第17話 体を鍛える

 翌日もウォルナー王子のレッスンをするために、ミラベルは部屋を訪れた。王子は屋敷のどこかにいるか、自室にいるかどちらかなので屋敷で見かけなかったので多分部屋にいるだろうと思って行ってみた。案の定部屋でごろりとベッドの上で横になり寛いでいた。王子はそろそろミラベルが入ってくる頃だろうと、部屋で待っていたのだ。ノックをすると声が聞こえたので開けて入った。


「あのう、ベッドでお休みのところ失礼しました。後にいたしましょうか?」


「いいや、起きてるよ。そろそろ来る頃かと思って待っていました。これからレッスンをしよう」


「はい。今日のレッスンはたくましい体作りです。王子様は体格はよろしいのですが、失礼を申し上げますが、身のこなしに切れがありません。それは体に筋肉がついていないからでございます」


「筋肉? こうやると出るのか?」


 彼は、腕を曲げて力こぶを作ろうとしたが、全くこぶはできないし、固くもならなかった。ミラベルが恭しく触ってみると柔らかいままだ。


「筋肉があれば、ここが固く膨らむのですが、ほとんどないので盛り上がってきません」


「どうすればいいんだ」


 王子は体を鍛えたことがないのだろうか。筋トレをして基礎から鍛えなければならない。

 では、床に横になってください。


「横になって、何をするのだ。俺に変なことするなよ!」


「変なことなど決して致しません! これから鍛えるのでございます!」


 ミラベルは王子の両足首をしっかり押さえた。


「この体勢で体を起こしてください。それをまず百回繰り返してください。出来たらそれを何セットかやってみましょう」


「う―っ、こうかっ、よいしょ」


「いち、に―、さん、しー、……」


 王子の唸り声と、ミラベルの数を数える声だけがする。途中で止まってしまうこともあり、なかなかスムーズにはいかない。それでも、王子はお腹に力を入れ必死に体を曲げる。足首を掴んでいるミラベルの腕にも力が入り、二人は必死の形相になっていく。途中何度も止まってしまい、ようやくワンセットが終わった。


「こんなことをしなければ、女性にもてないのか……。王子という肩書だけではだめなのだな……」


「せっかく素晴らしい肩書をお持ちなのですから、それを生かすためにも必要なことです。さあ、あとひと踏ん張り頑張りましょう」


「……う~ん、よいしょ、ふーっ、よいしょ、……」


「次は、下を向いて腕だけで体を支えてくださいませ。腕立て伏せをして腕の筋肉を付けましょう」


「えっ、こんな格好もしなきゃいけないのか! ミラベルさん変なことしないでくださいね!」


「まあ、王子様! 変なこととは何でございますか?」


「それはだなあ、後ろから僕の背中に乗ったり、抱き着いたり」


「そのようなことは、誓って致しませんので、ご心配なさらないでください。なぜそんなに心配なさるんですか」


「だって、ミラベルさん昨日は僕のことを見てうっとりしていただろ?」


「いえいえ、それは、王子様! 勘違いではございませんか。では、腕を曲げたり延ばしたりしてください。はいっ、いち、にっ、さん、しっ、……」


 王子は汗びっしょりになり、唸り声をあげて腕を延ばしたり曲げたりしている。ミラベルも必死だ。それを十セットも繰り返した。

王子の唸り声とともに、筋肉を鍛えるためのトレーニングが終わり、ぐったりとしてベッドに倒れ込んだ。ミラベルも終わった時には汗をかいていた。王子はシャツを脱ぎ、タオルで汗を拭いている。ミラベルもハンカチを出して、首筋や額の汗をぬぐっていた。

 そこへノックの音とともに、メイド頭のクランが飲み物のお盆を手にして入ってきた。クランの視線は、二人の姿にぴたりと止まった。


「……クラン様、あのうこれは……」


「これはいったい、どういうことですか? お二人で何をなさっていたのですか、王子様、ミラベルさん!」


「なにもしてないよ、クラン!」


「こんなところを見てしまうなんて、私どうしたらいいのでしょう、メイドと王子様が……」


 クランは、何もしていないという王子の説明を聞いてもうろたえている。


「あのう、王子様は体を鍛えていたのです。私はそのお手伝いをしていました。本当です」


「そうだよ、クラン。君の誤解だ」


「わ、わ、わ、私……何も見てございませ―――ん!」


 クランは、飲み物を置いて慌てて部屋を出て行ってしまった。それと同時に王子は大笑いし始めた。人の心配をよそにのんきな人だ。


「まあいい、クランの事は気にしないで」


「秘密の練習だったのに、ばれてしまいましたか? 私は後でクラン様に何か言われてしまうか心配ですが……ウォルナー王子様を素敵な王子様にするためのプロジェクトは、極秘に行われなければなりません」


 王子はベッドに両手足を広げた状態で寝転がっていたのだが、起き上がって飲み物の入ったグラスに手を伸ばした。それは冷やしたレモネードのようで、疲れを取るのにうってつけだった。


「レモネードは疲れた体を癒すのにはもってこいの飲み物ですね」


「ふ~ん、そう。君も後で厨房でもらって飲むといい。残ってたらだけど……」


「お気遣いありがとうございます」


「そうそう、明日もまたよろしくね。自分がどうなるのか楽しみだなあ。最後に、昨日の練習の成果を見せるからね」


「あっ、はい。では、昨日の復習をしながらお別れしましょう」


 王子はミラベルに手を差し伸べて指先にそっと口づけをする。これも練習の成果だ。


「ミラベルさん。しばしお別れですね」


 そして、じっと相手の瞳を見つめ愁いを含んだ表情をする。


「大変お上手になりました。この調子でございます。今日はよく頑張りました、ウォルナー王子様!」


 ミラベルは扉を閉めて、きょう一日のことを振り返る。チョコレート争奪戦で負けたり、ラズリーの窓ふきの仕事のしりぬぐいをさせられたりしたが、ウォルナー王子が最後にしてくれた挨拶で嫌なことがすべて吹き飛んだ。これはどうしたことだろう。給料以上に嬉しいことがあるはずがないと思っていたのに、この変な気持ちは何だろう。王子とレッスンをするのがミラベルにとっても秘密の楽しみになっていた。


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