第五章 夜道(3)
実を言えば、片桐はこの秘密を他人に暴かれた時のことを考えてはいなかった。
こんな滑稽なことを本気で信じる人間などいないと思っていたからだ。
(しかし、今回は…)
片桐は眼前の女をにらんだ。
薄闇の中、顔はおぼろげである。
はっきりと分かるのはその気配だけだった。相変わらず、その体躯に似合わず巨大で恐ろしげである。
「答えろ片桐。伊具栖は貴官の故郷だな」
静かに問うてくる。 彼女は確たる証拠を手中に納めて、答え合わせを待っている。
「何故そう思う」
片桐は尋ね返す。ほとんど肯定に近い質問だと自分でも分かっていたが、沈黙以上の最善が取れぬのだから、仕方がなかった。
「…伊具栖事災を沈静化させたのは天津軍だ」
「そんなことは周知の事実だ」
だからこそ、
「天津軍本部には、当然のことながら事災の記録が保管されている。詳細なもので、一見不要と思われるような些細なことまで記録してあるため、冊数は全二十六冊にも及んでいた」
和泉小槙はそこまで言うと、片桐から視線を外した。少しだけ声音が和らぐ。
「何度も目を通した。後半、二十一冊以降は特にそうだ。兄が死亡したことを伝える報告書は暗記していると言っても良い」
「…兄を亡くしていたのか」
驚いて尋ねると、和泉小槙はこちらに顔を向けた。
「…一般的な兄妹のように親しかったわけではないがな。異母兄妹というやつだ」
伊具栖で死亡したのは國津人だけではない。事変後、淵主を鎮めるべく派遣された天津軍にも甚大な被害をもたらした。大破した飛行戦艦の数は三。死亡した天津軍人は八七人。それもまた呪いのように片桐の心に刻まれた数の一つだ。
「…その報告書、二十六冊目だ。事災の一週間後に起きた事柄の一つに、立入禁止区域に入ってきた少年兵士のことが書いてあった」
「…」
「取り調べの調書も残されていた。片桐という名で署名もあった。伊具栖が故郷で、居ても立ってもいられなくて、立入禁止区画に無断で進入したと。…覚えがあるだろう?」
「…國津軍に何人の『片桐』がいるか知っているか?」
「しかし、当時少年だったということからして、年齢は絞れる」
片桐は嘆息した。
「悪趣味だな。答えを知っていて尋ねるなんて」
「けれどな、片桐曹長。私が本当に疑問に思うことは別にあるんだ」
「まだあるのか…」
「ある。そして、ここからが本当に私が知りたかったことだ。それは、どうして私が伊具栖に向かうと言った時、貴官が自分の故郷だと言わなかったのか、ということだ」
「それは…」
「伊具栖の話をしたくなかっただろう。では何故?私はそれを考えている」
「…結論は出たのか」
「ああ。推測の域を出ないが…聴いてくれるか」
片桐は答えない。
否と答えたところで彼女がこの糾弾を中止するとも思えなかった。言いたいなら勝手に言えばいいと思うのが半分、そろそろ誰かに断頭台の刃を下ろしてほしい気持ちが半分。脳内の混乱は収まりつつあったが、動揺は隠せない。
和泉小槙が続ける。
「おそらく貴官は、ひどく負い目を感じていたのだ。つまり、自分のせいで、伊具栖が滅んだことに気づいている」
「…趣旨が理解できない」
片桐は小さく呟く。
「本当に?」
和泉小槙が尋ねる。
その一言で。片桐は銃口をこめかみに突きつけられているような気持ちになる。
弁明のために、あるいはとどめを喰らうために、口を開く。
「俺は、伊具栖事災が起きたとき、50マイル離れた
「だからだろう?片桐」
和泉小槙は追求を止めない。
彼女は、片桐が、ずっと心の奥にしまい込んで蓋をし、目を反らし続けてきた可能性を、白日のもとにさらそうとしている。
片桐は奥歯を噛み締めた。
握りしめた手のひらに痛みを感じているのは、爪が食い込んでいるからだった。
不死者の方は良い。
別に不死者だからと言って、誰かに迷惑をかけているわけではない。
問題があるのは、その先だ。
その先を暴かれた瞬間、片桐は大量殺人を犯した被告人と同位の存在に成り下がる。
和泉小槙が口を開く。
それは、彼女の最後通告だ。
「貴官が遠くにいってしまったから、伊具栖の封印が解けたのだろう」
「…そんな風に言うと、まるで俺が要岩か何かのように聞こえるな」
「私から見れば大差はない。動けるか、言葉による意思疏通が出来るか…、差違はその程度だと認識している」
「雨男はいない」
「雨、何?」
「俺に…、人間にそんな力はない。そんな、神のような力などあって堪るものか」
「お前にはあるだろう」
「死なない体のことか?確かにどういうわけか頑丈だが…、だからと言って何が出来るわけでもない。上官の楯にもなれず、遺体を担いで戦場を歩くことしか出来ない。神のような力があるのなら、どうして
片桐は叫んだ。
長年、熟成された想いを腹から吐き出す。止めることは出来なかった。
「俺に何が出来たんだ!神の力があるのなら皆を生き返らせて、伊具栖を元に戻してくれ!」
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