第四章 接待(3)

 

 店内に入ると、牛鍋の甘辛いにおいが鼻孔に届く。店が入っている上物うわものは、築三十年は経っていると思われる建物だったが、店内がきちんと片付けられているおかげか、小綺麗な印象を受けた。ところどころにある土壁の剥げも店全体の味わいとなっている。


 土間の向こうに低い卓子テーブルが並んでいた。その下は畳敷だ。


 片桐は和泉小槙に次いで、編上靴を脱いで上がる。


 店仕舞いをしていたはずの大将がこちらを眺めている。

 その視線に気付いたのだろう、夏子は二人を置いて、厨房へと姿を消した。


「遠野橘少佐のお加減はいかがですか?」

 片桐は、先に席についた和泉小槙いずみこまきに尋ねる。

「昼間と変わりはない。私が出るときにはまだ意識が戻っていなかった」

「その状態で置いて来られたのですか」

「私に出来ることはない。そもそも死にはしない。あれは単なる對素不足だ」

「タイソ」

「…知らないのか?」

 和泉小槙が目を見開く。大きな瞳は、猛禽類を思い出させた。


「對素というのは、天星高津神あまほしのたかつかみという名でも呼ばれる元素だ。高津神は分かるか?」

「はい。國津神道の最高神です」

「第一階層では酸素濃度が低いだろう?だから酸素の代わりに對素たいそで体を補っているものが多い。少佐もそうだ。だから、第三階層では運動に制限がかかる」

 片桐は、始終体調の悪そうだった遠野橘の姿を思い出す。


「普通は一週間もすれば体が地上の環境に慣れる。少佐もあと数日のうちには持ち戻すだろう」

「地上では、その、對素が薄いのですか?」

「ああ。まぁ舛田ではそうでもないが。ここは對源フォンスが…、御劔みつるぎ要岩かなめいわがあるだろう」

 和泉小槙はそう言って、店の外に顔を向けるような仕草をした。

 片桐は、内心穏やかではなかったが、感情を顔に出さぬよう平然を装い、頷いた。


 和泉小槙は続ける。

「あれは對素の凝縮固体だ。まぁ、簡単に言えば結晶だな。對素の」

「お待たせしました」

 夏子が酒を乗せた円盆まるぼんを手に戻ってくる。

かんで良かったですか?」

「ああ。ありがとう」

 礼を言うと、夏子は徳利とお猪口を二つ置いて戻っていった。


 片桐は、和泉小槙にお猪口を差し出す。

「國津国では、酒で歓迎するのが習わしなのです。その、女性に年齢を尋ねるのは失礼かとは思いますが…」

「貴官には、よほど私が幼く見えるらしいな」

 和泉小槙はちくりと言って、猪口を受け取った。

「羨ましいのです。若々しくて」

「大して変わらんだろう?」

「ご冗談を。私は今年で三一ですよ」

「やはり大して変わらんじゃないか」

 和泉小槙はそう言って首を斜めに傾けて見せた。

「それは…」

 思わぬ告白に片桐は、何と応えたら良いのか分からなかった。


 片桐は、和泉小槙を二十歳前後の娘だと認識していた。

 小さな卓子テーブルを挟んで無遠慮に顔を見つめるが、顔や首に皺は見えず、褐色の肌は剥きたての茹で卵のように艶やかだ。


 ただ、驚きつつも、妙に納得した部分もある。

 それは、和泉小槙の階級である。

 二十歳そこそこの大尉など國津国では到底考えられない。

 しかし、三十路なら別だ。

 遠野橘の話では武勲もあるとのことだったので、場合によっては三十路前後ということも考えられなくもない。


「若々しくて羨ましい限りです」

 何と答えるのが正解か分からず、そうとだけ返す。

「よく分からんが、誉め言葉として受け取っておこう」

「ありがとうございます」


 片桐は、和泉小槙の猪口に酒を注いだ。その後、手酌で自分の猪口にも注いだ後、

「もてなすのが私一人で申し訳ありませんが、歓迎いたします。和泉小槙大尉」

 猪口を差し出し、心で思っていることと正反対の嘘を口にした。

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