第13話 ミラベル、王子様との生活が始まる
ウォルナー王子の元で働く日が来た。王宮は狩猟場からは離れたところにあった。いつも通っている道とは反対方向で、王都の方へ向かって歩いていく。レーズンおばあさんの小屋がある雑木林から侯爵家へ通っていた時と逆方向へ歩いていくことになる。歩いて通わなければならないことには変わりがなく、やはり大変だ。馬車に乗れる日が来ることを夢見て農道を踏みしめる。
王宮へ着くと門番に挨拶をし、彼らに連れられて屋敷へ向かった。執事らしき人が出てきてドアを開けてくれた。その後ろからミラベルよりずっと年上のメイドが現れた。
「おはようございます!」
「あら、おはよう。あなたがミラベルさん。ウォルナー王子様からお聞きしています。王子様の気まぐれで採用したようで、しっかり仕事をしていただけるのかどう
か心配しているのですが……」
「以前は侯爵家で働いていました。一通りの仕事はこなせると思います」
「あ~ら、そうでしたか。それでは今日から早速よろしくね。私はメイド頭のクランと申します」
「クラン様、よろしくお願いします!」
ミラベルは手を差し出した。握手しようと思ったのだが、それを斜めに見据えて、黙ってついてくるよう合図された。広い廊下を通って着いていった先には、狭い衣裳部屋があった。そこには使用人たちの様々な服が用意されていて、ミラベルはメイド服に着替えた。スカート丈が身長に対して随分長かった。
「これスカートが長いような気がするんですが。これでは仕事の妨げになるのではありませんか?」
「いいのよっ、そのくらいで! 王子様が変な気を起こさないように!」
そう言っているクランのスカート丈はやけに短い。単なる嫌がらせにしか聞こえないが、黙って従うことにした。
「では、何なりと仕事をお申し付けください」
「言われなくてもそのつもりよ。まずは寝室と居間と食堂の掃除をして下さいね。これから朝食になりますから」
「かしこまりました」
床やテーブルのモップ掛けや拭き掃除をする。それが終わるとようやく給仕に入る。
食事の時間になり、食堂にウォルナー王子が眠そうな顔をして入ってきた。この間ミラベルがここへ来た時に着ていたようなシャツを着て、ゆったりとしたズボンを履いている。部屋着のようだ。
「おー、いよいよ今日から仕事ですね。ミラベルさんがいると、何だかやる気が出てきそうです」
「そうですか? なぜでしょう?」
「僕にも分りません。でも仕事をしに来たのですから、働いてくださいね」
「もちろんです。お給金分は働きます」
「まあ、そんなに張り切らなくてもいいけど」
メイド頭のクランが、ウォルナー王子に訊いた。
「なぜ急にメイドを増やしたんですか。今のままで十分じゃございませんか?」
「狩猟場で会ったときになんだかひどく困っているようで可哀そうだったので……ついつい声を掛けちゃったんだ」
「やっぱりそんなところでしたか……ちゃんとお仕事が出来るんだか、怪しいものですよ」
ミラベルの目の前で二人はそんな会話をしている。本当にここへ来てよかったのだろうかと、疑問が湧き上がってくる。またしてもお金のためと自分に言い聞かせ、悔しい気持ちを押し殺す。
「わたくし、以前働いていたお宅では仕事ぶりを皆さん喜んで下さいました。惜しまれたのですが、王子様のご命令でこちらへ来ました。仕事をしているうちにわかってくださるはずですわ」
「まあ、偉そうなことをおっしゃるのね。ここをいつクビになっても働き口はあるって言いたいのかしらね、王子様」
「まあ、まあ、そう熱くなるな、クラン。クビになんかしないから、仲良くやってくれよ」
「王子様がそうおっしゃるなら、仲良くしますわ、ねえミラベルさん!」
「はい、至らぬ点もあると思いますが、ぜひ仲良くしてください」
メイド頭のクランは、面白くなさそうな顔でミラベルを見ている。仲良くはできないだろうが、刺激しないようにしよう。人間関係がもとで仕事を失うことだけは避けたい。
「何なりとご用をお申し付けください」
「そう、じゃあこちらのお食事の準備はよろしくね」
クランは、食器類をテーブルの上に残して立ち去ってしまった。ミラベルは、ウォルナー王子にどこへ並べたらいいのかを訊きながら食器をセッティングして回る。王子は椅子に座って手持無沙汰な様子でミラベルの動きを眺めている。
「あのう、ウォルナー王子様。王子様はよく狩りに行かれるのですか?」
「うん、良くいくね。狩りは楽しいから……」
「獲物を捕らえるのが好きなのですね」
「小動物を追うのは楽しい」
「……ウサギや、小鹿などですか?」
「……そうだな」
ミラベルは、ウォルナー王子にとっては自分は小動物のようなものなのかと思った。
「君は、小動物というより獲物を狙っている方に見えるな。僕の気のせいかな」
予想外の言葉だった。獲物ではなく、お金を求めて狩りをしているように見えたのだろうか。
「生活に困っているから、そのように見えるのですね。実際にそうですから」
ミラベルは食器を並べ終わると、厨房へ食事を取りに下がった。その時にはメイド頭のクランや、十代のメイドのラズリーも共に上がってきた。遠くからしか見たことがなかったマカダミア王やローズ王妃も揃った。レーズンおばあさんに言われた通り、所作には細心の注意を払って行動した。二人の給仕はメイド頭のクランの仕事で、彼女は付ききりで世話をしていた。ローズ王妃は大変美しい女性で、ウォルナー王子は母親似だということが分かる。ミラベルはパンを配り、ラズリーは飲み物を注いだ。一通りの食事を出すと、呼ばれるまで三人は隅の方で控えていることになっている。
突然、キーンという音がして、ウォルナーがミラベルに合図した。
「ちょっとナイフが落ちちゃったから、拾ってくれないかな」
「かしこまりました」
ナイフは、ウォルナーの足元近くに落ちていて、ミラベルは近寄ってそれを拾った。汚れてしまったので、代わりのナイフを差し出した。
代わりのナイフで食べ始めたのだが、ほんの少し経つと再びキーンという音がして、ミラベルが呼ばれた。
「おい! ミラベルさん! 君が拾ってくれ」
今度はフォークを落としたらしい。二度も落とすなんて、わざとやってるのだろうか。まったくどういう性格なのだろう。できるだけ優しくいってみる。
「お気を付けください」
「別にいいだろ、落とせば君が来てくれるから……」
明らかにわざとやっているのだ。こんな王子でこの国の行く末は大丈夫なのだろうか。ミラベルが心配することではないが。
「分かりました。何度でもお呼びください」
「ミラベルさん、このパン美味しいね。いつもと違うのかな」
「さあ、私今日が初めてなもので……わかりませんが」
「いつもより温かいんだ」
「ああ……それでしたら……冷めないように焼き立てのものを布でくるんでおいたのでございます。だから暖かいままなのです」
「やっぱり! 君は頭がいいね」
その一言で、一瞬この王子がいい人に見えた。来る前は、ここでウォルナーに見初められたら、自分の人生はバラ色になるのではないかと淡い期待を持っていた。しかし、ウォルナー王子と会話しているうち、ミラベルの方からそのような気持ちは失せてしまっていた。
「君を雇ってよかった。僕は本当に人を見る目があるなあ」
今度はお世辞を言っているのだろうか。まったくこの人の言うことは素直に受け取れない。
「気に入っていただけて良かったです。お召し上がりになりますか?」
「うん、もっとお皿にのせて! ほんと、焼き立てでおいしいなあ」
「あのう、王子様、一つお伺いしてよろしいでしょうか?」
「何、聞いてみて。答えたくない質問には答えないよ」
「王子様お年はおいくつでしょうか?」
「僕はね……さて、何歳だと思う?」
「とても気さくで、若々しい方なので……十九歳ですか?」
「違うなあ、二十三歳! たいていの人は実際より若いと思っているみたいだけど、二十三歳なんだ」
「そうですが! とってもお若く見えます」
もはや若いというより、話をしていると子供のようではないか。
「君より五歳年上だね。頼りになるでしょ」
「ええ、とっても。しっかりしていらっしゃいます」
「じゃあ、また狩りに出かける時は君を誘うことにするからね」
「はっ、はい。王子様の仰せとあれば、どこへでもお供いたしますっ!」
ウォルナー王子は、ミラベルにばかり声を掛けている。これは気に入られているのだろうか。ミラベルはちらりと王と王妃の方を見たのだが、二人は何食わぬ顔で食事をしている。ウォルナー王子のことが気にならないようだ。彼に何か魂胆があるのか全く分からなかったが、王宮での初仕事はこんなふうに始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます