第21話 心の支え

 舞踏会まであと一週間になった。王宮の全ての人たちが落ち着かない様子だ。ウォルナー王子だけが例外のように、落ち着き払っている。朝食の用意をしているところへやってきて、ミラベルの仕事ぶりを見ている。


「ここの仕事もすっかり板についてきましたね。来た時は、一つ一つ考えながらやっていた仕事を、無意識にやっているように見えます」


「はい、手順がわかってきたので考えなくても体が動くようになってきました」


「だいぶ上手になりましたよ」


「やはりメイドの仕事の事はウォルナー様のほうがお詳しいですね」


「そりゃ、僕の方が長くこの家にいたからね。もうミラベルさんのレッスンは終了ですか?」


「はい、もう申し分ないかと思います。ただ、こんなことを私が行っていいものかわかりませんが、ウォルナー様はあまり剣術の稽古はなさらないのですか?」


「ああ、その事ですか。ぼくは、子供のころから剣を見るのが苦手だったのです。それで、逃げてばかりいました」


「平和なときはよろしいかと思いますが、もし何かあった時に心配です。身を守らなければなりませんから……」


「僕のことを心配してくれているのですね。それもこれからは考えます。みんな僕に言いにくいことを言ってくれない。寂しいですね」


「王子様とは、そういうものなのですか?」


 ウォルナー王子は、じっと考え込むように下を向いた。そしてミラベルの手を取った。


「ありがとう。これからも僕のそばで働いてくれますね?」


「ええ、そうさせていただけるのでしたら……」


 最近少しだけつけるようになった香水の良い香りと、温かい手のぬくもりが伝わってくる。使用人たちの噂になっていた。最近の王子は日に日に魅力を増して、以前の王子とは別人のようだと。その噂を一番身近で感じていたのがミラベルだった。ただ高価なものだけを身に着けて相手にひけらかしていた姿は身を潜め、上品でかつ気品のある服装に変わった。話しをするときの口調や、相手に対する視線や心配り、身のこなしなども優雅になった。ミラベルがレーズンおばあさんから受けた手ほどきを、伝授しただけなのに、もともと素養があったのだろう。


「ミラベルさん、最近僕と話をするとき、緊張していませんか」


「そんなことはございませんが……」


「僕の様子が変わったからといって、人が変わってしまったわけじゃありません。昔みたいに気さくに話してください」


「あら、私も人が変わってしまったわけではないのですが……できるだけ以前のように振る舞います」


 そう答えたが、ウォルナー王子を見るミラベルの眼は変わっていた。それが態度に出てしまうのだ。自分の思いが悟られないよう、気を付けなければいけない。昨日偶然会ったヘーゼルにもミラベルの変化が見破られてしまったような気がする。舞踏会の日が迫るのが憂鬱で仕方がないのだが、気丈に振る舞うしかない。


「ミラベルさん、舞踏会でうまくご令嬢の心を射止めたら、あなたには特別ボーナスを差し上げます!」


「光栄です。私の努力が認められる日が来るといいですが……」


「あなたと話すように自然に話が出来ればいいけど……」


「相手のお嬢様を練習台の私だと思って話しかけてみてください。きっとうまくいきますよ。では、私は仕事に参ります」


 その日の午後大変なことが起きた。ミラベルとラズリーは食事のあとかたずけをするため食器を一回の食堂から、地下の厨房へ運んでいた。二人の仕事になっていて、もう何度も繰り返し行っていたのだが、ミラベルが食器を持って階段を下りていたところ、駆け足で上がってきたラズリーと正面からぶつかった。ミラベルはぶつかった拍子にバランスを崩し、その勢い手から滑り落ちた。持っていた数枚の皿は階段の前方へ落下し、ガシャンと大きな音がしてばらばらに割れた。


「あっ、お皿が!」


「キャーッ、危ないっ!」


 ラズリーは、前方を見ないで階段の真ん中を駆け上がっていたのだ。ミラベルは、階段の途中で誰かと交差することがあるので必ず片側へ寄って通るようにしていたのだが、これはラズリーの不注意だ。しかもバランスを崩したミラベルは、水で濡れた階段を滑り落ちて、皿のあるフロアまで転がった。割れた皿の上に投げ出されるようにして倒れ込んだミラベルは、必死で体を支え腕を守ろうとしたのだが、手をついてしまった。体は無事だったものの、手首から血が流れている。


「ああ、痛い……血が……」


「大変だ、怪我してる!」


 厨房で調理をする係の人達が寄ってくる。その中の一人が、腕から流れている血を見て急いで近くにあったタオルを巻き止血してくれた。出血の量はそれほどでもないのだが、それを見ていたらミラベルは頭がぼおっとしてきた。タオルにまで血がにじんできて、それを見て気分が悪くなってきた。


「椅子に座って! 他の人たちはお皿をかたずけて」


「……あ~あ、高価なお皿を割ってしまいました……」


「今は何も言わないで、じっとしていて」


 ミラベルは、血を止めようとタオルの上から手首をぎゅっと押さえた。切り傷はキリキリと痛み、何も言葉を発することが出来なかったが、お皿のことが気がかりでならなかった。自分一人で弁償することになるのだろうか。明らかにラズリーに非があるのだが……


 メイド頭のクランがそばへ来て言った。


「傷の事も心配だけど、お皿を割ってしまったことは奥様に謝らなければならないわ。ミラベルさん、出血が止まったら、一緒にお詫びに行きましょう」


「あのう……私だけですか? 階段の真ん中を駆け上ってきたのはラズリーでした。一緒に謝らないのですか、ねえラズリー」


 ラズリーは目を泳がせていた。そしてミラベルと視線を合わせないように言った。


「私には責任はありません。急いで降りてきたのはミラベルさんです。一人で謝るべきです。クラン様そうでしょ?」


「そうねえ。私はここに居合わせなかったからよくわからないけど。割ってしまったのはミラベルさんですから、ミラベルさんが誤るべきでしょうね」


「……そんなあ、あんまりです。弁償はします、でも私一人の責任なのですか?」


「これ以上弁解をしても仕方ないわ。割れてしまったものは元に戻らない。弁償については奥様に訊いてみましょう」


 相変わらずラズリーはミラベルと視線を合わせないようにうつむいたままだ。お金がないのは二人とも同じなのに、新入りはいつも我慢しなければならないのだろうか。出血が止まりメイド頭のクランとミラベルは、ローズ王妃のところへ謝罪に行った。始めにメイド頭のクランが説明した。


「奥様大変申し訳にくいのですが……こちらのメイド、ミラベルがお皿を数枚割ってしまいました。わたくし日頃から、高価なお皿ですから取り扱いには十分注意するようにと申していたのですが、監督が至りませんで階段で転び勢い余って手から滑り落ち割れてしまいました。本当に申し訳ございませんでした」


「わたくしの不注意で高価なお皿を割ってしまい、申し訳ございません。弁償させてください!」


 ローズ王妃はがっかりしていると同時に、困惑しているようだった。お皿は確かに高価なものだったが、入ったばかりで仕事に慣れない若いメイドに冷たい扱いはしたくないのだ。さりとて、何もしないのでは他の使用人たちに示しがつかない。暫く考えてからミラベルに言った。


「それではこうしましょう。ミラベルさん、来月分のお給料からお皿代をひかせていただきます。一か月分の給料程ではありませんので、安心してください」


 ミラベルは、最悪の場合一か月分ぐらい給料が無くなってしまうのではないかと覚悟していたので、この申し出はありがたかった。どのくらいひかれてしまうのかはわからなかったが、無くなることはないとローズ王妃も言っている。


「それより、ミラベルさん。手の傷はひどかったのですか。お医者様に見てもらった方がいいんじゃないかしら?」


「いいえ、押さえていたら出血は止まりましたし、そんな大げさなことはありません」


「そうお。必要だったら、家の主治医を呼びますから遠慮なく言ってちょうだいね」


「奥様、ありがとうございます」


 二人は、ローズ王妃の元を離れた。包帯をした方の手はまだ痛み、重いものを持つことはできなかった。色々なことがうまくいかなかったが、とにかく今日一日は乗り越えることができた。その話は、王妃からウォルナー王子へ伝わった。彼はお皿の事よりも何よりもミラベルの傷のことが気がかりだった。


 給料日が来て、普通はみな執事から受け取るのだが、ミラベルは直接王妃に呼び出された。お皿代が引かれることをメイド頭のクランが聞いていたので、その事かと思われていた。

 ミラベルは給料を受け取った。


「開けてみてください」


「はい、あら。王妃様これではおかしいです! お皿代が差し引かれることになっていたのですが、引かれていません」


「いいえ、私は確かにお皿代を引いたんです。そうしたら、その分のお金は、ウォルナーが払うからいいって足したのです。だからいつもと同じ金額になっているんですよ。ウォルナーの気持ちということで、これでよろしいですよ」


「ウォルナーさまが……そんなことをして下さったのですか。王妃様もそれをお許しくださってありがとうございます! お礼を申し上げなければ!」


お礼を言いに行くと、ウォルナーは「別にいいんだよ。お皿なんか家にはたくさんあるんだから。でもミラベルさんの代わりはいない」ととぼけていた。帰りがけには、「このことはクランさんやラズリーには内緒だよ。手の傷気を付けてね」と声を掛けてくれた。このところウォルナー王子はミラベルにこの上なく優しくなっていた。

   

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