第四章 接待(2)
本能的に見てはいけないと察知していたが、理性はそれを許してはくれなかった。
片桐は首が壊れた人形のようなぎこちない動きで振り返る。
「誰か酔っぱらいに絡まれていますね…」
夏子が知りたくもない現実を突きつけてくる。
季節は三月の下旬である。
月が二つ空にあるとは言え、第三階層の國津国では、その光も充分に届かない。夜に雲が切れれば明るくなることもあるが、今はその雲が出ている。店先の
片桐は目をこらして、闇の中を見つめた。
よくよく見れば、男達の草履の向こうに尖った軍靴の先があった。
和泉小槙は男二人と向かい合うような格好で、何やら話し込んでいるようだった。先程の夏子の言葉通りなら、彼女は二人の酔っぱらい絡まれているのだろう。
片桐は嘆息した。
和泉小槙という人物には、日付が変わるまで会いたくなかった。
何というか満腹だった。これ以上付き合っていては胃もたれを起こすに違いない。
「あの人を助けてあげてください」
夏子は突然、可愛らしい唇からそんな戯れ言を吐き出した。
(…助けるなら、酔っぱらいの方だろう)
片桐は、夏子の方に顔を向けて恨みがましい視線を送った。
見上げてくる夏子の瞳に曇りはない。
放置しておくという選択肢が消え、片桐は仕方なく足を踏み出す。
酔っぱらいに近づくと、和泉小槙の姿が視界に入った。
「遅い」
どういうわけか、開口一番に叱られる。
酔っぱらいはこちらを見て、足早にその場を去ってくれた。
(良い奴らだ)
片桐は心底そう思う。
「…どうしてこんな所に居られるのですか」
片桐は幾分か苦々しい表情で
「…國津国では、同盟国の将校を宿屋に放置することを接待と言うのか?」
和泉小槙が言ってくる。
発言の内容は冷ややかなものだったが、声音は妙な抑揚だった。悪戯を犯した子供が事前に頭の中で考えていた言い訳を口にするような固さがある。
(…別にこちらから頼んで来てもらったわけじゃないんだがな)
というよりも、むしろ一刻も早く帰ってもらいたいのだが。
そう思ったが、もしかしたらそういった場合ですらも接待するものなのかも知れない、と社交に疎い片桐は思い直す。
「それは至りませんで、失礼いたしました。明日にでも宴席を」
「今。この店で良い」
和泉小槙はそう言って、夏子の働く牛鍋屋に近づく。
「…この店はもう店じまいの時間が近いので、どこか別の店を」
「うちなら大丈夫ですよ」
横から夏子が言ってくる。
「……」
片桐は、口を半分だけ開き、夏子を見下ろした。鼻に皺が寄っているのが自分でも分かる。
喉元まで来ている言葉はあったが、発したところで事態が好転するとは思えなかった。
「どうぞ」
夏子が店の引き戸を開く。
彼女はどういうわけか笑顔だった。
「……どうぞ」
やむを得ず、片桐は和泉小槙を店内へと導いた。
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