第19話 パチパチパチパチ

 満月の晩が迫っていた。

 踊りの練習に出なくなってもう一回りが経つのかと思いながら、フラミィはママの機織りを手伝っていた。

 いつも励んでいた事から放り出され、暫くは時間の使い方に慣れなかったけれど、踊り子である時間以外の時間を持つようになってから日々の日常をしっかり見る様になった。それはなんだか、夢から覚めたみたいな感覚だった。

 そして、色んな事をママに任せっきりにして来たんだなぁと、フラミィは気付き始めていた。

 ママは家に男手が無く漁に出る人がいなくても、織物や刺繍、かごなどを細々と作り狩人と交換をして、海獣の肉や魚を手に入れてくれていた。独身で世話をする人がいない家に行って、掃除や晩御飯の仕度、縫物などの身の回りの世話をする仕事も持っている。

 未亡人や身寄りを失くした子供に同情だけで終わらせないよう助け合う島の人たちは、彼らとの交渉や仕事を滅多に断らない。そうして救われながらも堂々と頭を上げて、ママは逞しく娘を育て上げていた。

 少し遠慮がちで物静かなママだけれど、自分の為に頑張ってくれていたんだなと思う。

 フラミィは前の満月の晩、踊りを辞めると言わされて、ちょっとだけママを恨んでいた。

 けれどママはあの日まで、大変な家の事を見もせずに踊りの稽古に励む事に対して、文句や苦言を言ったりしなかった。


――――全然うまく踊れない私に、無駄だからとか、もっと家を手伝ってと言わなかったわ……。


 パパの無償の愛から出る褒め言葉ばかりを心の拠り所にしていたけれど、無言の応援もあるのだと、フラミィは気付いた。

 それもまた、紛れもなく無償の愛情だった。だってフラミィからの感謝を放棄しているのだから。


「ねぇママ、ママはどうして再婚しないの?」


 幸せになって欲しいなと思って、フラミィはママに尋ねた。

 ママはビックリしたみたいだ。大きな目を開いて、フラミィを見た。


「どうして?」

「結婚していた方が、暮らしが楽でしょ?」

「そうねぇ……」


 ママは今までフラミィとそんな話をした事が無かったので、狼狽えた様に目を泳がせ、口ごもった。

 それから胸の中で吟味した言葉で答えた。


「暮らしが楽になるわね。でも、今の方が心が楽なの。誰かと幸せになったら、あなたのパパの事を忘れてしまいそうで怖いの」


 今度はフラミィが狼狽えた。

 彼女の問いに答えたママが、初めて会う美しい女性みたいに見えたからだ。

 この女性《ひと》を、パパは好きになったんだ。

 それから、この女性ひとが、パパを好きになった。

 それは当たり前だけれど、フラミィにとって不思議な衝撃でもあった。

 ママはフラミィの動揺を見透かした様に影のある微笑みを浮かべ、


「今日もパーシィさんに島の案内をするのでしょ? そろそろ行っても大丈夫よ」


 と、言った。


「……でも、まだ……」

「ふふ、今まで一人でやってたのよ。大丈夫」

「……ありがとう」


 フラミィはそろりと立ち上がって、機織り場から離れた。

 そして、少し離れた所のシダの影からそっとママを見た。

 ママは、胸に下げた真珠入りのお守りに触れて、空を見上げていた。



 パーシヴァルの飛行機のある砂浜へ行くと、タロタロとパーシヴァルが腕相撲をしていた。

 タロタロが顔を真っ赤にして、両手がかりでパーシヴァルの腕に挑んでいる。

 普段木登りや畑仕事を生業にしているタロタロは力が強い。流石に両手がかりだとキツいのか、パーシヴァルは唇を引き結んでいた。

 フラミィは二人に駆け寄って声援を送った。


「わぁ、どっちもがんばれ~」

「あ、フラミィ! もう機織りはいいの?」


 タロタロがフラミィへ注意を向けた隙を、パーシヴァルは見逃さず、彼の両こぶしを砂に埋もれさせた。


「あー!?」

「タロタロ、油断、した」

「ずるい!」


 もう一回! と挑むタロタロを宥めて、パーシヴァルが立ち上がった。


「行きますか?」

「うん、今日はたくさん探せるといいな」

「上へ行く程幅が狭くなるから、何段かクリア出来ると思うぜ」


 三人は揃ってシェルバードの崖へ出かけ、昨日より慣れた手つきで骨を探した。

 シェルバードは彼らを『また来た……』という顔でチラチラ見て、捜索の順番が来ると巣を見せてくれた。


「はー、なんか飽きてきた」


 タロタロがうーんと伸びをして、ロクに足元を見ずに歩き、段を踏み外した。

 彼が下の段の巣へ落っこちると、パキパキポキンッと音が響き、白い粉末が煙の様に立ちあがる。

 落ちた衝撃で、巣に積まれた貝殻や死んだ珊瑚やらが砕けてしまったのだ。

 不幸なシェルバードは間一髪巣から飛び出して難を逃れたものの、さすがに毛を逆立てて怒り、タロタロをくちばしで突き始めた。


「タロタロ、大丈夫!?」 

「大丈夫! いてて……ごめんってば……あっ」


 白い粉だらけになったタロタロが、口に手を当てた。

 フラミィは慌ててタロタロの傍に膝をついて、彼の顔を覗き込んだ。


「どうしたの? 怪我したの!?」

「歯が抜けた」


 タロタロはケケ、と笑って怒っているシェルバードに抜けたばかりの歯を差し出した。


「巣壊してごめんな」


 歯を見た途端に、怒っていたシェルバードは釣り上げていた目をくりんと丸くして、うるうる潤ませた。


「やるよ」

「プルルン……!」

「許してくれる?」

「キュルン!」


 シェルバードは、そうっとタロタロの手にある歯を咥えて、尾びれを振った。

 許してくれるらしい。


「優しいのね、ありがとう」


 フラミィはホッとしてシェルバードを撫でた。

 なんだなんだと様子を見に来たパーシヴァルは、「シェルバードにとって、歯は巣よりも貴重である」とブツブツ呟きながらメモを取っていた。


「一体、歯、を、どうする、のでしょう?」


 パーシヴァルが興味津々に尋ねてきたけれど、フラミィもタロタロもシェルバードが歯をどうするかまでは知らなかった。

 島の人達が子供時代の思い出を愛する様に愛されているシェルバードは、その愛情に守られ人間達の干渉を受けていなかった。

 フラミィ達は、タロタロの歯を咥えたシェルバードをじっと見つめた。

 いつの間にか他のシェルバード達が集まって来ていて、手びれでパチパチ地面を打ち始めた。


 パチパチパチ、パチパチ、パチパチパチ……まるで旋律が存在しているみたいに、地面を打つ音のリズムは揃っていて、崖中に響いた。今や、崖中のシェルバードが巣が崩れてしまうのも気にならない様子で、手びれを地面に打ちつけていた。


「な、なに……?」


 パチパチパチ、パチパチ、パチパチパチ!

 パチパチパチ、パチ!!


 歯を咥えたシェルバードが嬉しそうに首を上下左右に振って、ポーンと歯を真上に投げた。


「あー」


 フラミィ達は口をポカンと開けて、大空を背景にキラリと光る歯を見上げた。

 その時、シェルバードが驚くほど飛び上がり、空中で歯をキャッチするとゴクンと飲み込んでしまった。


「えー!?」


 三人とも驚いて、声を上げた。

 しかし、もっと驚く事が起こった。

 シェルバードが地面に着地する瞬間、ふわりと男の子の姿に変身した。

 それはタロタロの姿をしていた。少し透けていて、後ろに広がる碧い海が見える。


「え、え、え!?」


 驚く三人に、シェルバードだったタロタロがニヤリと本人そっくりに笑った。

 そして、彼女達が口をきけないでいる間に、ぴょんと大きな跳躍をして海に飛び込んで行き、気持ちよさそうに泳ぎ出した。


「タ、タロタロ……?」

「いや、あれはシェルバードで、タロタロは俺……!?」

「あああああ……!? キャメラ……」


 三人が混乱していると、シェルバードのタロタロがバシャン、と海から飛び出し、今度は空へ飛んだ。


 パチパチパチパチ……!! と、拍手の様にシェルバードの地面を叩く音が盛り上がった。

 本当にこれは拍手なのかも知れない。

 タロタロの姿をしたシェルバードはくるんと崖の上に輪を描いて飛んだ後、高く高く空へ昇り、点となり、とうとう見えなくなってしまった。

 フラミィもタロタロもパーシヴァルも、ポカンと空を見上げ、この日はもう、骨探しどころではなくなってしまった。

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