折った。


 ササキの背中から身軽に飛び降りたマメルカが、呆れたように腕を広げて見せる。

「ササキさんは、勝手について来たのですよ。それで、タカルハさんとササキさんが意味も無く競い出して、最終的にダッシュで山を登ったのです」

「そういうお前は、なぜササキの背中に乗ってたんだ?」

マメルカは神成の問いには答えずに、片方の口の端を上げて見せた。


 神成が食事を終える頃には、タカルハとササキの息も整っていたが、当然のようにぐったりと首を折っている。タネいっぱいでお辞儀したひまわりよろしく、燃え尽きる寸前の哀愁が漂う。

「二人とも、疲れているとは丁度良い。あれを見ろ、俺が一晩かけた力作だ!」

立ち上がった神成が、大志を抱けのポーズで川の上流を指差した。

「何なのだ、いったい…」

顔を上げたタカルハの目に、今更、川から立ちのぼる湯気が飛び込んで来る。


 元気なマメルカが跳び上がり、軽やかに湯気の元へ走り出す。

「ふぁぁぁぁぁあ! 温泉! 温泉なのですよ! ちゃんと程よく深い、湯船になっているっぽいのです! 温度も熱めで良いですよー! 白い濁り湯、最高ふぁぁぁぁあ!」

「何だと? 温泉?」

「それは優雅な…」

鬼テンションのマメルカと違って、疲労した二人は四つん這いで温泉へ向かう。ようやく手を浸すと、弛緩した顔でふぅ~っと溜め息を吐き出した。


「いや、和んでいる場合では無いのだ。師匠、昨夜は一晩中、温泉を作っていたのか?」

「あぁ、そうだ。偶然、川に温泉が流れ込んでいるのを見つけて、掘ったり砕いたりせき止めたりして、作ったんだ、」

そこで言葉を詰まらせる神成。感無量といった表情で、再び口を開く。

「忘れていた…こんな大事なイベントを…。異世界と言えば、温泉とハーレム…温泉とハーレムなのだぞ、タカルハ君! そうだ、無いなら作れば良かったんだ! ふはははははは」

「そ、そう、なのだな」

おかしなテンションの神成に、もはや誰も何も言えなかった。


 温泉につかり、至福の吐息を漏らすタカルハ。湯船の外では、ササキが神成の背中を流している。それに気付いたタカルハの顔から表情が消えた。

「ん? ちょっと待つのだ。なぜササキさんが師匠の背中を流しているのだ?」

「あぁ、洗ってくれるって言うから。ササキも辛い立場だからな、少しでも役に立ちたいと言うから」

神成の言葉に、黙って二人を見つめるタカルハ。やがて眉間に皺を寄せると、ビシッとササキを指差して大声を出した。

「違う! 違うのだぞ、師匠! そいつは、役に立ちたいとかそんなんじゃないのだ。無職確定で主を無くしたから、新しい主人が欲しくてしょうが無いのだ。イヌマンはご主人様を欲しがる傾向があると聞く。師匠に懐いているのだぞ!」

「考えすぎだろ、タカルハ」

「考えすぎでは無いのだ! その証拠に、ササキの尻尾が揺れまくっているではないか。師匠のお背中を流せてご満悦なのだぞっ」

振り返ってササキの尻尾を確かめた神成の表情が、見る見るうちに変貌していく。


 大きく開かれた目と口、そして天を仰ぎ見る。 『野獣まで 3』

「おぉぉぉお…主人を欲しがるだと…イヌマン、イヌマン、イヌマン女子はどこだ! 甘えるネコマン女子に、従順なイヌマン女子はどこだ! あぁ、温泉作って良かった。最高のハーレムがここに誕生する」

「師匠…」 『野獣まで 2』

 神成の気の毒な姿に、もはやササキへの焼きもちも消え失せるタカルハ。ネコマン女子もイヌマン女子も、師匠と温泉にはつかるまいとは、とても言い出せない。人間の女にはモテるのだから、もう肉食系女子で手を打てば良いものを、タイプじゃないと跳ねのける神成はある意味カッコ良かった。 『野獣まで 1』


「あれ? そう言えば、マメルカはどうした?」

「野獣ならば、向こうの木に縄で縛ってあるのだぞ」

「お、おう。そうか」


『野獣 降臨!』

「我、男子の裸に、縄をも千切る! ふぁぁぁぁぁあ、カミナリさ―――ん!」

草むらから打ちあがったマメルカが、素っ裸で温泉にダイブした。


上がる水しぶきと男子の悲鳴。


「うおぉぉ、野獣、素っ裸の野獣がきた!」

拳を握る神成。

「し、師匠、落ち着くのだ! パニックの師匠が殴ったらミンチにっ」

「ふぁぁぁぁあ」

ギラついた目で神成をロックオンしたマメルカが、温泉から這い出して来る。


「うおぉぉ、怖ぇぇ! 貞子より怖ぇぇ!」

神成は金縛りのようだ。


「失礼いたす」

ササキの手刀が、マメルカの首元に叩き込まれた。


河原に大の字で気絶するマメルカ。


「使える男だな、ササキ。しかし、女の裸を見て縮み上がるとは思わなかった…」

溜め息を漏らしながら、神成は葉っぱを三枚取って来て、そっとマメルカの三点に載せて合掌した。

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