踊れ、踊れ、フラミィ
梨鳥 ふるり
第1話 フラミィは踊ってはダメ
その島は、世界で最も純真な泡の様に、ぷかりと海に浮かんでいる。
島を守るのは、老婆の姿をしたルグ・ルグ婆さんという名の神様の使いだ。
ルグ・ルグ婆さんは、島人たちの良い行いや喜ばしい出来事を、満月の夜に踊りで神様に報告するのだという。神様は、それを聴いて次の満月までの豊穣を約束してくれるのである。
島の人達は、残らずその神話を信じている。
島の女達は、満月の日のお祭りに、ルグ・ルグ婆さんに踊りを贈る役目を担う。
ルグ・ルグ婆さんを介し、延いては神様と交信する、大切な役目だ。
だから、この島で一番上手く踊れる女は、ルグ・ルグ婆さんの次に偉い女だ。
その女の事を、ルグと呼ぶ。とても名誉のある敬称である。
今年のルグは、二十八年前の満月の晩に生まれたエピリカという女だ。
そして、この島で一番踊りが下手な女は、島で一番笑われる女だった。
その女には呼び名なんて当然与えられない。
こちらは毎年、十四年前の新月の明け方に生まれたフラミィという女の子だ。
フラミィは皆みたいに踊れない。
腰を振る度にグラグラ揺れて、ターンの三回に一回は転んでしまう。
ポーズだって、皆と一緒にキメられない。
たまに隣の女にぶつかって、皆の気持ちの輪を乱してしまう。
本人は一生懸命だけれど、一生懸命だけでは、どうしようもない事がたくさんあるみたいだ。
皆、フラミィを見てクスクス笑う。ちょっと迷惑そうにもする。
踊れない事は、笑われる事。それがこの島の常識だからだ。
イヤな島だと思うだろうか?
いいや、そんな事も無い。
太陽が降り注ぎ、海は豊か。島には穏やかな潮風が吹き抜け、鳥たちの歌で溢れている。
皆ニコニコしているし、元気いっぱいに日々を過ごしている。
ただ、その中でフラミィは踊れないだけ。
*
満月の夜は規則正しく島にやってくる。
満月の光で砂がキラキラ輝く砂浜に火が焚かれ、太鼓や木琴の音が響き渡り、女達が踊り出すと、お祭りが始まる。
フラミィもいつもの様に、隅っこの目立たないところで踊りに混じっていた。
フラミィは、踊るポジションは何処でも良かった。
彼女はただ、神様へ捧ぐ踊りを踊れるだけで、満足だったのだ。
島には、踊りたい者に対してそれを止めてはいけない、という掟がある。
掟を作ったのは、きっと神様かルグ・ルグ婆さんだ。
だから、そんな掟を作ってくれた神様とルグ・ルグ婆さんは、踊りが下手でもきっと見ていてくれる。
フラミィはそう思っていた。
自分の踊りなんか、誰も見てくれないけれど、神様とルグ・ルグ婆さんだけは見てくれている。
そう思うと、フラミィは幸せな気持ちになるのだった。
さて、踊りが中盤に差し掛かった頃、フラミィの傍に、最前線で踊るエピリカが何故かだんだん寄って来た。
ちょうど、フラミィの一番不得意なステップの時だった。
あっ、と思った時にはもう、良く分からないままエピリカと転んでいた。
悲鳴やどよめきが起こる中、フラミィはエピリカの呻き声を聴き、慌てて砂から起き上がる。
ルグ・ルグに捧げる踊りを、中断する事は出来ない。
だからフラミィは一人、エピリカに肩を貸し、皆が心配そうに様子を伺いながら踊り続ける中、踊りの輪から抜け出した。
皆から自分に注がれる非難の視線で、フラミィの肌はヒリヒリ痛んだ。
直ぐに島人達がエピリカを囲み、フラミィから引き剥がす様に彼女を抱えて連れて行った。
フラミィは申し訳なさでいっぱいになりながら、惨めな気持ちでその後を追った。
エピリカはヤシの木の下の、柔らかい地面に座らされた。
村で一番年寄りの長老オジーが、エピリカの傍に屈みこみ足の様子を見て、溜め息を吐いた。
「ルグ・エピリカは、今夜はもう踊れない」
落胆の声が、そこかしこで上がった。
フラミィは身を小さくして、おずおずとエピリカに謝った。
「ルグ・エピリカ、本当にごめんなさい」
「いいのよ」
エピリカは足の痛みに顔を歪めながら、短く言った。
本当はとても怒っているけれど、フラミィだから仕方がないとでも言う様に。
フラミィは泣き出したかったけれど、この場で泣くのはきっと狡い事だから泣かなかった。
泣きたいのは、きっとエピリカの方なのだし。
だから謝罪を重ねるしか無かった。
「本当に、本当にごめんなさい……」
うなだれるフラミィの後ろで、誰かが小さな声で、でも聴こえる様に言った。
「わざとなんじゃないの」
満月はいつもみたいに明るくて、皆の怒った顔を照らしてフラミィに見せる。
エピリカの無念そうな顔も。
フラミィは心の中で「違います」と言って、再び謝る事しか出来ない。
*
ルグを失った踊りの奉納が終わると、島人達は早々に家へ戻って行った。
皆、次の満月まで、ヤシの実や海の魚が減るかも知れないと、口々に心配を漏らしていた。
フラミィはママと一緒に彼らに頭を下げて、お祭りの広場に最後まで残った。
最後の一人は長老のオジーで、杖を突いて母娘の傍に来ると、こんな事を言った。
「仲間外れは良くない。努力し、やりたいという者に、やるなとは言えない」
「オジー、いつもフラミィを参加させてくれてありがとう……」
ママが消え入りそうな声で言うのに被せて、オジーが素早く言った。
「出来る者の方が我慢をする事を、どう思う? フラミィ」
フラミィは俯いて応えた。
「駄目だと思います……」
「うむ……。踊りを愛するのは島人として素晴らしい事。しかし、分かって欲しい。これは神への奉納なのだ……島の実りがかかっているのだ。しかし、踊りたい者をそうさせないのは掟破りだ。だから、フラミィ……」
フラミィの横で、ママが鼻を啜り上げた。
島人達に迷惑をかけるのも、ママをこんな風に泣かせるのも、フラミィは望んでいない。
フラミィはごくりと唾を飲み込むと、心の奥から大事なモノを抉り出して、言った。
「み、み、皆の、じゃ、邪魔になるので、もう、も、もう、ま、満月の、日の、お祭りで、は、お、お、踊りに、参加、し、しません……」
持って行かないで、と喉が言葉を閉じ込めようとし、舌がナメクジみたいになって、出て行く言葉を壊そうとした。
せっかく頑張って言ったのに、オジーは難しい顔のままだったし、ママも悲しい顔のままだった。
二人の大人はフラミィの頭を順番に撫でた後、静かに踊り出した。
子供を褒め、愛していると伝える踊りだった。
『いい子だね
いつも見ているよ
わたしから
溢れる
いっぱいの愛を
受け取っておくれ……』
フラミィも踊った。奉納の踊りではないのだから、これは自由だ。
子供用の振付だから、フラミィも上手に踊れた。
『いつも
わたしに
愛をたくさん
ありがとう
だいすき』
笑顔で踊る踊りなのに、ママもオジーも泣いていた。
抉り出して失くしたものが、悲しみなら良いのに。
フラミィはそう思って唇を引き結び、歯を食いしばると空を見上げた。
満点の星空と満月が輝いている。
フラミィは瞬きして、目をキュッと細める。
そうしないと、夜空を横切る星の大河が、瞳の中に零れ落ちて来そうだ。
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