第41話 明るい春の日差しの中で

 小鳥のさえずりが聞こえ、花や草木が一斉に芽吹きを始めた。明るい日の光に誘われるように、誰もがつい外へ出たくなる季節になった。街では、皆窓辺に花を飾り、ウォルナー王子の婚礼の馬車が通り過ぎるのを心待ちにしている。そう、今日はウォルナー王子の待ちに待った婚礼の行われる日だ。ミラベルの住んでいたエッジ家では、父母が朝から大忙しで着飾っている。父ソイと母アプリコは、一世一代の晴れ姿とばかり、この日のために自分たちで仕立てた服で盛装している。主役は自分たちではないのに……。

 勿論ミラベルの婚礼の時に着るドレスも二人が仕立てたものだ。腕に寄りをかけて一針一針丹念に仕上げた


「幼いころから家庭教師を付けて勉強させ、成長してから毎日図書館通い。仕立て屋の娘にどうしてそんなに勉強させるのかと、私は気が気ではなかったわ。可哀そうなくらいだと思っていた……」


「そんなに気に病むことか? 結局はうまくいったではないか。王子様に気に入られて、妃になるなんて、こんなに素晴らしいことはない」


「あなた、本当にそう思っていらっしゃるの? 私は、勉強してこの街の裕福な商人に見初められれば十分だと思っておりましたのに……お妃だなんて……大変なことになってしまったではありませんか」


「そっ、そうか……まさかわしも王子様に気に入られるとは思ってもみなかったんだが……どういうわけだろうなあ」


「全く、どういうわけでしょうねえ。母親の私にもさっぱりわかりません」


 市場にも以前のような活気と平和が戻ってきた。ヘーゼルは国王の側近として働くようになり、春の日差しの中で一歩踏み出し始めた。少しづつだが何かが動き変わっていく。


「ヘーゼル、ピスタ、あなたたち又外で遊んでいるの!」


「母さん、日頃から体を鍛えなきゃ、いざとなった時に戦えないだろ!」


「全くヘーゼルまで、ピスタは少しは勉強しなきゃ!」


「兄さんが今まで言っていたとおりだ。体を鍛えなければダメ。僕は、いざとなっ

た時のために体を鍛える。ヘーゼル兄さんみたいにね」


 ブランディ侯爵家の三兄弟も少しずつ大人になっていく。


 雑木林の中の小屋に住むレーズンおばあさんは、突然の訪問者に驚き、足取りもおぼつかずそばへ寄っていった。


「ばあや、また王宮へ戻ってきてください。同居していたミラベルさんもこちらへ来てしまって寂しいでしょう」


 ウォルナー王子が会いに来た。


「なあに、若いもの邪魔をしたくないよ! 私はここが気に入っているんですよ、殿下」


「そうなのですか? では、時々様子を見に来ます、ミラベルさんと一緒にね。それならいいでしょ?」


「まあ、まあ、気を使ってくださって。もったいないお言葉です」


「誰かがまた、突然飛び込んでくるかもしれませんね」


「そんなことはめったにないだろうが、全くないとも言い切れないね」


「では、ばあや、また会いましょう」


 王子は雑木林を後にした。ここの林は、レーズンおばあさんがメイド頭を辞めた時に、長年勤めた功労に対して贈られたものだった。林も小屋の周りの僅かな畑もおばあさんの大切な宝だ。

 

 ミラベルは密かにレーズンおばあさんの元へ通っている。メイドとしての心構えや所作、仕事の仕方は教わったものの、妃としての振る舞い方などは全く分からないからだ。侍女頭に聞くことも考えたが、やはり、気心の知れた人に聞きたかった。レーズンおばあさんの小屋では、再び特訓が行われていた。歩き方から身のこなし、礼儀作法、使用人たちとの接し方、ありとあらゆることを教わっていた。馬車に乗って通っている。特訓が終わるころにはいつもぐったりして、馬車の中で体を休めることになる。


「おばあさん、こんな身分違いのお妃が私に務まるかしら? 何から何までわからないことだらけ……」


「な~に、そんなに気に病むことはないよ。王子様がお妃になってほしいと望まれたんだ。すべて王子様の責任ではないか……アハハ!」


「ですが……私のせいで、王子様が嫌な思いをするのは耐えられませんから……」


「そうかい。嫌な思いなんかしてないよ。王子様が子供のころは、体がお弱くて病気ばかりをしておいでだった。病気をする度に、医師たちは勿論のこと、王宮にいる皆が命が縮む思いをして過ごした。そのせいだろうか、王子様には嫌がることは何もさせないし、皆言うなりになっていった。そして、いつもはれ物に触るように接するようになった。幼いころからそんなふうに育った王子様は、友達も作ることが出来なかった。寂しさを紛らすために、若い使用人をからかったり、小動物を眺めたり、迷路で遊んだりしていた。ミラベルが来たことがよほどうれしかったのだろう」


「そんな王子様がいらっしゃることを知っていて、おばあさんは私を狩猟場へ行くように勧めたのですか?」


「いや。そんなわけではない。王子様はお金も十分持ち合わせているだろうから、お前がお金を貯めるにはうってつけだと思っただけだ。本当だよ」


「あら、まあ。そうでしたか。確かにお金もたくさん下さいましたが、本当にいい方でした。いつも優しい心遣いをしてくださいますし、私のことをいたわってくださいますし、励ましてくださいますし、楽しませてくださいますし、あの美しい瞳で見つめられたらうっとりしてしまいます。それに、最近はとっても逞しくなられましたし……」


「聞いてたら、日が暮れてしまいそうだね。まあ、仲良くしてあげておくれ」


「もちろんです」


「ミラベル、ここへ飛び込んできてよかったね。いつまでも幸せにね!」


「ありがとう、本当に、ありがとう……ここでの生活は、楽しかった」


 小さな体で、小さな手を思い切り振りながら、雑木林の中のおばあさんが遠ざかっていく。ありがとうおばあさん。ミラベルの声が、いつまでも聞こえていた。


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