天霧玲という少女

 

 卒業。


 それは一度学校に入ったことがある者ならば、最後には必ず訪れる別れの儀式。

 親しかった友人、大好きだったあの子、うざかった教師、育んできた絆が途切れ、また新たな絆を結ぶために。

 体も心も大きく成長した子供達はこの古巣を飛び立って、新たな舞台に旅立つ。


 式典終わり、教室では男子は少しばかりふざけ合い友情を確認し、女子は別れて離れ離れになる寂しさから泣きじゃくる姿が見受けられる。それにつられ、教師や保護者ですら感動したように涙ぐみ――


「ううぅぅ……!り、立派になってね!ロアちゃん!お母さんは嬉しいよ!」

「……いっちょ前にいい男になったな、ロア!」


 ハンカチを口元に当て嗚咽を上げる母上と目元を大きな手で覆い天井を仰ぐ父上。

 感動している代表者はどうやら家の両親だった。


 ……なんというか、相変わらず感情豊かな家族だ。

 

 いつものように悪目立ちしているではないか。

 まぁ、もう授業参観や体育祭などで慣れっこになった感は否めないので別にどうとも思わないが。


「……」


 教室の後方で両親がそんな状況の中、俺は唐突に横から視線を感じた。

 ちらっと振り向けば、そこには六年間俺と同じクラスだった天霧玲が俺から目を離さず、強烈な眼光で睨みつけるようにじっと見つめてきていた。


 こ奴はこ奴であの侵略者に遭遇して以降、俺への態度がおかしいのである。


 なぜか喧嘩を吹っ掛けなくなってきたのだ。最初はついに身の程を知ったのかと喜んだのだが、どうもあれ以来変に観察するように凝視してきたり、一緒に行動を取りたがるようになったり、果てにはまたもストーカー紛いのように追いかけてくるようになったりと、結局以前よりもめんどくささが増したのである。


「おい、なんだ?」

「……」


 しかも、俺からこのように話しかけても、なぜかプイッとそっぽを向いて顔を赤くし、口を閉ざすのだから、何がしたいのか分からない。

 前は憎まれ口でも返事が出来ていたのだから、せめて言葉を返してほしいものである。

 

 ほんと最後までおかしな奴だ。



 ◇



 ボクにお母さんはいない。物心が付く前に死んでしまったからだ。だからボクの親はお父さん一人だけということになる。だけど、そのお父さんもよく仕事で世界中を回ってるので、家にいることが少ない。その為、ボクの世話はよく家政婦の三田さんがしてくれていた。


 寂しくないのかと言えば、嘘になる。

 でも、それ以上にボクの我儘でお父さんを困らせることが嫌だった。


 人によっては、親なのに子供を放置して、仕事三昧なんてひどい!なんて思うかもしれない。

 が、それも仕方のないことなのだ。

 ボクのお父さんは世界を救う英雄の一人なのだから。

 

 討滅師であるボクのお父さんは日々その体を張って世界の平和を守ろうと東奔西走し、多くの侵略者を討伐しては、人々を救ってきた。

 テレビでその活躍を見ては、やはりいつも嬉しくなり、また誇らしい気分になる。


 ボクのお父さんはすごい!

 ボクのお父さんはかっこいい!

 ボクのお父さんはヒーローだ!


 幼い時からずっとそう思っていたからか、いつしかボクはお父さんが目標になっていた。

 討滅師となって、お父さんの横に並び立つことがボクの夢になったのだ。


 最初、その夢を言った時はお父さんに猛反発され、反対された。

 やれ『お前は女の子なんだから駄目だ!』とか、やれ『異能も発現してないひよっこがほざくな!』とか、とにかくめちゃくちゃ強く叱られたものである。それでも、ボクの覚悟を聞いて、最後には仕方なく諦めた様子で認めてくれた。


 まぁ、おそらくはボクが珍しく泣き叫んで駄々をこねたからという理由が大半なのだろうが……。


 そういうわけで、それからボクはお父さんに様々なことを師事し始めるようになった。

 体力や筋力作り、武術、勉強、戦闘訓練、異能の行使――死と隣り合わせの危険な仕事に就きたいからこそ、普段はボクに甘いはずのお父さんは厳格にボクへの特訓を施した。

 

 時に勉強の厳しさに泣いたり、時に模擬戦時の威圧で怯えたりとお父さんはボクの覚悟に本気で向き合って付き合ってくれた。おかげで、今ではかなりの力が付いたと思うし、タフな精神力を得られたと自負している。


 だけど、そんなボクの自信も上終ロアという人物と出会って、木っ端微塵に壊れた。


 あいつと会う前は、ボクは他の子供とは違う、いずれ世界も救う英雄の一人となる人物なんだ、と悪く言ってしまえば子供ながらに気が大きくなって自惚れていたのかもしれない。だからこそ、小学校に入学した当時、正直言ってしまえば周りの能天気な同世代を見て、心の中でバカにしていたし、舐めてもいた。


 上終ロアと初めて出会った時も、親に甘えるような顔つきで手を振るあいつの姿を見て、全然男らしさの欠片もない姿に、きっと体も心も軟弱な弱虫なのだろうと、そう思った。また親が来ていなかったボクとしてはちょっとした嫉妬心も合わさって、つい心の声が漏れてしまったのだ。


 でも、それは完全に間違いだとすぐに気づかされることになる。


 その後、すぐにあいつの罵倒に憤ったボクはいとも簡単に地面に転がされた。

 自信のあった拳を簡単に避けられ、無様にも滑って地面に倒れたのである。

 つまらなそうな瞳に見下ろされ、身が震えるほどの悔しさを味わった。


 それからだ。ボクが上終ロアに毎日挑むようになったのは。


 ただ受けた屈辱を清算しようとがむしゃらになっていた。

 だが、それ以上にあんな親に甘えてばかりの軟弱な奴に負けるわけにはいかないと、あんな能天気そうな奴に負けていてはお父さんに並び立てるはずもないと、自分の内に燻る焦燥感に駆られて必死になっていたのも確かではあった。

 

 しかし、どんなにボクが毎日上終ロアに喧嘩を吹っ掛けても、最後にはいつも簡単に地面に転がされ敗北を突きつけられた。あのすかしたような生意気な顔を思い出すと、悔しさやら不甲斐なさでいつもむしゃくしゃして、より無我夢中で修行に取り組んだものである。

 

 そんなある日の朝のこと、ついにボクにも異能が発現した。

 体の奥底から溢れる力と超常の現象を引き起こす異能に、ボクは何でもできるといったような全能感を感じた。

 これであの憎き上終ロアも倒せると。


 ――でも、結局はその日もただ何もできずいつも通り粛々とした光景がその場に広がるだけだった。

 ボクは最後まで上終ロアの足元にも及ばなくて。

 見慣れたあの目をあいつに向けられて。


 異能を発現した喜びも一瞬で無くなるほどのショック。

 そして気がつけば、ボクは上終ロアのストーカーなどという愚行に打って出ていた。


 ボクはこんなにも努力しているのに、なぜ何もしていなさそうなあいつに勝てないのか。

 もしかしてあいつは何か卑怯なことを行っているのではないのか。

 そうだ、きっとあいつはズルしているに違いない。

 

 兎にも角にも、色々な想像をしては自分を正当化しようと躍起になっていたのだ。

 

 ――その結果、不覚にもボクはその当時少し話題になっていた連続少女行方不明事件の犯人に攫われることになる。


 何とも間抜けな話だ。

 嫉妬に狂って、何も見えなくなって、冷静な判断を失い、犯罪者に誘拐されるなど、自業自得の極みである。

 

 そんなバカバカしいボクを助けたのも、結局は大嫌いなあいつだった。

 普段はいけ好かない奴だと散々嫌っていた相手に助けられるなど正直かなりの屈辱ではあったが、それ以上になぜか凄い安心感が芽生えた。


 これで助かる――迷いもなく、なぜかその時は簡単にそう思えた。


 今ならわかるが、ボクは心の内で上終ロアの実力を認めていたのだろう。

 実際、あいつはあの異能犯罪者の男を簡単に倒していたし、何よりもその後に突然として現れた最下級の侵略者すら、いとも容易く殺して見せた。

 

 あの力はどう見ても、異能に由来するもの。

 上終ロアはボクなんかよりもずっと早くに異能を発現した異能者であった。


 それを知ってから、ボクの中にあった強烈な嫉妬心は純粋な憧憬へと変わった。

 自分でもなんて単純な奴と思わなくもないが、あの時の空気が、あの時の背中が、あの時の見せた力が、何もかもがテレビに映るお父さんと重なって見えて、気がつけばそれまであったあいつへの負の感情は不思議なほど綺麗に消えていたのだ。


 それからの毎日は上終ロアの観察ばかりしていたと思う。

 おかげであいつからストーカー呼ばわりされ、ドン引きされたのは自分の中でも黒歴史ベスト5に入る出来事であったが、ボクはそれでも止めようとはしなかった。

 

 どうしても追いつき、そして超えたい一心で。

 果てに、お父さんの背中がある気がするから。


 それはたぶんこれからも変わらない。


 でも、やはり見ているだけであいつの背中に届くほど強くなれるはずもない。

 だからこそ、ボクはより激しい競争の世界へとその身を飛び込ませる必要があった。


 小学校の卒業と同時に、ボクは討滅師育成学校に入学する。

 

 ここで上終ロアとは道が分かたれることになるだろう。

 あいつはいつでも討滅師になって、活躍できる逸材だ。

 しかし、ボクはまだまだあいつの足元にも及ばない。


 だけど、日本で最も過酷な環境の学校で揉まれることで急成長できたなら。

 再会した時、きっとボクは少しでもあいつの背中に手が届くような気がする。


 だから絶対――

 

「――君に追いついて見せるから」



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