第2話 生まれ変わった日

 ……音が、聞こえる。

 小鳥の囀りに、木々のささやき、小川のせせらぎ。

 そんな、どこか安心する音が聞こえてくる。

 はぁ……癒される……。

 ……でも俺、こんな音が聞こえてくるような場所で寝たっけ……?というか寝たっけ……?

 寝起きで呆けている頭を動かし、寝る前の出来事を思い出そうとする。

 その瞬間、胸を貫く槍を幻視し、そこから広がった熱さと痛みを感じた。いや、思い出した。


「ア、ァアアアアーーッ!?」


 思わず、叫びながら飛び起きる。

 あの時はその痛みの凄さと肉体の損傷故に、声に出して叫ぶことすらできなかったが、今は思い出しただけ。その分痛みは劣化した上に肉体は傷ついていないため、存分に、というのは変な表現だが、叫ぶことが出来る。

 

「ハァ、ハァ……。……?」


 ひとしきり叫び、とりあえずは平静になった。そうすると今度は疑問が湧いてくる。

 ……俺、死んだよな?

 最後に見た光景とその後意識を失くしたことを考えると、あの金髪の〈魔女〉に大剣で頭を潰されたはずだ。

 ……まさか、気絶させただけで俺を殺していなかった?いや、そんな訳ないだろう。

 とりあえず、身体に異常がないか調べないと……。

 ――って、は……?

 そんなことを思って自分の身体を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。

 なぜなら……見えたのが、自分の身体とは思えないモノであったから。


 記憶の中のよりも段違いに白く、滑らかな肌。

 白銀に真紅のメッシュが混ざった、腰まで届く長い髪。

 そして、服を盛り上げる豊満な胸部。

 それらは総じて、少女の身体の様に思える。

 それだけでもこれまでの身体ではないと判断できるが、俺の思考を止めたのは、それが一番の原因ではない。

 身の丈の半分以上ほどもある巨大で、刺々しく歪な両腕。

 背後から覗く、無機質ながら生物的にも見える尻尾。

 体を覆う甲殻にも似た鎧。

 それらは全て金属と生物の体が混じり合ったような不可思議な材質で形作られていて。

 ――これではまるで……。

 ……まさか、まさかまさか!?

 そんなことがある訳……!?


 ……いや、認めよう。

 認めたくはないが、認めないといけない。

 ――何の因果か、俺は〈魔女〉となってしまったと。



 □□□



 死んだはずの俺が〈魔女〉となっているとか、本当に訳が分からない。だが、現実として直面している以上否定することもできない。

 そこで一旦冷静になるためにも、俺はもっと詳しくこの身体を調べてみることにした。

 まずは、この両腕だな。

 とりあえずの印象は、先程言った通り“デカい”“歪”だ。

 普通の人間の腕は下ろしたとしても膝にすら届かないが、この腕は悠々と地面に触れられるレベルの大きさである。

 人間に見える部分とでは当然だが、鎧などと比べても無生物のような印象が強い。さらに、その歪な形が原因なのかは分からないが攻撃的な雰囲気を纏っているように見えることで、どこか“兵器”のように感じられる。 

 それでも俺の身体の一部であることに違いはないようで、感覚は感じる。だが、それは大分鈍く、何重もの手袋をはめているのと変わらないレベルだ。温度も感じにくくなっている。


 次は、尻尾。

 形状は爬虫類の尾のような円錐形をしている。

 こちらも〈魔女〉特有の物質で全てが構築されているが、両腕よりは生物的だ。といっても完全に生物とは言い難いので、あくまで比較して、だが。

 そして、こちらにも感覚があり、その上(当然といえばそうだが)動かせる。

 俺は今、恐らく全人類が体験したことのない尻尾があるという感覚を体験しているのだろうが……まったく嬉しくはないな。


 次は、人間の体部分だ。

 見まわしてみたり、腕が異形になっているのと女性の身体なんて触ったことがないせいで恐る恐る確認してみたりした感じだと、異形となっているのは肩から先の両腕と尻尾、あとは額に生えていた角だけだった。

 正直、思っていたよりも少ない。もっと異形率が高いのだと思っていた。

 恐らくその勘違いを生んでいたのが、この鎧だ。

 身体のほとんどを覆っている上にその形状が甲殻のようであったから、その部分も異形と頭の中で認識していたのだ。

 鎧が肌に張り付くように装着され、一体化しているように見えるのも勘違いを増長させている。

 だが、実際は装着されているだけであり、その下には普通の肌が隠れていた。

 で、その体はというと。体温は人並みで脈拍も人間の標準程度にあり、見た目に反せず、普通の人間の様に思える。

 総評として、普通の人間に異形が追加された、見た目そのままな感じだ。

 だが……それは恐らく違う。


「…………フッ!」


 おもむろに右腕を、思いっきり近くに屹立する巨木に打ち付ける。


 バキバキッ!!


 俺の右腕に耐え切れず、幹の八割が抉られる。

 幹という支えを失った巨木が俺の方に倒れこんでくるが、俺は避けなかった。

 当然、巨木はその重量のままに俺を激しく打ち付ける。

 もし、俺が見た目通りの普通の人間だったら、良くて重症、悪ければ即死だろう。だが……俺は、怪我どころか、痛みすらも感じられなかった。


「……ハァ」


 これで、『実はこれ、悪質なドッキリでした!女になっているのは眠らせて性転換させたからで、〈魔女〉みたいなパーツは全部似せて造られただけでーす!』みたいなこともなくなった。

 もちろん、それはそれですごく嫌だし非現実的ではあるが、〈魔女〉になっているよりは比べるまでもなくマシだろう。

 だが、人間の部分へと明らかに当たったのに、すり傷すらできていない。これはまさに“銃弾に当たっても弾の方が潰れるほどの異常な強度”という〈魔女〉の性質と瓜二つだ。

 ここまで事実を突きつけられたら、もう反論も出来ない。俺は、確実に〈魔女〉へと、人外へと変貌してしまった。


 ……自分の身体を調べることで当初の目的通り冷静にはなれたが、それに比例するように気が滅入っていく。

 『人生っていうのは、何があるかは本当に分からないモノだ。起きうる事態を想定して対策をするのも大切だが、一番大事なのは、想定してない事態が起こった時に、いかに早く心を切り換えて受け入れ、対応を始めるかだ』

 とは父さんの口癖で、小さい頃から聞かされていた俺もそれに倣おうとしていたが……流石に、これは想定外すぎでしょ……。

 ……まあ、心の切り替えは終わっていない、というか当分は終わる気がしないが、とりあえず対応は始めていこうか。



 これから何をするかだが……まずは人里を目指そう。

 理由はいくつかあるが、一番は“食料”だ。

 〈魔女〉が何を主食にしているのか、それどころかそもそも食事をするかどうかすらも知らないが、もし見た目の通り普通の人間と似た食事情の場合、俺に今最も身近な死因は餓死となるからだ。

 この〈魔女〉の身体の異常な耐久性なら、もし野生の熊や猪と遭遇したとしても、土砂崩れに巻き込まれたとしても、死ぬとは思えない。

 だが、もし生命活動用のエネルギーを人間と同じように食事で摂取していたとしたら、何も食わなかったら当然餓死もするだろう。それを防止するために食料を手に入れられる人里を目指さなければいけない。


 ただ、懸念がないわけでもない。

 それは、今の俺が傍から見れば紛れもない〈魔女〉であることだ。

 こちらに危害を加えるつもりはないが、外見が〈魔女〉というだけで襲撃に来たと思われてもおかしくない。というか、絶対に思われる。

 何も被害が出てなくても、『今まで同族が被害を出した』からという理由で人里に下りてきた熊が問答無用で殺処分されるのと同じだ。いや、出た被害の桁が違う〈魔女〉の方がもっと顕著だろう。


 どれだけ不確かな情報だろうと、『〈魔女〉らしきモノがいた』と分かったら、近隣の住民は全員、即刻避難。すぐさま〈戦乙女〉が急行してくるレベルだ。

 これは余談だが、住民が全員居なくなることを狙って嘘情報を流して空き巣を敢行しようとしたら、哨戒中の〈戦乙女〉に発見され、そいつは現代において最も重いとされるほどの厳罰を受けた。〈魔女〉関連は、一切の冗談も誇張もなく人類滅亡に直結しかねないのだから、それを利用しようとしたらどうなるかすら考えられなかったそいつが馬鹿過ぎるとしか言い様がない。もし法が認めていたら処刑されていた、とすら言われたほどの罪となったのは十分妥当だろう。


 人里に行っても殺されない策は……あるにはある。

 ただ、その策は策とも呼べないくらい確実とはいえないのがなぁ………。

 その策とは、ただ人間を襲わないことだ。

 何か恨みがあるのか?と思うほど、〈魔女〉は執拗に人間を敵視し、人間を見つければ必ず殲滅しようとする。

 たまに現れる、【擬人型ヒューマノイド】と呼称される〈魔女〉――異形度合いが低く、人間と同等以上の知性を持ち、人間に似た反応をする。恐らく、俺を殺したタマモやヤタガラスはそうだ――は、個体ごとにまた違った行動理念が付随するらしいが、それでも人間を敵視する本質は変わらない。人間に出会ったら殺すし、殺さなかったとしても、それはもっと大きな虐殺に繋げるための布石でしかない。また、人間を殺すことに精を出さず、自身の趣味に走る【擬人型】もいるらしいが、そいつらもその趣味のためならば容赦なく人間を虐殺する。


 つまり、人間に敵対しない〈魔女〉なんて存在しないのだ。

 だからこそ、襲わないだけでも十分に価値がある。熊や〈使い魔〉なんかが人里に襲い掛かってきて、それを撃退でもできればなお良い。

 要は人間に、「ん?こいつ他の〈魔女〉と何か違う?」と思わせられれば良いのだ。

 そこでこちらにコミュニケーションなり何なりを取ってくれれば、自分が元人間であること、敵対の意思がないこと、むしろ手伝う意思すらあること、だから俺を殺さないでくれ、といったことを伝えられる。それが伝われば、俺の未来も安定だろう。


 この最良ルートで唯一不安があるとすれば、伝わった上で「うわ、珍しい素体じゃん!捕まえて研究材料にするか!解剖とかしてみよ!」みたいにされることだな。「保護しますのでこちらの施設にどうぞ」なんて言われたら付いていくしかなく、そこで捕獲されそうになったら詰みだ。もしそうなったら全力で抵抗する所存だが、周囲を〈戦乙女〉で囲まれていたりすると普通にあっさり鎮圧されそうだよな……。


 また、「ん?何か違うかも?まあ、別にいっか。殺せー!」みたいなルートになる場合もありえるだろう。そうなったら、全力で逃げて、人里のない自然の中で生きていくしかない。

 あとは、違いに気付いてすらもらえず、〈魔女〉だからという理由で殺されそうになるルート。これも上同様、逃げて自然に居場所を求めるしかないだろう。

 

 

 と、こんな感じにどう転がっても問題があるのだが、だからと言って向かわない訳にもいかない。

 それにそもそも……人里に辿り着ける確実性もないんだけどな。

 現在位置も分からず、地図もコンパスもなく、土地勘もない。この状況では、人里のある場所など分かるわけがない。

 歓迎も捕獲も拒絶も、まずは人里に辿り着かなければ始まらないのだから、とりあえず人里を目指し、どうするかは見つかってからもう一度考えよう。実際に見た方が計画も立てやすいしな。

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