待ち合わせ

「はぁっ、はぁっ、」


 私、こと斉藤美奈は走っています。それはもう、人生で最速最高の速度で走っております。今ならかの陸上界の伝説、ウサイン・ボルトにも大差をつけて勝ってしまうかもしれません。金メダルは日本のものだ! 農耕民族万歳! いや、亀のように歩みの遅い私のことです、そんなことはありませんね。調子に乗りすぎました。ところで私はなんで走っているのでしょうか? 皆さんのために少しだけ時間を遡ってみましょうか。


 ◇ ◇ ◇


 目覚ましの音が遠くの方から聞こえます。


 もう少し寝ていたい。


 私の手は目覚ましの音の方へと伸びていきます。

 私の手が何かに触れ、それをカチッと押しました。と、同時に目覚ましの音がやみました。


 これでもっと寝れる。


 私の意識は再び深いまどろみの中へと、、、







 落ちてはいきませんでした。


「え! やばい!」


 私は布団を家の外に吹き飛ばすぐらいの勢いで飛び起きました。

 今日は土曜日。つまり明日は日曜日。いつも通りの土曜日なら別にこんなどこかのコントみたいに飛び起きる必要なんてありません。私が今日飛び起きたのにはちゃんとした世間様に認められる立派で特別な理由があります。


 デートです。



 待ちに待ったデート。私の中の王子様を私が一日中独り占めできる日。もうそれはそれは言葉なんて意味を失くすほどのかっこよさなんですから、あの人は。ほんとはもっと彼のことについて話していたいんですけど残念ながらそんな時間の余裕は私には許されていません。



 時刻は八時半。 集合時間は十二時半。



 朝に弱い私のために彼が少し遅めに合わせてくれたんです。優しいでしょう? だって私の王子様ですから。いけないいけない。早く準備をしなくちゃ。

 え? まだまだ時間はあるじゃないかって?

 そんなことはありません。灰だらけの少女が王子様とお出かけするためにはたくさんの時間が必要ですから。彼のためならずっと準備していられます。時間なんていくらあっても足りません。


 そんなこんなで身支度を終え、戸締まりの確認をしっかりして家を出た頃にはきっかり時計は十二時を指していました。メイクはバッチリ。もちろん忘れ物の確認もしましたし、服もこの日のためにわざわざ新調しました。紺色のGLACIERのフレアスカート、それに茶色のランダムリブ五分袖ニットを合わせてみました。鞄はミッフィーのTOTOバッグで少しかわいらしさを演出。色はベージュ。靴は白のCONVERSEのスニーカーでたくさん歩いても疲れないように。ファッションセンスがないなりに自分に似合うようにコーディネート。友達の力も少し借りたのは内緒の話。褒めてくれるといいなあ。



 ◇ ◇ ◇


 時間通り、いや五分前に待ち合わせ場所についた私は王子様来ないかなー、早く会いたいなー、どんな格好してくるのかなー、どんな格好でもかっこいいけどなー、などと人に頭の中を覗かれたらその場でうずくまってしまうようなことを考えていました。



 ピコン



 鞄の中から聞き慣れた電子音がしました。ごそごそと鞄の中から携帯を取り出し確認するとホーム画面に愛しの彼から一言。


 ついたよーどこー?


 もうこのメッセージを見たときの私の心臓はバックバクです。もうこのまま死んでしまってもいいかも。いや待て斉藤。あと少しで王子様に会えるんだ。こんなところで死んでたまるか。死ぬなら王子様の腕の中だ。

 妄想が膨らんでいく頭はいったんよそへ置いておき私は彼に電話をかけました。


 彼はすぐに出てくれました。


「あっ、もしもし」


 声まで余すところなくかっこいい。


「はい、もしもし」

「駅に着いたんだけどどこにおる?」

「言われたとおり金時計のところ」

「服装は?」

「紺色のスカートで上は茶色の服着てる!」

「おっけー、探すわー」


 探すって表現好きだなー。私はぼんやりそんなことを考えていました。

 つながったままの電話から彼の呼吸音が聞こえてきます。それなりに人通りの多い駅の中で彼の息づかいだけがいやにはっきりと聞こえます。

 ぼーっとしていた私はここであることに気がつきました。

 金時計ってなんかもっと縦に長かったような気がする、、、?

 ここで私は自分のミスに気がつきました。


「あっっっ!!」

「どうした? なんか忘れ物でもした?」

「これ金時計じゃなくて銀時計だ!!」


 自分の顔から血の気が引いていくのがわかりました。


「ごめん!!」


 私は携帯を鞄に突っ込み、猛然と走り始めました。


 ◇ ◇ ◇


 そんなこんなで今私は走っているのです。


 ぴろいろいんぴろいろいん


 また鞄の中から音がします。この着信音は彼です。私は走る速度をいったん緩め、電話に出ました。


「もしもし!」

「急がなくていいから、転ばないでね」

「え?」


 私は思わず足を止めてしまいました。


「転んで怪我なんかしたらデートどころじゃないでしょ?」


 なんていい人に会ったんだろう。


「うん、」

「だから急がなくていいよ、ずっと待ってるから」


 私はその言葉に、うん、と一言だけ返事を返しました。


 そして彼の待つ本当の待ち合わせ場所に向かって歩き始めました。

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砂糖とか、たまにコーヒーとか 解説書 @akimboby

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