第八章 異変 (4)

 再び客間の障子しょうじを開いたとき、和泉小槙は例の外套がいとう姿になっていた。

 詰め襟まできちんとめている姿に内心で、

(そこまでしなくて良いのではないか)

 と思ったが、浴衣でいられるよりは随分とましだったので、それについては何も言わなかった。

 隣で残念そうに肩を落としている野崎は黙殺することにする。


 布団は片付けられ、和泉小牧は畳の上に正座をしていた。体の前にはちゃぶ台が置かれている。先ほどまでは無かったので、布団をしまう際に、押し入れから出したのだろう。

「地図は持ってきたか?」

 ちゃぶ台の上に手を出しながら和泉小槙がいう。


「ここに」

 片桐は、雑嚢ざつのうから地図を取り出すと、ちゃぶ台の上に広げた。次いで、鉛筆も添える。


 地図といっても、中隊長室のものとは目的も縮尺も異なるものだ。記載されているのは、舛田、もっと言えば、要岩かなめいわ周辺の地形に限られていた。

「ここが要岩のある曲谷まがりだにという地域です」

 片桐は地図の一画を示す。

「それなら、避難区域は」

 和泉小槙が鉛筆を手にすると、

「この一帯だな」

 要岩を中心に大きく円を描いた。円は大きく、地図のほとんどが囲まれていた。


「広いですね…」

 野崎がこぼす。

 片桐も同意だったが、後ろを向いても仕方がないので、気持ちを無理やり前に向かせる。考えることは山積みだ。ここで止まっている場合ではない。

「民家はそう多くないはずだ。百程度だろう…」

「どこに避難させれば良いのですか」

 野崎にそう問われて、片桐は和泉小槙の方に顔を向けた。


「…私は、具体的な作戦内容を聞かされておりません。どの程度の友軍を呼び、その友軍がどの程度の装備を備えているかによって、避難場所を検討する必要があると思います」

「友軍…、天津軍のことか?」

「國津軍が動いてくれれば、それも國津軍も含みますが、現状、それは難しいと思われます」


「天津軍か…。いや、特に呼ぼうとは思っていなかったのだが…、やっぱりいた方がいいか」

「…淵主ふちぬしですよ?」

 片桐が眉を潜めた。声が自然と低くなる。

「その辺のやくざものと喧嘩をするわけではないのです。天災なんです。我々が相手にしようとしているのは」

「知っている。分かった。呼ぼう。来てくれるは分からないけど、居るに越したことはない」

「来てくれるか分からないだと?」

 片桐が和泉小槇の言葉を繰り返す。

 和泉小槙は呆れたような様子で、

「それはそうだろう。私と遠野橘では、部隊を派遣するだけの権限など持ち合わせてはいない」

「昨晩の約束を覚えていますか?」

「当然だ。貴官こそ約束を違えるなよ」

「そちらがきちんと履行されれば、俺はどこにだって着いていきますよ」

「その言葉、忘れるなよ?」

 和泉小槇が口の端を持ち上げた。


「では、最悪の場合を仮定しておこう。えー、野崎軍曹だったか」

「はい!」

 野崎が勢いよく返事をする。期待に満ちた瞳に映るのは和泉小槙だけだ。どういう訳か、野崎はすっかり和泉小槙の虜となっているようだった。


 その野崎に和泉小槙が告げる。

「とりあえず、貴官は玄関で待っていろ」




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