覇王様、遭遇する①
「お兄ちゃん!起きて!」
ゆさゆさと揺れる衝撃と共にまだ少し舌足らずが抜けない愛らしい声が部屋に響く。
寝ぼけ眼で視線を向けると、目の前にはニコニコと微笑む我が妹が。
「……おお、アリス。起こしに来てくれたのか?」
「うん!ママが早く起きてって!」
「そうか、ありがとな。今起きるから」
まだ六歳だというのに何ともできた妹だ。
完全に意識が覚醒した俺は布団を取っ払い、ベッドから起き上がりながら、視界に映る笑顔のアリスを見て、そんなことを思う。
3K(可愛く、賢く、気が効く)を全て兼ね備えているとかほんと至高。
改めて妹への愛らしさを再確認した後、リビングに向かうと、すでにテーブルでは母上が朝ご飯を並べており、椅子には父上がコーヒーを片手に新聞を読んでいた。
「あら、ようやく起きたのね、ロアちゃん。おはよう」
「お!おはよう、ロア」
「おはよう、母上、父上」
リビングに入ってきた俺に気が付いた母上と父上が挨拶をしてくる。
俺もそれに返事を返して、テーブルに四つある椅子の一つ、父上の正面の席に腰を下ろした。
アリスも俺に続くように隣の椅子にピョンと飛んで、座ってくる。
……可愛い。
母上はテーブルに各人の朝ご飯を並べた後、自分も父上の横の席に着いた。
父上は準備が整ったのを見て、新聞を仕舞う。
そして、俺達は一斉に「いただきます」の挨拶を行った。
俺の目の前にはご飯に味噌汁、焼き鮭、漬物と何とも日本の朝のオーソドックスな朝食が広がっている。
この日本という国に転生してきて、一番に感謝していることは食がかなり充実していることだろう。
前世、どこの国よりも進歩した技術や文化を持っていた覇国の王であった俺でさえ見たことも食べたこともない料理が溢れている。
近くにあるコンビニでも、歩いて数分のところにある格安の飯屋でも、どこへ行っても料理が上手い。
何より、母上が作る料理はこの世のすべてに感謝しても足りない程、最高に素晴らしい。
覇王時代よりも質素とはいえ、作ったばかりの暖かな料理は当時の冷めた味気ない豪華な料理よりも格段に新鮮で俺の心を安寧と幸福で包んでくれるのだ。
「ふふふ、ロアちゃんはホント毎日おいしそうに食べてくれるから嬉しいわ」
「こんなにもおいしいのだから当たり前だろ、母上」
「あらあら、嬉しいことを言ってくれるわね!」
母上が喜ぶ姿を見てか、隣のアリスも手を高らかに上げて俺を真似る。
「ママ!ママ!アリスもおいしいと思うの!」
「うふふ!アリスもありがとう!嬉しいわ!」
母上の視線がちらちらと父上にも向けられる。
その目が如実に感想を求めていると分かってか、父上は少し恥ずかしそうに口を開いた。
「……もちろん俺も亜紀の作る飯は世界一だと思ってるぞ?」
「うふふふ!私もアルが世界一よ!」
「亜紀……」
「アル……」
結婚して随分と経つのに、新婚夫婦さながらの二人である。
まぁ、夫婦仲よろしいなら別に問題はない。
これこそまさに平穏そのものではないか。
孤独な玉座も、恭しすぎる臣下も、煩わしい敵も、何もない。
ここには俺が求めてやまなかった光景がある。
ああ、転生してほんとによかった。
と、俺が改めて日常の幸せを噛みしめていた直後だ。
流していたテレビから何やら気になるニュースが聞こえてきた。
『――埼玉県朝霜市で起こる謎の連続少女行方不明事件にて、また一人新たな行方不明者が増えたことが判明しました。行方不明となったのは南原町に住む小学三年生の女の子で、一昨日の朝に小学校に登校して以降、行方が分からなくなっているそうです。現在までのこの事件の被害者は六人。いずれも六歳から十二歳までの少女達であり、警察は事件性があると鑑みて、依然捜索を続行中とのことです』
南原町か……俺の住んでいる町じゃねぇか。
「ママ!パパ!ここアリス達のお家あるところ!」
「……ええ、そうね」
「……」
アリスはまだニュースの内容をあまり理解していないからか、テレビに映る街の光景にはしゃぐ姿を見せるが、母上や父上からすればあまり笑えることではないだろう。
報道を見る限りでは、自分の娘にも危害が及ぶ可能性があるのだから。
喜ぶアリスを母上が構う横で、父上が俺に言ってきた。
「ロア、帰宅する時はアリスをしっかりと見ているんだぞ?」
「もちろんだ、父上。万が一、アリスを誘拐しようとする者などがいたなら、肉体にこの世のありとあらゆる拷問を受けさせてから、魂に死すら生ぬるい苦痛を味わわせ、生まれてきたことを後悔させるほどの地獄を見せてやるから安心してくれ」
「お、おう……頼んだぞお兄ちゃん」
満面の笑顔を浮かべて、返事を返した俺に父上は少し引き攣ったような表情で頷いた。
父上に言われなくとも、俺の大事なアリスに指一本触れさせるはずがないというのに。
なにせ離れていても常に魔法を使って、アリスの大事を確認しているからどんな些細な変化も漏らしはしない。
不審者が近づいてきても、アリスの周囲には迎撃魔法を張ってあるから問題もない。
つまり、アリスの周りはこの世で最も安全と言ってもいいのだ。
(――いや、待てよ?これだけではもしかしたらがあるかもしれないな……)
ふと、少し不安になってきた。
どんな些細なことでももっと警戒をするべきかもしれない。
アリスを守護する魔法を増やそう。
億が一、アリスに触れるようなことがあれば大変だ。
悪意を持ってアリスに触れようとする者がいたら、そいつを塵も残さず消す魔法を後で付与しとかないと。
やはり平和なこの国でも物騒なことはあるんだなと再認識した朝になった。
◇
小学校に入学してからすでに三年が経ち、九歳になった俺は今や小学三年生である。アリスも俺と同じ小学校に入学してきて、今は一年生だ。
いつも通り、学校に登校した俺とアリスは下駄箱で別れてから自分のクラスに向かった。
三年三組の教室に入ると、毎朝繰り返される雑然とした喧噪に出迎えられる。
教室ではキャッチボールして騒ぐクソガキに鬼ごっこして馬鹿みたいに走り回るクソガキ、黒板を使ってウ〇コ書いては爆笑しているクソガキと随分と元気の有り余るガキ共らしい遊びが蔓延りまわっていた。
反面、その騒々しさとは打って変わって、俺の周囲は毎回静かだ。挨拶はもちろんのこと、目を合わせてくれるクラスメイトさえいない。
何故かは知らないが、入学してから今まで俺は周りから避けられているようだった。
まぁ、おそらくは常時溢れ出る覇気と尋常ではない存在感のせいで畏れ多くて誰も近づけないのだろうとは思うのだが。
ほんとこればかりはどうしようもない。
……別に仲間外れにされているとか、嫌われているとかではないからな?それに話しかけて来る者がいないわけではないのだぞ?
誰にともなく、内心でそんな言い訳していると、俺の席の横に座る人物から強烈な眼光と共に言葉(+物理)が飛んできた。
「やっと来たな、上終ロア!今日こそ、その憎らしい面に一撃入れてやる!」
「はぁ、毎日毎日懲りない奴だな、チビ」
俺はそれをひょいっと軽やかに避けながら、ため息を吐いた。
登校早々、いきなり殴りかかってきたのは、何を隠そう入学式の日に俺を侮辱してきた不届き者――天霧玲であった。
何の因果か、一年次の時からこの三年次まですべてが同じクラスの隣の席という腐れ縁の存在なのだ。
「だから、ボクはチビじゃない!」
「それは俺の身長を上回ってから言うんだな」
三年が経って、チビの身長は一年の時よりかは伸びているが、ハッキリと言えば俺との差はより広がっている。
当時は110もない身長のチビは結構成長したのか、今では130に届くくらいには大きくなっていた。伸び率に換算すれば、20㎝以上である。
しかし、あの熊のような父上の血を継ぐ俺はそれ以上だった。
120近くあった俺の身長は今や150後半辺りくらいまで大きくなっており、その伸び率は約40㎝。
チビのおよそ二倍である。
あの頃はまだ俺の首元に達するくらいの身長はあったが、今では俺の胸元辺りまでの背しかない。
これを〝チビ〟と言わずして何と言おう。
「くっ!当たれ!」
ひらりひらりと避け続ける俺にチビは文句を言ってきた。
「おいおい、親切にも避けてやってるのに、当たれとは何て言いざまだ」
「親切なら、避けるな!」
はぁ……分かってないな、このチビ。
俺がその拳に当たったら、逆に拳を傷めるのは貴様だというのに。
今の俺の肉体強度はトラックと正面衝突しても無傷でやり過ごせるレベルだぞ。
「全く、俺の親切が理解できないとは……だから友達ができないんだよ、貴様は」
「今それ関係ないだろ!?というか、友達がいないのはお前もだ!」
バカを言うな、そんなはずがないだろ。
今はただ俺が眩しすぎて近づけないだけで、本当は皆が心の中で俺と親友になりたいと思っているはずだからな。
元来のボッチであるこのチビと覇王であった崇高な俺が一緒の訳がない。
「くぅ!」
「……」
それにしても連日、連日、チビのじゃれ合いに付き合ってはいるが、こ奴は動きがどんどん速くなっていくな。
特に今日の動きのキレはいつもより一段、二段もレベルアップしている。
俺には全く掠りもしないが、このスピードははっきり言って大人でも目で追うのがやっとであろう。
やはり小さいからこその俊敏性の高さか。
暢気にチビの攻撃を観察しながら、躱していると――そこでちょうど予鈴がなった。
チビはそれを聞いて、悔しそうに涙目を浮かべながら、拳を下ろす。
こ奴もきちんとした分別はあるのか、先生の前で暴れることはないのだ。
俺とチビが席に戻ると、タイミングよく教室に担任教師が入ってきた。
今日も今日とて、こうして俺の学校生活の一日が始まる。
ちなみに余談だが、ロアや天霧が避けられているのは、二人が一年の頃から続けているこの喧嘩のせいである。毎回、ヤクザさながらの嵐のような闘争に二人はクラスメイト達、引いては学年全体からヤバイ奴認定されているのだ。
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