覇王様、小学校へ入学す。


 時間が過ぎるのは早いもので、生まれてからもう六年も月日が経った。

 体もより大きくなり、今では走れるだけではなく、逆立ちでの一本指腕立て伏せや小指一本での懸垂など自由自在に体を動かせるようになっている。

 また知識の吸収も順調であり、俺がこの世界で賢者と呼ばれる日もそう遠くはないだろう。


 そんな俺であるが、今は小学校なる教育機関に入学を果たさんとしている。


 この日本という国では義務教育なるものが存在し、国や政府、親などは六歳から十五歳までの九年間の間、子供に教育を受けさせなければならないという法律があるようだ。

 前世の覇国にも様々な教育機関はあったが、まさか国から教育を課すような法律などなく、驚いたものである。

 世界でも最大の国であった覇国でさえ、国中の子供に教育を受けさせるような土台は整っていなかった。それが可能なこの国、いや、この世界は前世より随分と発展した位置にいるなとこの六年を過ごしてきて、常々思うのである。


『――お祝いの言葉とさせていただきます。本日は本当にご入学おめでとうございます』


 ふむ、ようやく長ったらしい話が終わったか。

 全くいつの時代、どこの世界でも式典とやらは凝っていて、堅苦しく、苦手だ。

 そもそもこんなガキ等に朗々と小難しい話を語っても、その一片たりとも理解しないであろうに。


 内心、不満たらたらに愚痴を零していると、入学したてのピカピカ新入生共は一人、また一人と立ち上がって、体育館からはけ始めた。

 確か、この後は振り分けられたクラスの教室に向かうとかなんとか。

 ちなみに俺は一年三組だった。



 自分の教室へ着いてからまず、俺は自分の席を探す。

 名前順だからか、俺は扉側から二列目の席の先頭であった。


「きゃあ!かっこいいよ、ロアちゃん!こっちむいてっ!」

「にいちゃ、にいちゃ!」

「……」


 席に座ると、教室の後方から何やら黄色い歓声が俺の耳に届く。

 振り返ると、案の定そこには興奮した様子でカメラのシャッターを連打する俺の母上である上終亜紀と三年前に生まれた至高にして崇高な可愛さを誇る妹の上終アリスがぴょんぴょんと跳ねるように自分の存在をアピールしていた。

 その横では明らかに周りと比べてもでかい父上が苦笑しながら、手を振っている。


 むむ、周囲から随分と注目を浴びているな。

 ここで反応してはより目立つが……。

 しかし、やはり母上とアリスを悲しませたくない。

 俺にとっては自らの欲望よりも彼女等を喜ばせる方が、優先度が高いからな!


 なので、小さく笑みを作って手を振り返した。

 すると、さらに二人は喜んで満面の笑みを零す。


 うむうむ、二人が喜んでくれたのなら、俺も嬉しいぞ。


「だっさ……」


 と、家族に対する愛情を再確認していたら、横から軽蔑を乗せたような声が聞こえてきた。


 ふむ……。


 隣の席に視線を向ける。

 そこには肩まで整えた短髪と意志の強そうな瞳、中性的な容貌が印象的な少年・・がいた。

 生意気にも俺を蔑むような目で見ている。


 一体なんだこ奴?

 初対面にもかかわらず、いきなり人を貶してくるとは……。


 だが、まぁ、許してやろう。

 俺はこれでも数千年の時を生きていた覇王であった者だ。

 子供の戯れの悪口くらい大らかな気持ちで聞き流して――


「親離れできないとか……弱虫」

「潰すぞ、チビ」


 よりによって、弱虫?

 この一国の王でもあった俺を弱虫だと!?

 許すまじ!クソチビ!


「あぁ!今チビって言ったな!」

「言ったがどうした?」


 少年が怒った様子で立ち上がる。

 対抗するように、俺も席を立った。


 指摘した通り、こ奴は俺よりも頭一つ分は小さかった。

 目算で110もないだろう。

 対して、俺はこう見えてすでに120近い身長がある。

 その戦力差は一目瞭然だ。


「フッ!」


 嘲笑うように鼻を鳴らすと、おチビは顔を真っ赤に染め、見上げるように睨みつけてきた。

 先に喧嘩を売ってきたのはそっちの方だろうに。

 自分が嗤われると怒るなど、何とも身勝手な奴である。


「このっ!」

「ッ!」


 しかもこのチビ、なんといきなり俺に殴りかかってきた。

 年の割には存外に鋭い拳が顔に飛んでくる。


 しかし、こんなチビの拳が当たる俺ではない。


 柔らかく受け止めた拳をサッと受け流すように往なした。


「うわっ!」


 俺の往なしを受けて、チビは派手に地面に倒れる。

 俺はそれを見下ろしながら、軽蔑するように言葉を紡いだ。


「突然殴りかかってくるなど、野良犬か、貴様。ああ、いや、野良犬ではないな。野良子犬か。チビにはお似合いだな」

「くぅ!さっきからチビチビって!お前許さないからな!」

「ふはっ!笑わせるな!そんな姿で何を許さぬというのだ!」


 地面に這い蹲って睨みつけてくるチビに、俺は盛大な嘲笑を返す。


 全くなんて不届き者だ。

 人の悪口を言うだけでなく、手まで出してくるなんて。

 ここが日本だからよかったものの、前世の我が国なら即刻その場で斬首であるぞ。


 だが、俺は慈悲深き心を持った覇王でもあったからな。


 見下ろす者と見上げる者。

 この構図だけで、このチビもどちらが上なのかを理解したことだろう。

 今回はここらで許してやるとしよう。


 鼻を鳴らして、最後にチビを一瞥してから席に戻ろうとした瞬間。


 ゴチンッ!


 頭に強烈な衝撃走り、星が舞った。


「ぐおぉぉぉ!」


 久方ぶりに感じる痛みに、思わずしゃがみ込んで頭を押さえる。

 魔法を使っていないとはいえ、まさか俺の防御力を貫通して、ダメージを与えられる者がいるなんて……!

 い、一体何者!?


「えっ!?は、母上!?」


 俺が視線を転じて、見上げた先――そこには生まれてから初めて見る怒った表情の母上がいた。

 まぁ、見た目小柄で童顔なせいかあまり怖さというものは感じられないが……。


「こらっ!ロアちゃん!そんな小さな子をいじめたらダメでしょ!」

「ま、待ってくれ、母上!別に俺はいじめているわけではない!最初に喧嘩を売ってきたのはこのチビだぞ!」

「だからって、それで相手を転ばして笑ったりするなんて大人げないわよ!私はロアちゃんをそんな子に育てたつもりはありません!」

「だ、だからそれはこのチビが先に……!」

「言い訳無用!」

「うがっ!?」


 またも振り下ろされる拳に俺は蹲って、悶絶した。


 な、なぜこんなに痛いんだ!?

 まだ肉体強度は前世からほど遠いとはいえ、今の俺の素の防御力は鉄の強度に勝るとも劣らないというのにっ!

 ま、まさか母上の拳は鉄より硬いというのか!?


 俺が痛みに呻いていると、母上は倒れ込むチビを助け起こして、話しかけていた。


「家の子がごめんね!怪我とかない?」

「あ、え、大丈夫」

「そう、よかったわ!――ほら、ロアちゃん!謝りなさい!」


 母上が俺をチビの前に引っ張り出す。


 くぅ!俺はただ喧嘩を買って、叩きのめしただけなのに!

 なぜなんも悪いことをしていない俺が……!


「にいちゃ、めっ!にいちゃ、めっ!」


 さらには横から母上の真似でもするかのようにアリスも追随してくる。


 くっ!アリスまで!

 ……可愛いのがまたずるいな。


 母上とアリスに挟まれて、まるで四面楚歌のような状況になってしまった。

 父上も何やら後ろで苦笑いしているだけで、助けてくれる気はなさそうだ。

 さらにはなんだかんだ周囲からの注目が集まりすぎて、目立ちまくっている。

 

 …………はぁ、仕方ない。本当に仕方ない。

 母上とアリスに嫌われるくらいなら、頭の一つ二つくらい下げてやろう。


 こう見えて、俺は寛容な覇王としても有名であったからな。


「……すまなかったな」

「え、あ、うん」


 何を驚いているんだ、このチビ。

 前世で覇王だった俺が頭を下げたのだから、それ相応の対応があるだろうに。


「改めて、俺は上終ロアだ。お前は?」

「……天霧玲あまぎりれい

「ふむ、そうか。まぁ、これからよろしく頼む」

「うんうん!これで一件落着ね!」


 俺とチビが仲直りしたのを見て、母上は嬉しそうに微笑んだ。


 母上の機嫌が直って、俺も一安心だ。


 俺達の様子を気にしていた周りも騒ぎが終息したのを理解してか、段々と落ち着きが見え始める。

 まぁ、未だちらちらと様子を窺ってくるような小さな注目は止まないが。

 はぁ……初日から災難で困ったことだ。


 と、問題が一段落したところで、黒いバインダーを握った担任の教師が教室に入ってきた。


 教師がやってきたのを見て、雑然としていた様相が大人しくなっていく。


 俺とチビも自分達の席についた。

 すると――


「さっきはこっちも悪口言ってごめん……」


 チビが俺に聞こえるくらいの小声で、先ほどの件の謝罪をしてきた。


 ほう、こ奴もきちんと謝れたのか。

 なかなかいい心がけだな。

 よし、先ほどのことはきちんと水に流してやるとしよう。


「殊勝である。許してやろ――」

「――だけど親離れできないのは弱虫っぽくて、ほんとダサいから」


 ……やっぱりこのチビ、絶許ッ!



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