第1話 死亡した日

 上佐波市。

 人口13万人の中都市であるこの市は日本の首都である東京からそう遠くない場所に位置するが、開拓されていない自然そのままの場所が多く、それを売りにして都会から観光客を呼び寄せ、その収益で成り立っている街だ。

 東京から日帰りで行ける近さで本格的なアウトドアや自然散策が楽しめると、休日になれば他からの客で一杯になるのが普通だったが……その日は珍しく人々がおらず、静寂に満ちていた。

 いや、正確に言おう。

 その日も上佐波市は、人々で溢れていた。

 しかし彼らがいても、本来あるはずの喧騒は上がっていないのだ。

 なにしろ──彼らはもう、死んでいるのだから。



 □□□



「くそっ!一体、どうしてこんなことに……!」


 俺は鏡石 叶という名前の、ただの男子高校生だ。

 両親は高収入の事業家で、基本的には優しいが俺に非がある時は叱ったりと、愛情を持って育ててくれた。

 顔もそれなりによく、コミュニケーション能力が高いので友達は多いし、地頭が結構いいので少し努力すれば良い成績も取れる。自分で言うのも何だか、結構な勝ち組だ。

 けど、今はそんなことを考えている暇はない。

 何せ俺の視界に入ってくるのは──あちこちが破壊され、炎が燃え盛っている見慣れた街の姿。道端にはボロボロになった人々が打ち捨てられ、今のこの場所はまさに地獄そのものだった。

 ここから逃げるため、俺が必死に走っていると……


「あらあら、頑張るわね」


 ねっとりとした、聞くだけで背筋が震えるような声が、不意に耳元で囁かれた。


「なっ!?」


 弾かれたように跳びずさると、俺が先程まで居た場所に金髪の美しい女性が立っている。

 いや、確かに一目見た限りでは女性に見えるが、よく見てみるとただの女性とは、いや、人間とは思えない特徴があった。

 額から生える角に、体を覆う鎧にも服にも、あるいは甲殻にも見えるナニカ。それらは金属のような、生物の体のような、この世のものとは思えない不可思議な材質で構成されている。その上、纏うオーラは人間では纏えないような異質なものであり、それら全てが見目麗しい女性の印象を禍々しい異形へと変えていた。

 それらの特徴は全部、この世界に生きる人間ならば皆が知っている“奴ら”のもの。


「〈魔女ウィッチ〉……!」

「ええ、そうよ。あなた達人間を殺す、悪ーい魔女ですよ……ふふふふ!」


 何が面白いのかずっと笑い続ける奴を、この惨状を作り出した内の一体を、恐怖で震えそうな体を押さえ込みながらキッと睨み付ける。


 〈魔女〉の存在は知っていた。

 唐突に出現し人類を滅亡に追い込んで、〈戦乙女〉達との戦いで撤退してから30年が経ったとはいえ、未だに世界各地の都市を襲っては〈戦乙女〉が防衛のために戦闘を繰り広げている。そのため、世界中の人間が〈魔女〉は恐ろしい人類の敵である、という共通認識を持っている。

 しかし、いくら全人口の三分の一が殺され、滅亡の危機にあったと学校で習ってはいても、実際にその危険にあった訳ではない俺達には、その危険性が、怖さが実感できていなかった。

 〈魔女〉の襲撃があった時のための避難訓練をしていても、どこかで無意識に他人事だと捉えていて、きちんと心構えが出来ていなかった。

 それらのことを、今日本当に襲撃されるまで誰も気づいていなかった。


 〈魔女〉に襲撃されると人々は今までの訓練なんか忘れ、パニックとなり、我先にと逃げ出し……そして、殺された。

 剣で二つに両断された者。槍で頭を貫かれた者。鉄鎚で全身をペチャンコに潰された者。機関銃でズタズタのミンチにされた者。ミサイルで粉々にされた者。

 その死因に違いはあっても、どう足掻いても勝てぬ絶対強者に蹂躙されて死ぬことに、皆が一様に絶望し、恐怖していた。俺も一歩間違えば物言わぬ肉塊となっていたことだろう。

 俺が今もこうして生きていられるのは、運が良かったからだけだ。

 ただ闇雲に逃げるのではなく、人目に付かない場所に隠れることを思い付けたため、〈魔女〉に見つからず、大半の〈魔女〉が居なくなるまで生きていられた。

 それに、〈魔女〉の攻撃はシェルターすらも一撃で崩壊させるような代物だ。それが俺の隠れていた場所に来なかったからこそ助かった。


 けれど……その幸運も、ここまでみたいだ。

 今までの統計から言えば、〈魔女〉と遭遇して生きて帰れた人間の数は――0。

 それも当然だろう。人間との身体能力の差は絶大、抵抗した結果、何かしらの偶然でこちらの攻撃を当てられたとしても、銃火器ですら通らないほど頑丈なのだから何の意味もない。その上、敵意を持って明確にこちらを狙ってくるのだ。これから逃れられたら、それは最早人間とは言えないと思う。

 これから俺も、そうやって死んでいった先人たちと同じ道を辿るのは確定だが……だからと言って、そう素直に死んでやるもんか!

 今まで生きて帰った人がいない?なら、俺がその一番になってやる!

 もちろん、そんなことはどう足掻いても無理なことは分かっている。だけど、だからって生きることを諦めていられるか!


 そんな思いを込めて〈魔女〉を精一杯睨む。するとそんな俺の反応が予想外だったのか、目を見開き驚く〈魔女〉。

 もしかしたら、今まで殺してきた人間は全員、すぐに生きることを諦めて死ぬことを許容してしまい、俺みたいに抗おうとするのは珍しいのか。

 だとしたらこれは、〈魔女〉に一杯食わせたと言っても過言ではないかもしれない。〈魔女〉が予想もしないことで不意打ちをした訳だし。

 そう考えるとちょっとした高揚感が沸き上がってきて、そのおかげか先程から感じていた恐怖も少しマシになってきた。これなら、恐怖で心が折れるという事はなさそうだな。


 どうすれば生き残れるか、頭をフル回転させて打開策を考え続ける。

 しかし、さっきから〈魔女〉の動きがなさ過ぎてちょっと不気味だな……ずっと俯いたままだ。あ、顔を上げて……ッ!


「……ふふ、面白い。ええ、面白いわね、あなた。初めて、男を飼ってみようと思ったわ」


 ……やばい。俺、終わったわ。

 死んだんじゃない、

 さっきまでの〈魔女〉は、俺に意識を向けてはいても、興味を持っていなかった。

 言うなれば、雑草取りしている時に雑草を見ている感じ。

 目的のために意識はしているが、それ単体に何の意味も見出していない。

 それが、”俺”という存在に興味を持ちだした。

 しかもその興味の持ち方は、珍しい動植物か何かを見つけたような……絶対に、人間に向けるようなものではありえない。


「……あ、ああ……ッ、ぐ……!」


 反射的に歯を噛み締めて、力が抜けてへたり込みそうになった身体を支える。

 ヤバい、心が折れかけた。

 まあ、当然か。

 こんな圧倒的強者に、お前は面白いから飼ってやろうと言われて、平気でいられるほど俺の心は強くないんだから。

 そう、飼われる。人間的な尊厳など一切なく、餌を与えられて、ただ生きているだけの存在にされる。

 そんな未来が見えた。見えてしまったのだ。

 だが、ここで折れて諦めたら絶対に駄目だ。それこそ、その未来へと一直線に行くこととなる。

 気をしっかり持て!気圧されるな!

 そうして自分を鼓舞している俺を見て、〈魔女〉は更に笑みを深くした。


「ふふ、やっぱりイイわ。今までは外見重視で可愛い子ばっかり飼ってきたけど、貴方なら長く楽しませてくれそうね……って、あら?」

「……おい、何をしている、タマモ」

「……え?」


 突然後ろに出現した気配と声に、振り向こうとして──出来なかった。

 なにせ、のだから。


「う……あ、あ……」


 い、痛いイタイいたい痛い!!

 あまりの痛みに心の中で悲鳴が上がり続ける。

 それを知ってか知らずか、槍が引き抜かれ、それと共に地面に倒れ込む。


「またお前の悪癖が出たか。それに、今度は男?とうとう見境もなくなったか」


 うつ伏せに倒れたせいで見えないが、どうやらもう一人誰かが来たらしい。

 しかも、引き抜かれたとしても……いや、引き抜かれたからこそ増した痛みのせいで上手く思考ができない。体も動かせない。

 それでも何とか頭を動かし、やってきた誰かを見る。

 そいつもまた、美しい女性の形をしていた。

 最初からいた者とは違い、濡れ羽色とでも言うべき黒髪をしていたが……額から突き出る二本の角と、身に纏う異質な何かが、こいつもまた〈魔女〉だということを示していた。


「あーもう、ヤタガラスちゃん何してるの?せっかくコレクションに加えようとしたのにー」

「だからそれを止めるために決まっているだろ?今回は〈女王マザー〉から直々にこの街の人間全てを殺せ、と言われているんだ。さすがのお前でもそれを無視したら不味い」

「むぅ、そうなんだけどー」


 ヤタガラスと呼ばれた黒髪の〈魔女〉に、タマモと呼ばれた金髪の〈魔女〉が明らかに私、不満です!といった顔をする。


「まだ掃討も済んでいないんだ、こんな所で時間を食ってる場合じゃない。はやくこいつを殺せ、しないのなら俺が殺す」

「もう、分かったから!……という訳で、貴方を殺さなくちゃいけなくなったの。気に入ったから残念だけど……まあ、最期の言葉くらいは聞いてあげるわよ?」

「……じゃあ、一つだけ……言いたいことが、ある」

「ふぅん、何?」


 痛みで意識が飛びそうになるのを堪え、これだけは確実に言いたい言葉を紡ぐ。


「お前……俺に話す時と、こいつと話す、時……口調、変わりすぎ……だろ……」

「……は?」

「……ぷっ、あははははははッ!」


 俺の言葉に、ヤタガラスは呆気に取られたように口を開き、タマモは爆笑する。

 それこそ、俺が言いたかったこと。

 俺と話す時は尊大で妖艶な女性、といった所なのに、ヤタガラスと話すときは幼い少女のようになっていて、正直凄く気になった。それこそ、死に際の言葉として言うぐらいに。


「あははは、あー面白い。笑い過ぎてお腹痛い……やっぱり飼いたいわ、貴方。絶対楽しいもの」

「……おい」

「分かってるわよ。もちろん殺すわ。名残惜しいけどね」

「……はっ、殺るなら、早くしろ、よ」

「ええ、そうね。私を楽しませてくれたお礼に、苦しまずに殺してあげるわ。さようなら」


 そう言ったタマモの手にはいつの間にか巨大な大剣が握られており、それを片手で振りかぶる。


「……ああでも、もしかしたら貴方とはもう一度会うかもしれないわよ?」

「は?」


 その言葉に疑問を覚え、顔を上げてタマモを見ようとするが……その時には大剣が眼前に迫っており。

 その瞬間、俺の意識は途絶えた。



 □□□



「……何をしているんだ、タマモ」


 俺の同僚の──厳密に言えば家族や姉妹に近いが、俺は同僚と認識している──タマモが、先程その手で頭を潰した人間の身体に手を当て、《魔力マナ》で何らかの操作をしている。


「んー、ちょっとした細工?」

「……本当に何をしているんだ?」

「多分成功しないけど、成功したらとっても面白いこと、かな?」


 そう言ったタマモの顔は、無邪気で無垢な童女の笑顔にも、男を虜にする妖女の微笑みにも……あるいは、獲物を前に興奮を抑えられない猛獣にすらも見えた。



















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