第30話 一冊の本 

 プルーナ嬢が監禁されているにもかかわらず、グレーシア公爵からは何の音さたもなかった。帰ってこないということはことは、この計画がばれて捉えられてしまったのだと思い、娘のことをあきらめたのだ。娘を計画に巻き込んでおきながら、なんとも身勝手な公爵だ。うっかり王宮に姿を現しても、自分も捉えられてしまうと思ったのだろう。この事件の参考人としてグレーシア公爵を召喚しようと兵を向かわせたのだが、公爵邸はもぬけの殻だった。どこかに隠れているのだろうが、潜伏先はわからなかった。市場でミラベルの家を乗っ取った連中の様子を探りに行っても、戸が固く閉ざされ、そこも人のいる気配がなかった。ミラベル達の一家を追い出した輩もどこかへ身を潜めてしまった。彼らを一網打尽にすることは出来ず、どこで誰が狙っているかわからないという得体のしれない恐怖感があたりを支配していた。

 ウォルナー王子は、ミラベルが計画を聞いてきたお陰で、盗賊たちを捕らえることができ、彼女に感謝しても感謝しきれないぐらいの気持ちでいた。


「ミラベルさん、あなたの勇気ある行動のお陰で王宮の財産や、人々を守ることが出来ました。王宮にいる者たちの命と、財産、目に見える物だけではなく僕たちの誇りも守ることが出来ました」


「ウォルナー王子様、私はあの時は無我夢中で話を聞いただけです。王子様にお仕えする者でしたら、誰でもあの場にいればそうしたことでしょう。王子様にいつも大切にしていただいているのは私の方。お役に立てただけで幸せでございます」


「それで、こんな形でしか感謝の気持ちを表せないのだけれど、少ないですが僕の気持ちですので受け取ってください」


 そう言って王子は机の抽斗を開けると、ミラベルの手に分厚い封筒を握らせた。見たことがない程の厚みのある封筒に目が釘付けになってしまう。


「こんなに分厚い封筒……私仕事だと思ってやっておりましたのに」


「いえいえ、いいのですよ。受け取ってください」


 ミラベルは、ウォルナー王子の真剣なまなざしを見て、素直に受け取った。


「もったいないお言葉です。有難く頂戴いたします」


 両手で受け取り、鞄の中へ入れた。


「これからも、僕たちのためによろしくお願いします」


「もちろんでございます。これからも王子様のために命がけで働きます」


「頼もしいです。心から信頼できるのはミラベルさんだけかもしれません」


 ウォルナー王子は大きな手をミラベルに差し出した。ミラベルはその手をしっかりと握り返した。王子はその手をしばらく握っていた。あまりにも長かったので、ミラベルが恥ずかしそうに王子の顔を覗き返すと、慌てて手を離した。

 ウォルナー王子は、ミラベルにとって今や運命を共にする同士のような気がしていた。

 使用人たちも、王や王妃たちも皆一様に神経を高ぶらせていた。そして口数は少なかった。王宮では警護を今以上に厳重にすることになった。それでも緊張感は、事件の前以上に強くなっていた。


 ミラベルは、行き帰りの道でも周囲に人がいないかどうかを確かめ、早歩きで帰った。誰かにつけられているのではないかという恐怖心が常に付きまとっていた。

 レーズンおばあさんは、王宮であった忌まわしい出来事をミラベルから聞き、考え込んでいた。グレーシア公爵家はなぜ現在の王に逆らうようなことをしたのだろうか。レーズンおばあさんは、たった一つしかない家財道具であるチェストの抽斗を開け古い古文書のような冊子を取り出した。そこには、家系図が書かれていた。家系図の一番下を指さした。


「現在の王家はこれだ。現在五代目の王があとを継いでいるのだが、その前の代を見ると、別の家系図から分かれた家が王家を継いでいた。何らかの理由があって、今の家系に変わっているんだが、どうしてだったかなあ」


 おばあさんは考え込んでいる。ミラベルもその古い書物を覗き込んでいる。


「そうだ、ミラベルは図書館でたくさん書物を読んでいたんだっけね。この古文書を読んでみておくれ。昔の言葉で書かれていて、私にはわからない言葉も出てくる。これを読めば、グレーシア公爵が今の国王を嫌っている理由がわかるかもしれない」


「読めるかどうかはわかりませんが、本をお見せください」


 そう言ってミラベルは、ランプに火をともし一晩中その本を読み続けた。そこには今の王国が作られた経緯が書かれていた。

 

 朝になり、ベッドから起きてきたおばあさんに、本のある部分を開けて読んだ。


『オーク家がもともとこの一帯を支配していたのだが、家臣の中に謀反を働く者がいて、一家や他の家臣たちは、皆殺しにされてしまった。しかし、運良く一人だけ城から逃げることができた者がいた。一族の中の幼子一人が、城内にいた家臣に抱えられて地下にある隠し通路から抜け出ることができた。他の者たちは通路の入り口さえ知らず皆息絶えたのだった。その一人がどうなったのかは全く謎のままである。その後謀反を働いた家臣が王となったのだが、暴君で民衆は苦しめられていた。その王はある日、落馬により命を落としてしまった。世継ぎのいなかった王国は彼の代で途絶え無法地帯となり、盗賊たちが支配する国になってしまった。それを見かねた現在の王家が、この国を立て直すべく城を築き秩序が戻ってきた。盗賊たちは遠くの地へ逃げたり、殺されたりして国に平和が訪れた』

 そこまで説明すると、ミラベルはレーズンおばあさんにつぶやいた。


「このオーク家というのは、ひょっとして」


「そうだね! このオーク家が、名前を変えて今はグレーシア家と名乗っているんじゃないのかい」


「私もそうじゃないかと思っていたの!」


「だったら辻褄が合うね」


「おばあさん、凄いわ! この本どこで手に入れたの?」


「領主さまの屋敷で、こんな昔の本いらないからと言っていたので、もらい受けてきたんだ。こんなときに役に立つとは思わなかった。みんなそんな昔の事なんか忘れていたんだ。だって何代も前の話だ」


「このこともウォルナー王子様に報告してくるわ。おばあさんこの本は見つからないように、隠しておいてください」


 二人は、前に入っていたチェストではなく床下を開けてその本を入れ、元に戻した。


「これで、誰かが探しに来ても見つからないわ。さあ、これからメイドの仕事に行ってくるわ。王子様の力になって差し上げなきゃ!」


「まあ、ほとんど寝ていないのに大変だねえ。行って、王子様を励ましてあげてね」

 ミラベルは、眠い目をこすりながら王宮へ向かった。


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