第14話 彼氏

 それからも、高坂と佐伯は狭い車の中で自らの情報を相手に開示しあった。もちろん高坂は自分が“死神”に取り憑かれ、あなたを殺す為に一昨日と昨日の深夜に部屋に侵入したことは全く口にしなかった。

 交換したのはあくまで学校に関するもの、それは卒業アルバムを見せ合う様なものだ。


「あっ……」


 高坂が目を覚ましてから20分が経過した頃に、佐伯の携帯が着信音を響かせた。恐らく、痺れを切らした佐伯の父親だろう、と高坂は予想する。

 着信画面を見た佐伯が気まずそうに高坂の顔を伺ってきたので、どうぞ、と言って電話に出ることを促す。

 佐伯は躊躇いがちに受話器のボタンを押した。


「あの、けーくん。今、生徒のこと一緒にいるから後で掛け直すね」と、佐伯は口元を手で隠す様にして小声で通話相手に言った


 けーくん? その愛称に高坂は首を傾げる。もしかすると、それは疑念を感じる程おかしなことでは無いかも知れない。仲のいい兄弟から電話がかかってきたのだろう、そう考えるのが妥当だった。

 しかし高坂は、佐伯の家には佐伯の両親と父親の兄弟が3人しかいないことを知っている。別居している兄弟ということもあり得るが、先程の談笑の中で佐伯は、自分は一人っ子だと言っていた。

 けーくんなる人物の声が微かに電話口から漏れる。黒い靄を纏っていれば聞こえたかも知れない小さな音からは、今の高坂では何も情報を得ることはできない。


「バッ……違うから! そーゆーんじゃない。変な意味はないから。……。どこって……近所のコンビニ。……うん、わかった、今度会った時に説明するから。はいはい、じゃーねー」


 早々に通話を終えると、佐伯は気恥ずかしそうな顔で高坂を見た。見られたくないものを見られた、という顔だった。佐伯の感情は、表情から簡単にうかがい知ることができる。


「彼氏いたんだ?」


 高坂はある程度の確信を持って訊いた。学校で佐伯が生徒に質問責めにあっている時、高坂はうたた寝していたため鮮明に覚えているわけではなかったが、確か佐伯は彼氏がいないと言っていたはずだった。

 その事に若干の罪悪感があるのか、佐伯は薄く肯いた。


「…………佐伯さん、彼氏について教えてよ」


 高坂の質問に、佐伯は片眉を釣り上げ、もう一方の眉を沈めた。その後に人を揶揄からかう為の、口角を無理に上げた笑みを貼り付けた。


「へぇ〜、高坂くんみたいな子でも気になるんだ。ちょっと意外。達観している様に見えて、やっぱり年頃の男の子なんだねぇ」


 どこか嬉しそうな声でのったりとした話し方をする佐伯に、高坂は嘆息した。両親を生き返らせた後、幾ばくもなく罰を受けて苦しみのうちに死ぬであろう高坂に、恋情などあるはずがなかった。うつつをむかす暇があれば、高坂は一人でも多くから“残り時間”を吸い取るだろう


「……そう言う事じゃないんだけど」一度否定してみようと試みるが、無駄だと悟る。「はぁ……いや、それはどうでもいいや。佐伯さんはいつからお付き合いを?」

「いつから……?」そう言った佐伯は視線を虚空へと浮かべた。「小学生の時からかな、確か4年生」


 視線が「でも、どうしてそんなことを?」と疑問符を投げかけてくる。

 しかし、高坂はその視線に応える訳にはいかなかった。佐伯と視線を合わせることはできない。何故ならこれは“死神”に関することなのだから。

 動悸が忙しく高坂の心を掻き立て、胃の下に溜まっていた黒い何かが重量を増す。

 高坂は佐伯から大きく目を反らして、足元を見た。佐伯の視線から逃れる為か、身体を巡り始めた疼痛に密かに耐える為か。或いは、高坂は無意識のうちに、足元に巣食う闇に“死神”を求めていたのかも知れない。

 平時、あれだけ毛嫌いした“死神”お象徴となる闇を、高坂は丹念に見つめてしまっていた。


「高坂くん……? やっぱり体調が良くない? 病院行こうか?」


 嫌に遠くから声が聞こえる。


「そんなことより、佐伯さん。もう一つ質問させて欲しいんだ」

「質問って……高坂くん、顔色が悪いよ。病院行こ?」

 高坂はかぶりを振ると「大丈夫」と呟く。


 高坂の耳に佐伯の声はあまり届いていなかった。代わりに、まざまざと蘇る“死神”の声が頭を支配していた。


『選択肢ってのは一見、無数にあるように思える。だがな、選ばれる1つの選択肢ってのは初めっから決まってるし、それが変わることは無い。既に選ばれている正しい1つにオマエがいつ行き着くか、選ばれることの無い選択肢にオマエがどれだけ惑わされるのか。兎に角、人間の時間は短い。それは念頭に置くべきだろうな』


 低い声や高い声がいくつも綯い交ぜになった、聴いたそばから内容だけを残して忘れてしまう様な声。


「佐伯さんはもしかして」


 高坂が辿々しく言葉を紡ぐ。

 今、既に選ばれている一つの選択肢に高坂はたどり着こうとしていた。

 できれば、見当違いであって欲しい。高坂は頭の中で練り上げた予測を、質問として体外に吐き出そうとした。


「5年くらいの間の、記憶が無いんじゃないかな」

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