覇王様、兄妹が誕生す。



 三歳になった。

 俺の体もすくすくと成長し、今では歩けるだけでなく、走れるようにもなった。

 また赤子の時以上に会話も流暢になり、この国の文字の読み書きも完璧に覚えた。

 もう一端の日本人と言ってもいいだろう。


 俺のこの三年はただ食って、寝て、起きて、と言ったサイクルを続けていて、突出して何かあったわけでもない。

 ……いや、一つだけあったか。


 赤ちゃんプレイがもうできなくなったことだ。

 去年くらいから、食事は自らの手で取るようになり、あの至福の時間は味わえなくなってしまった。

 時間の流れとは何とも儚く、残酷である。


 そんな俺であるが、今はとある病院の待合室にて、空気椅子を作り、さらに腕に本を抱えながら勉強をしていた。走れるようになってからは、この世界の知識を学び、前世の肉体強度を目標に適度な運動も取り入れ始めている。


 知識はとりあえず本を読んで詰め込んでいるが、肉体の方の成果はまだまだかかりそうだ。

 なにせまだこの世界で見た車という乗り物ほど速くは走れないし、巨岩一つ持ち上げられないのだから。

 前世なら素で音速を超えるスピードで動け、さらには山を丸々一つ持ち上げられるくらいの腕力があったというのに。

 これは、もっと鍛えなければいけないな。


 本当なら魔法ですべてを補完することなど簡単なことなのだが、やはりそれではダメ人間になってしまう。

 そもそもこの世界に魔術や魔法と言ったものは存在しないのだ。だから、俺はできるだけこの世界で魔法を使うことはしないと決めた。

 むやみやたらに力を見せていては、気味悪がられてしまうからな。

 平穏を欲するなら、やはり目立つ行為は避けるべきであろう。


 足腰に力を入れ、手に持つ『広辞苑』を読みながら、静かな時間を過ごす。

 何故か俺の近くを通り過ぎる医師や看護婦が畏怖したような目を向けてくるのが気になるが……。

 もしかしたら、覇王だったゆえのカリスマ性が人を引き付けてやまないのかもしれない。

 困ったものだ。


 そんな風に自画自賛していると、横から随分と不安そうな様子の父上に声をかけられた。


「ロア、母さんは大丈夫かな?」

「……父上、初めてではなく、二回目のことなのだから、もう少しどっしりと構えていればよいではないか」

「そ、そうなんだが、でも、やっぱ心配なもんは心配でなぁ……こういう時男は何もできないからつらいよ」


 まったく、熊みたいな大柄な体をしていると言うのに、随分と軟弱な精神の男である。

 まぁ、俺はそれが嫌いではないが……。

 しかし、先ほどからもう同じ会話の繰り返しを何十回と繰り返えされると、さすがに少し鬱陶しい。


 俺は一度小さくため息を吐いて、父上に話しかけた。


「では、俺が父上に落ち着けるような御呪いをかけよう」

「御呪い?」

「ああ。父上、手を出してくれ」


 相槌を打ちながら、俺は椅子に乗って父上に体を向ける。

 父上も素直に従って、自分の右手を俺に差し出した。


 ごつごつとでかい父上の掌に俺の小さな手を重ね、それっぽい仕草を見せてから、力を注ぐ。

 すると――


「おお、本当になんか落ち着いてきたかも。すごいな」

「ふむ、それはよかった」

「はは、ありがとな、ロア!それにしても凄い御呪いだな。いったいどこで知ったんだ?」

「この前本でたまたま読んだだけだぞ」


 まぁ、もちろん嘘だが。

 御呪いとは方便で、使用したのは精神を緩和させる魔法だ。

 本当のことを言ったら、さすがにまずいからな。


「さすがロアだな!勉強熱心で努力熱心!いいことだ!」


 ただ、父上は全く疑うことなく、笑顔で俺の頭をぐりぐりと撫でた。

 騙しているようで少し申し訳ないが、まぁ、嬉しそうなら別に本当のことを言うのも野暮だろう。

 調子が戻ったのなら、これで俺も勉強に戻れるな。


 気分を切り替えて、本に意識を戻そうとしたが、その前に突然割り込んでくるかのように慌ただし気な様子で看護婦が近づいてきた。


「上終様、すいませんが少しよろしいですか?――」

「えッ!?」


 看護婦が小声で何かを伝えると、父上は一瞬前までのご機嫌な様子から一転、顔を青ざめさせた。


 どうやら、何かまずいことでもあったようだ。


 慌てた様子で立ち上がった父上に、俺も本を閉じてから急いでついていった。



 ◇



 さて、もう気付いているかもしれないが、俺達が今いるのは産婦人科である。

 その理由は俺の母上である上終亜紀が妊娠していたからだ。

 まぁ、母上と父上もまだ二十代。

 毎晩毎晩あんなにお盛んなら、出来ていてもおかしくはないだろう。

 つまりは、俺の兄妹が生まれると言うことなのだが……。


 現在、分娩室では俺の妹となる赤子を抱いた看護婦と父上、そして何人かの医師と看護婦が慌ただしく、動き回っている。

 その中心にいるのは意識を失っている母上だ。

 加えて、呼吸なども止まっており、まさに一刻を争う事態に陥っている。


 妹を出産直後、母上は突然に意識を無くして倒れたらしい。

 今も医師や看護婦達が必死の治療を施しているが、一向に意識が戻る気配がない。


「お、お願いです神様!どうか亜紀を!どうか亜紀をお救いください!」


 俺の横では父上が両手を握り、目を閉じて祈りを捧げている。

 何かに縋りたいという気持ちは分かるが、正直神は止めてほしいものだ。


 と、暢気に考えている場合ではないな。

 俺もこのまま母上が死んでしまうなど到底許せるはずがない。

 なので、俺は俺の持つ力を十全に発揮させようと思う。

 ただ、さすがにあの医師達の中に俺みたいなガキンチョが混じっても早々と厄介払いされるだろうから、ここはバレない様に間接的に母上をお助けしよう。


 まずは、魔法で母上の容態を確認する。

 発動した《虚空ノ瞳オクルス》には眠るようにして意識を無くしている母上の姿が映っており、一見すれば異常は見られない。

 だが、俺の目にはきっちりと原因元が分かっていた。


(なんだこれは……?魔回路の様で魔回路じゃない……母上の体に何故こんなものが?)


 見覚えのあるそれは一瞬俺の体内の魔回路と同じかとも思ったが、どうも様相が違う。


 魔回路は基本心臓を起点として体中に巡っているものだが、これは母上の脳の一部にしか根付いていない。さらにはその魔回路のような物体の様子が今はどうもおかしかった。


 元々の理路整然とした経路の流れが不安定な状態と表現した方が良いのか、暴れるように蠢き、おそらくそれが原因で意識を無くしたと考えられる。


 初めて見るそれに戸惑いを覚えるも、しかし、すぐに呆けている場合ではないと頭を振って、母上の治療にあたることにした。


 何故不安定なのかという理由は分からないが、この状態を治めてしまえば、母上の容態もよくなるだろう。


 さらっと直してしまうか。


 魔回路を活性化させ、空気中に漂うマナに干渉し、魔法を発動させる。

 使用するのは《正常化セネラゼーション》という魔法。

 不安定な魔回路擬きの流れを正しき形に戻した。


 すると、俺の魔法がすぐに効いたのか、治療を行う医師達の雰囲気に明るい兆しが見え始める。


 それから少しして後、俺の魔法と医師達の治療の甲斐あってか、母上は意識を取り戻した。



 ◇



「よ、よかっだ!本当によかっだよぉ!!亜紀が万が一亡くなったりなんてしていたら、俺はッ!」

「もう、アルったら泣きすぎだよ。私は今こうして元気なんだからもういいじゃない」

「し、しょうがないだろ!正直、生きた心地がしなかったんだぞ!」


 父上が椅子に座ってぐずぐずと大泣きしている。

 その隣ではベッドに横になった母上が苦笑気味に父上の頭を撫でていた。


 剛毅な見た目をしているくせに、本当に繊細な男だ。

 だが、それも今回は仕方ないかもしれない。

 もし、俺が居なかったら、父上が想像した万が一があったかもしれないのだから。


「うぉぉぉぉぉん!!!」


 それにしても本当にうるさい。

 体の大きさに比例して、声もでかいからな、我が父上は。

 ほら、今部屋に入ってきた看護婦も苦笑いを浮かべているではないか。


 全く俺を見習ってほしいものだ。

 見ろ、この冷静にしてクールな素面ぶりを。

 涙の一つだって――


「ロアちゃんにも心配かけたわね」

「よ、よかっだぞ、母上!万が一母上に何かあったら、俺はッ!」

「あらあら、よしよし」


 これは汗だから。



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