第5話 堕ちる自我/混迷する判断


「…………」


 どのくらい経ったのだろうか。

 何も考えずただ座り込んでいたから、時間の感覚が曖昧だ。

 見上げた空が茜色に染められていることから考えると数時間は確実だろう。

 その夕焼けを背景に、何かが降りてくる。

 思考を放棄して座り込んでいた俺が、意識を取り戻して空を見上げる要因となったモノ。

 周囲に響き渡る重なり合った翼が羽ばたく音とともに、木々の隙間を縫って降り立った十数の人影。

 ……いや、”人”影ではないか。

 それは、白き翼をはためかせた少女たち。

 〈魔女〉を殲滅し、人類を守護するために生み出された生体兵器――〈戦乙女〉だった。



 □□□

 


 彼女たちがここにいる理由は明白だ。

 逃がしたお婆さんの通報によって知った〈魔女〉を殺しにきたんだろう。

 殺されたくはない……けど、そのためにどうすればいいのかがわからない。

 俺の気持ちを伝える手段として考えていた対話は、身体構造のせいで不可能だった。

 筆談も駄目だ。今の俺の両手は不器用で、文字を書くことなんて出来やしない。

 ……詰んでいる。俺が生き残る手段なんてものなどもう一つも……と言いたいところなのだが。実は、俺が生き残るだけでいいならば手段はある。ありはする。

 しかし、その手段は人として許容できない。それをしてしまったら、最早俺は……。


「……ここでごちゃごちゃ言ってても意味ないだろ。確かめちまえばいい」


 包囲する〈戦乙女〉の中から金髪で長身な女性が唐突に歩み出す。そのまま俺の方に近づいてきて……俺の首筋に巨大な刃が突き付けた。

 

「…………ァ」


 これまで数多の命を奪ってきたことを否応なく悟らせる、重厚な存在感と深く昏い輝き。

 そんな拭い切れない死の気配が、目の前にある刃を一度俺の命を刈り取った槍と大剣凶器にリンクさせる。


「おい……えろ。お前……人類に仇……か?そう……不便に……ないが、悪いよう……ない。だがもし……害……あれば……」

「ァ……アァ……ア……」


 息ができない。視界がぼやけ、思考が霞んでいく。

 ……また俺は、死ぬのか?

 人生において一番大きな苦痛を、命が零れる感覚を、自分という存在が損なわていく実感を。

 俺は、もう一度味わなければいけないのか……?


 〈戦乙女〉が何か言っているが、恐怖で一杯になっているせいでまったく頭に入ってこない。

 だが……最後のその言葉だけは、明瞭に耳に入り込んで来た。


「……お前を殺す」


 その瞬間、何かが崩れる音がした。

 それは理性や倫理などと呼ばれる、人を知的生命体足らしめる枷。それが壊れ、表に出てきたのは──本能だった。

 苦しみたくない。死にたくない。

 そんな生き物が持つ原始の欲求が、俺の心に溢れだす。

 その欲求を満たしたいのなら、どうすればいい?

 簡単なことだ。

 ――殺そうとしてくる奴を、殺せばいい。

 

「ん?……なッ!?」

「……ァア」


 仕留め損ねた。

 近づいてきていた〈戦乙女〉に怪腕を振るったのだが、間一髪で避けられた。

 完全に油断していると思ったのだが、やはり一度も戦ったことない俺と歴戦の〈戦乙女〉では戦闘経験に大きな差があるのだろう。普通に考えれば、勝てる見込みはない。


「……ア、ァァア……」


 しかし、俺の心の中に焦りや怯えの感情は芽生えなかった。

 それは、勝てる策があるからとか、負けて死んでもいいと自暴自棄になっただとか、そういった話ではない。

 ――今の俺に、そんなものがのだ。


「アァアアアアアアァ――!!」


 吞み込み切れない激情を吐き出すように叫ぶ。

 そうでもしないと身体が破裂してしまいそうだった。

 理性の枷を外したその時から、生存本能と共にどこからともなく溢れ出した感情。

 人間に、〈戦乙女敵の走狗〉に対して湧き上がる底なしの怨み、憎しみ、怒り。

 心の全てがそれに塗り潰される。発露された生存本能もそこに混じり、相乗的に殺意が膨れ上がる。

 

 ……自分の状態を他人事のように見つめながら、塗り潰される寸前の意識で〈魔女〉があれほど敵愾心を漲らせ人間を襲う理由に納得する。

 こんなものに心を占領されていたら、どうしたって人間への憎悪、嫌悪が沸き上がる。根絶やしにしなければ気が済まない。同じ地上に生きていることが許せない。

 今までの俺は人間としての理性が表立っていたおかげで奥底で眠っていたようだが……一度ここまで大きくなってしまっては、押さえつけることもできなそうだ。


 それになにより……塗りつぶされていない意識もまた、思ってしまっているのだ。

 こいつらは、俺を殺そうとしてるのだから殺しても良いのだと。

 そもそも、最初に〈戦乙女〉に攻撃をしかけた時はまだこれらの感情が沸き上がってくる前だ。その時にはもう、こいつらを殺すことを決意していた。

 そんな意識が、わざわざ抗うことなどする訳がない。むしろ、激情のままに殺すことが出来れば罪悪感を覚えることもないだろうと、歓迎すらしていた。

 そうしてドス黒い感情は瞬く間に広がっていき……俺の全てを呑み込んだ。



 □□□


 

 ――なぜ、こいつはこんな顔をしている……?

 件の〈魔女〉を見て、思わずこぼれた感想がそれだった。

 無表情であるはずなのに、涙など滲んでもいないのに、泣いているように見えてしまう。

 その姿は憎悪に塗れた【獣兵型】でも愉悦に嗤う【擬人型】でもなく、まるで迷子の子供のようだった。


『へぇ、ほんとに襲ってこないんだな……ま、それなら処理するのも楽ってもんだな。ちゃっちゃと片付けて帰るとするか』


 ひかるの声が脳内に響いてくる。

 《白翼》と双璧を成す〈戦乙女〉の基本兵装、《テレパシー・イヤリング》の効果である。

 言ってしまえば高性能無線通信なのだが、電波での通信だと【擬人型】によって簡単に妨害・傍受されてしまうので、その対策として開発された兵装だ。

 これが〈戦乙女〉ではない人間でも使えていれば、先日の上佐和市襲撃でも救援妨害などされなかったのだが……いや、過ぎた事を悔いても意味はない。

 今やるべきことは、目の前にある事態の収拾――つまり〈魔女〉の排除だ。


『待て、まだ攻撃するな』


 だが……私はそれを止めてしまった。

 論理的な思考があったわけではない。

 なんとなく、この〈魔女〉を殺してしまうことに躊躇いを覚えてしまった。


『はあ?なんでだよ、たいちょー。無抵抗の今が好機だろ?』


 当然、隊員たちからは疑惑の眼差しを向けられる。

 しかし香漣を筆頭に、私の言葉にハッとした表情を見せた者も数名いた。彼女たちも私と同じものを感じていたのだろう。


『……無抵抗だから、だ。【タマ】のこともある。可能なら捕獲するべきだ』


 【タマ】とは、先述の人間・〈戦乙女〉に敵意を持たずに懐いてきた〈魔女〉である。

 ふざけてるような名前だが、これは第一発見者である〈戦乙女〉が付けた仮称が定着してしまった結果だ。

 その発見から同じような状態の〈魔女〉がいた場合は捕獲する指令が出されているが、今の所2例目はない。


『でもこいつ、聞いてる【タマ】の特徴と全然違うぜ?少なくとも、友好的ではないぞ』

『……だが、敵対的でもない』


 それは煌の言う通りだ。

 【タマ】は、初遭遇時から懐いているペットのような態度で接してきたそうだ。

 しかし、こいつは唸り声で威嚇してきており、懐いているという感じではない。決して友好的とは言えないだろう。

 けれど、今のこいつは囲まれているというのに呆然自失と座り込んでいるだけだ。一般の【獣兵型】のように一心不乱に襲い掛かってはきておらず、この様子を見れば敵対が確実とも断言できない。


『それは、そうかもだけど……』

『……鎖月さつきはどう思う?』


 どう見ても納得していなそうな煌。

 煌は自分の意見をなかなか変えない性分で、こうやって議論していると中々決着が付かない。

 いくら動きが何もなくても、〈魔女〉の前でのんびりと議論している余裕などない。なので、状況を進めるべく私と煌とは違う意見を求めて、中隊長小隊長の議論に混ざることができるもう一人の小隊長、鎖月に声をかける。


『私はどっちでもー。お二人が決めたのに従いますよー』


 だがそんな私の期待は、鎖月のゆるゆるとした声で流されてしまった。

 ふわふわなショートボブの銀髪と常に眠そうな目が特徴的な鎖月は、そのパッと見の印象に違わず、掴みどころがない。

 意見を否定せず、さりとて肯定もせず、流されるまま生きているようなのに、どこか底知れない迫力を持っている。彼女は流されているのではなく、自分が楽をするために他人にのではないか……。たまにそんなことすら思ってしまう。


「……ここでごちゃごちゃ言ってても意味ないだろ。確かめちまえばいい」


 鎖月からはしごを外されてしまい、どうやって話を進めるか私が頭を悩ませている最中、煌が包囲網から歩き出す。

 どうやら、痺れを切らしてしまったようだ。

 特殊な挙動の〈魔女〉に気を取られて、煌の短気さに気を配っていなかったことを後悔する。が、もう遅い。一度動き出した煌は止められない。

 それに、煌は「殺す」ではなく「確かめる」と言った。この〈魔女〉が敵対しないか、自分で確認する気なのだ。内輪だけの念話ではなく、〈魔女〉にも聞こえる口で言葉を発したのもその一環だ。

 ならば、煌に任せてみても良いだろう。


「おい、答えろ。お前は人類に仇なすモノか?そうでないのならば、不便には感じるかもしれないが、悪いようにはしない。だがもし、お前が害を齎すモノであれば……」

「ァ……アァ……ア……」

「……お前を殺す」


 自身の愛剣を〈魔女〉の首に押し当てながら言葉を紡ぎ、最後にはドスの効いた低い声で宣言する煌。

 ……煌に任せたのは間違いだったかもしれない。

 こんなことをされたら、元は敵対の意志がなかったとしても心変わりして敵意を向けられるようになってもおかしくない。

 心なしか、鎖月が煌に向ける目も冷ややかなモノになっている。

 私は恐る恐る〈魔女〉に視線を向け――とっさに叫んでいた。


『煌!距離を取れ!』

「ん?……なッ!?」

「……ァア」


 〈魔女〉の腕が、さっきまで煌の頭があった空間を素通りする。

 ひとまず間に合ったか……。

 もう一度〈魔女〉を見る。

 その雰囲気が、座り込んでいた時から変わっていた。

 先程までの迷子を連想させる悲嘆さは鳴りを潜め、覚悟が――目的のためなら手を血で染めることも厭わないという、昏い覚悟が見えてしまう。


『やっぱり敵対的じゃねえか!』

『その引き金を引いたのは煌さんだと思いますけどー』

『私もそう思うが……こうなってしまったからには仕方がない。全員、戦闘態勢を――』


 煌が叫んだ台詞に、鎖月が緩やかにツッこむ。

 この状況では捕獲はもう無理だろう。

 指示を出そうとして……それに気が付いた。


「……ア、ァァア……」

(〈魔女〉が、苦しんでいる……?)

 

 何が原因か知らないが、好機だ。今攻め込めば、一撃で終わらせられるかもしれない。

 そのまま号令を発しかけて――


「アァアアアアアアァ――!!」

『ッッッ!!??』


 その雄叫びに、全てを破壊された。

 負の感情をひたすら詰め込んだような暗さ、重さ。本能へ直接叩き込まれた衝撃に、香漣も、鎖月も、煌ですらも時を止めたように硬直する。


『……ッ!全員、戦闘態勢!』

『……!』


 このままでは全てが終わる。

 そんな危機感と部下の命を預かる隊長としての責任感に突き動かされ、叫ぶ。

 皆の硬直が解かれ、弾かれたように臨戦態勢に移った。

 私自身も兵装である短刀を構え、息が詰まるような緊張感の中、〈魔女〉の全身が"変形"していく。

 

 巨腕は削られ、細身の腕の先に爪と掌だけが付いた、T字のような歪なシルエットに。

 巨腕から削られた塵は腰回りに纏わり付き、ガトリング砲とミサイルポッドが構築される。

 背中の甲殻鎧から身を覆い隠すほどの片翼が展開し、尻尾は枝分かれして鋭利な槍、あるいはレーザー銃となる。

 甲殻鎧が頭部まで侵食し、フルフェイスマスクが形成され……変形が完了する。


(こいつ、変形型タイプ:チェンジだと……!)


 その変貌を目にして、思わず顔をしかめてしまう。

 今までで数例しか確認されていない変形型は、タマほどではないが希少で特殊な〈魔女〉だ。一般的な〈魔女〉はそれぞれ固有の兵装を持つが、変形型は自身の兵装を状況・環境に適応したモノへとカスタマイズする。その特性上、戦闘面では万能を誇り、確認されている全てが規格外の強さだった記録されている。

 その本性をさらけ出した今、討伐は先程までと比べてとてつもなく困難なものとなってしまった。


(問答無用で殺しておけば……いや、過ぎたことを後悔しても今更だ)


 あの時はあの行動が最善だと思ったからそうしたのだ。それを悔いても仕方のないことでしかない。

 それよりも今は、こいつを殺すことを最優先で考えなければいけない。

 不可思議な言動といい、戦闘力といい、どこを取っても野放しにするには危険過ぎる。


「ゥ、ガァ、ガァアアアアッ!」

『ここで絶対に倒すぞ!攻撃、開始!』

『『了解!』』


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異形転生したら寂しさMAXになって、すごいチョロインになってしまった話 尾惹 甜馬 @akatuki357

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