第五章 夜道(1)

(どうしてこんなことに‥‥)

 片桐は、もう何度目になるか分からない自問を繰り返しながら暗闇を一人歩いている。

 隣に和泉小槙の姿はない。とは言え、一人かと問われれば首を左右に振ることになる。

 和泉小槙は、片桐の背にいるのだから。


 和泉小槙は酔いが一気に回る体質であるらしい。嘔吐こそしなかったが、体調不良を告げた後、彼女は突然眠ってしまった。


 片桐が、これ幸いと、彼女を引きずって牛鍋屋を後にしたのは五分ほど前のことだ。

 そして、今、片桐は和泉小槙の宿を目指して歩いている。


 時刻は午後八時。

 辺りに人気ひとけはなく、時折、ふくろうらしき鳥の鳴き声が聞こえてくるだけで、虫の声もない。


 背中で和泉小槙が身じろぎする。

「…起きたのなら降りてください」

 片桐が言うと和泉小槙は笑ったようだった。幼子のように片桐の背に顔を埋めて、

「気持ちいいな。貴官の背は」

「汗くさいでしょう」

「そんなことはない」

「お体は大丈夫ですか?」

「大丈夫ではない。だから降りない」

「頭はしっかり動いているようですね」

遠野橘とおのたちばなも貴官にくっついていれば楽なのに…」

「どんな状況ですか…。それは」

 呆れながら和泉小槙を背負い直す。

(上官担ぎだな、まさに)


「島屋まで、まだ少しかかります」

「遠野橘は復活しただろうか」

「そうだと良いのですが」

「明日はどうするんだった?」

「明日は駅前通り…、先程いた場所を回る予定です」

「見つからないだろうな」

「そうでしょうね」

 片桐は、あっさりと同意する。

 誘拐されたのであれば、外国人の娘が人の往来のある駅前通りに連れ出される可能性は低いと思っていたし、そもそも貴族の娘が、誘拐した犯人とともに、この第三階層の田舎町に潜伏しているとも思えなかった。

 田舎で外国人は目立ちすぎる。


「答えていただけるか分かりませんが」片桐は前置きしてから、

「大尉殿は、本当に菊乃さまが誘拐されたと思っていますか」

「…うーん…。そうだな……」

 和泉小槙はそう言ったきり沈黙した。しばらくすると寝息が聞こえ始める。

「…二度寝しないでください」

 片桐は嘆息した。次いで、

「やはり降りてください。そろそろ兵営も近いので」

「えー。じゃあ手を繋ごう、片桐曹長。ほら」

 和泉小槙が片桐の背から腕を伸ばす。

「…拒否します」

「上官命令だぞ」

「私はあなたの部下ではありませんよ」

 片桐は応える。

 しかし、和泉小槙は譲らない。

 彼女は、行き場のなくなった手のひらを片桐の頭、軍帽の上に置いてから上機嫌で尋ねてくる。


「では仮に上官の命令だったらどうする。遠藤中隊長が手を繋ぐよう命じたら?」

「そんな命令は下りません」

「仮にと言っている」

(…面倒くさい)

 心底そう思うが、やむを得ず、和泉小槙が満足するような冗談を口にしてやる。

「両腕を折ります」

 和泉小槙はひとしきり笑った後、恐ろしい言葉を口にした。


「すぐ治るくせに」


「…降りてください」

「そうだな」

 和泉小槙は、今度こそ片桐の背から降りた。


 すぐに治る。

 普通の人間、例えば野崎なら、その言葉を返されて何と思うだろうか。

 常人なら治るまでに数ヵ月は有する重症だ。

 すぐに、というのはおかしい、これは冗談なのだと思うだろう。


 しかし、片桐は違った。彼はそれを冗談だと切り返すことが出来なかった。

 相手が常人であったなら、場合によっては片桐の話術でも翻弄することができたかもしれない。しかし、今、彼が相手をしているのは、人間の皮を被った竜、といった得体の知れない女だった。


「…いつから気づいていた」

 この十数年間、ひた隠しにしてきた秘密を、昨日出会ったばかりの外国人にあっさりと暴かれ、片桐は心穏やかでははいられない。

 意識してのことではなかったが、口調が荒くなる。


 和泉小槙は答える。

「最初に尋ねただろう?生まれつきか、と」

 和泉小槙は両腕を組みながら、

「不死か」


 答えてやる義理はなかったが、沈黙で対応できるような相手だとも思えず、ましてや舌先三寸で翻弄ほんろうすることなど到底無理だろうと悟り、片桐は口を開いた。


「…どこまでの傷を受けたら死ぬのか分からない」

「では、質問を改めよう。四肢しし欠損けっそんしたことがあるか?」

「…何度かある」

「しかし、貴官の両腕、両足は共に健在だ」

「失ってもすぐに生えてくる」

「…そうか」

 和泉小槙が頷く。

 想定していたのとは違う静かな反応に、片桐は口を開く。

「あまり驚かないんだな」

「…演技はもう止めようと思ってな」

「演技?」

 片桐は和泉小槙の言葉を繰り返す。

 しかし、彼女はそれに応じることはなかった。

 天を仰いで呟くそれは、弁明のようだった。

ずるいやり方だった。結局、見極めると言いながら、私は貴官を値踏みしていたんだ」

「何のことを言っているか分からない」

「そうだな。順を追って、きちんと説明しなければならない。その上での契約だ」

「だから何を」

「これから話す。本当は先程の店で話すべきことだったがなかなか言い出せなくてな」

「…俺をつけてここまで来たのか?」

「兵営に行ったら、外出したと聞いたから」

「兵営に行ったのか!?」

「…駄目だったか。しかし、貴官を訪ねるにはあそこに行くしか…」

 責めるような声音に、和泉小槙の声量が小さくなる。

「駄目というか…。一刻も早く帰らなければならなくなった」

「門限が?」

「いや、そういう事ではなくて」

「…そろそろ帰らなければならないのは私も同じだ。一人で外出したことが遠野橘に知られたら後々面倒なことになる」

「さっさと話せ。結局何なんだ。あんたらは」

「そうだな。どこから話せば良いか…」

 彼女はそう呟くと暫くの沈黙の後、


「貴官は伊具栖いぐすの出身だな」

と、尋ねてきた。

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