第30話 ネコイチの後悔

「確かに陰だけどさ。何だろうな…何か違うんじゃないか?」

迷いの森の外に佇む、神成とネコイチ。背後の木々の陰には、タカルハやマメルカ、ミナカタにネコマンに…極めつけは隠れきれていないボスゴリラマンが陣取っていた。どいつもこいつも潜む気などないようだ。


 意外にも、イシュバラからの使者は二人だけだった。今度は何バラが押しかけて来たのかと身構えていた神成だが、ポツンと佇む二人の姿を見て気が抜けてしまった。見通しの良い周囲にも、誰かが潜んでいる様子は無い。むしろ、殺気をたぎらせた大人数を潜ませているこちらの方が悪者に見える。

 使者が側にやって来て、前にいる人物が深々と頭を下げた。黒い制服を着た、長身の男だ。制服に合わせたような、黒い帽子を被っている。鋭い目も髪も黒く、タカルハのように筋肉質で、一般的な人間の男とは違っている。地味めでストイックな印象は、武骨な男を感じさせて好感が持てた。


 だが…と、神成は黒い男の後方にいる者に目を向ける。

「おい、そっちの後ろの男…お前、ミーカだろ。仮面を変えてもバレバレだ。何を企んでいるんだ。また俺を殺しに来たのか?」

質素なローブを頭から被った仮面の男。仮面は変わっても、体のくねらせ具合は健在だ。『苛烈の赤バラ隊』の副隊長、かつて神成が服をはぎ取ったり、群青オオカミの大群をけしかけられたりした因縁の相手。

「師匠! あいつなのだな!」

ミーカの名を聞いたタカルハが、木陰から飛び出して神成の後ろについた。同じように因縁のあるマメルカも、黙って続く。


「お待ちください! ミーカ副隊長は、盆地の方と知り合いだと聞いたので道案内に同行して頂いただけのことです。争いに来たわけでは御座いません」

黒服の男が、慌てたようにミーカを背中に隠した。

「知り合いも何も、そいつは俺達を殺そうとしたのだぞ? それに、ゴリラマン盆地に攻めて来た者だとも聞いているのだ。使者を名乗って、師匠やゴリラマンさん達に危害を加えるつもりなのではないか?」

いきり立つタカルハを押しとどめて、神成は溜め息を吐いた。

「取りあえず、落ち着いて話を聞いてみよう。でも、ミーカは信用出来ないから近づけないでくれ」

「はい、そのように」

頷いた黒服の男がミーカに小声で何か言い含めると、ミーカはわざとらしい舌打ちを響かせてから後ろに下がった。


「自分は、『沈黙の黒バラ隊』、隊員のササキです。そして、人ではなく、魔物でもなく、イヌマンです」

ササキはそう言って、頭から帽子を取った。

 鋭い眼つきの黒髪の武士のような男の頭の上に、猫耳が二本立っている。いや、イヌマンだと言うのだから、犬耳なのだろう。

「イヌマンね…ちょっとネコマンと区別がつかないけど、イヌマンっていうのは、イシュバラの味方なのか?」

神成の疑問に、ネコイチが口を開いた。

「いいえ、イヌマンは人間と仲良しなので、自分達の村を持たずに、大陸各地で人間に交じって生活しているんです。なので、イシュバラで暮らしている者がいても、イヌマン全てがイシュバラの味方というわけではありません」

「そうか…」

異世界でも、イヌは人間のお友達のようだ。しかも、ササキという馴染みのある名前が、神成に親近感を持たせる。


「イヌマンの自分だからこそ、今回の使者に最適だろうと派遣されたのです。まず、『潔癖の白バラ隊』が行った残虐行為は、女王陛下の命令ではありません。完全に、白バラ隊の暴走です」

ササキの言葉に、ネコイチの眉間に皺が寄る。

「で?」

黙ってササキを睨み付けるネコイチに変わって、神成が先を促した。

「それで、お優しい女王陛下は今回の事で、大変心を痛められておりまして、ネコマンに深く謝罪したいとおっしゃられて、自分を使者に立てました。白バラ隊は全員死刑を言い渡されておりますので、その刑の執行を、被害に遭ったネコマンにお任せしたいと」

「ちょっと待て、刑の執行のお任せって何だよ」

「はい。ご家族やご友人を亡くされたネコマンに、石打の刑を執行してもらったらどうだろうかと、女王陛下の優しいご配慮で…」

「待て待て! 石打の刑? ネコマン達に、白バラ隊が死ぬまで石を投げ付けさせるってことか?」

「はい」


口を開けたまま言葉を失う神成。

「仇を打たせてもらえる、ということですか?」

ネコイチの言葉に、さらに絶句する。

「はい。亡くなった方は生き返りませんが、せめて恨みを晴らして欲しいと」

「僕も行くにゃ! 仇を取るにゃ!」

木陰から躍り出たのはミカオだった。小さな子供の歪んだ表情に、神成の身の内で焦りに似た感情が膨れ上がる。


「止めろ!」

たまらず、神成は叫んだ。

「そんなことは駄目だ! 女王陛下の優しい配慮? どうかしてるぞ、そんな考え!」

神成の剣幕に、ネコイチとササキは口を閉ざす。

「お前には関係無いにゃ。これはネコマンの問題にゃ! 人間の味方のカミナリは黙ってろ!」

喚くミカオに、神成はいっそう顔を険しくしてササキを睨み付けた。

「おい、ササキ。こんな子供に、無抵抗の者に石を投げつけて殺させるのが、女王陛下の優しさか? 石打の刑なんか見たことないけど、どれ程酷い死に方をするんだ? それを子供にさせるのか?」

神成の言葉に、ササキは黙って俯いた。


「しかしカミナリ様、我々は自分の手で恨みを晴らしたい」

ネコイチの絞り出すような声に、神成はギュッと目を閉じる。

「それはそうなんだろうけど…ネコマンの気持ちは俺なんかが想像出来ない程のものなんだろうけど…駄目だ、残酷なことをするお前達なんか、見たくない。死刑にするなら、人間がすればいい。じゃないと、石を投げるネコマン達を見た白バラ隊の家族や、他の人間達が、ネコマンを憎むようになるんじゃないか? 自業自得だなんて、割り切れるもんじゃないだろう?」


 涙を滲ませて必死に訴える神成の様子に、ネコイチは何も言い返せない。

ため息交じりに口を開いたのはササキだった。

「石打の刑は、死ぬまでに時間がかかります。どす黒く変色した肌は腫れ上がり、裂けた皮膚からは血が滲みだし…陥没した頭に飛び出した目玉、逆に、すっかり腫れ上がって目を開けない者。折れた歯から流れる血が、唾液と混じって外れた顎を伝って流れる。酷い死にざまです」

淡々と述べたササキを、じっと見つめるネコイチ。

「いい気味だ! 僕、やってやるにゃ!」

鼻息を荒くするミカオ。大人たちは黙って、ミカオに悲し気な目を向けた。


「おい、ササキ…俺だ、解るか?」

重苦しい沈黙を破ったのは、木陰から姿を現したネコマンだった。名前を呼ばれたササキが顔を向けて、目を見開いた。

「お前、タキトか? なぜここに?」

「なぜって…俺は、ノモトと一緒にネコマンの村に住んでいたんだ」

「そうか…懐かしいな。何年ぶりだ? ノモトもいるのか」

タキトに歩み寄るササキ。どうやら久々の友との再会らしいが、笑顔を見せて手を広げたササキと違って、タキトは硬い表情で伸ばされた手から一歩下がって拒んだ。

「ノモトは死んだよ。白バラ隊に殺された」

タキトの言葉を聞いて、ササキも手を下げる。再会の抱擁は成されなかった。

「そんな…そんなこと…知らなかった…」

どうやら、ササキの友人もネコマンの村で犠牲になっていたらしい。


ドサッ


 突然の音に皆の目が向けられると、そこには地面に倒れ込んだミーカの姿があった。側に石が転がっている。石打の刑について議論していた場で、堂々と石を投げつけるような者がいるとしたら…。

「気絶させただけだ」

そう言って、ミナカタが木陰から姿を現す。神成が予想した通りの人物は、ズカズカと倒れたミーカに近付くと、顔面に何かの紙を貼り付けている。何のおまじないかと近づいた神成の目に、紙に書かれた文字が飛び込んで来る。


『お前は帰れ、クソ野郎』


ミーカへ向けたミナカタの言葉だろう。紙面でも口は悪いようだ。


「よし、じゃあササキは盆地へ連れて行くぞ。色々と詳しく聞きてぇことがある」

ミナカタに、力無く頷くササキ。ネコマンと一緒に犠牲になった友人に何を思っているのか、生き残った友人タキトへ向ける苦し気な表情に、神成もやるせなさを感じていた。

「コイツも殺しちゃえばいいにゃ!」

ミカオが倒れたミーカに駆け寄り、勢いよく脇腹を蹴りつけた。

「クソチビ助!」

ミナカタが拳を振り上げたが、ミカオを打ったのは意外な人物だった。


「ネコイチ…」

ミカオの頬を張ったネコイチに、目を見張る神成。予想外過ぎて、名前を呼ぶことしか出来ない。

「何すんだ! 何で、ネコイチさんが!」

打たれたミカオも驚いたのだろう。赤くした頬を押さえて、目に涙を溜めている。


 肩を震わせながら、口を開くネコイチ。

「今まで私は、我々は…ミカオが何を言っても叱らなかった。それは、大人の我々にも、ミカオと同じ気持ちがあったからです。助けてくれるカミナリ様達に感謝はしていても、どうしても人間に八つ当たりしたい気持ちがあった。それをミカオに代弁させて気晴らしをしていたんです。間違いだった…たしなめるべきだった…。残酷なことをされたからといって、平気で残酷なことをやり返す子供を育てるようなことはしたくない…そうでしょ、カミナリ様…」

神成は、ネコイチに頷いて見せた。

「うん。タカルハは、ネコマンが可愛くて大好きだと言った。俺もそうだ。だから…押しつけがましいかもしれないけど…酷いことをするネコマンは見たくない」

頷くネコイチ。


「よし、盆地に帰るぞ」

ミナカタの一声で、ササキを伴った面々は盆地へ引き上げ始めた。

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