第12話 ミラベル、王子と出会う
ミラベルは農夫に馬を借りに行き、それに乗って恐る恐るお狩猟場へ忍び込んだ。その日はいつもより多くの食料を差し入れしていたので、農夫は上機嫌で貸してくれた。しかし、馬は農夫にとって大切な財産だ、丁寧に扱わなければならない。
農場を後にするミラベルを、農夫は何の疑いもなく笑顔で見送っている。これからやろうとしていることを思うと心臓の鼓動が早くなるのがわかる。緊張が馬に伝わらないように細心の注意を払わなければならない。農場を過ぎると、手入れをされていない林に入った。そのあたりにはシカやイノシシウサギなどの野生動物が生息している。リスなどもそこかしこに見られる。当たりの様子をうかがいながら、ゆっくりと進んでいく。
銃声が聞こえ、人の話し声が聞こえてきた。見つかってしまったときの言い訳も用意してある。さらに声のした方へ近寄っていく。
「おーい、そこで何をしているんだ」
数人の男たちがこちらを見ている。どの人が王子だろうかと、目を凝らしてみる。男たちのうちの一人が言った。
「王子様、不法侵入者でしょうか。連れて行って取り調べしましょうか?」
「ちょっと待て。何をしていたのか聞いてみよう。おい、娘。ここで何をしているのだ?」
王子がミラベルに訊いた。ミラベルは、前もって考えてきたようにどこかの令嬢が偶然迷い込んでしまったように答える。。
「あら、私なぜこんなところに迷い込んでしまったのかしら」
銃声に驚いた馬は、興奮している。普段聞きなれない音を聞いたせいだろう。銃を持った男が近づいて来たことでさらに興奮してしまい、ミラベルは馬に必死にしがみついた。が、馬が地面を蹴った時の衝撃で滑り落ちてしまった。
「あっ、痛いっ!」
落ちた衝撃で、地面に腰を打ち付け、勢い余って転がってしまった。
「あ~あ、落っこちちゃった。大丈夫ですか、お嬢さん?」
仕方なさそうに、王子はそばへ寄ってくると、下りて上から見下ろしていた。
「すいません、私乗馬が趣味なのですが、林を走っていてここへ迷い込んでしまいました。申し訳ございませんでした。王子様の御料地とは気がつきませんでした」
「ほんとに君気がつかなかったの?」
「ええ、ええ、間違えて入ってしまったようです」
「間違えちゃったんだ、じゃあ仕方ないね、怪我の手当てもしなきゃいけないから、とりあえず僕の屋敷へ来る? 王宮だけど」
王宮……ということはやはりこの人が王子様ということなのか。王子様らしからぬ言葉遣いに唖然とする。
「申し遅れました、私エッジ男爵の娘ミラベルと申します。国のはずれ辺境の地に住んでおりましたが、わけ合って落ちぶれてしまい、この辺りで家庭教師兼メイドをしている者でございます」
「ああ、そうですか。今日は散歩してたんですね?」
「まあ、時々気分転換に乗馬などをしております。申し訳ございませんでした」
「まあ、よろしいでしょう。ついていらっしゃい」
何とか、王子と出会い話をすることはできた。この貴重なチャンスを逃すわけにいかない。必死の思いで馬に再びまたがり王宮までついていく。王子は、狩りをするのには似つかわしくないほどきらびやかな服装をしている。華やかな装いが好きな方らしい。
ミラベルは王宮へ入って行き入ってすぐ近くのホールのような間で座らされた。脚は擦りむいたぐらいだったのだが、消毒し丁寧に包帯を巻いてくれた。
「お茶でも飲んでいってください」
丁度体も冷えていたので、有難い提案だった。お茶と一緒に焼き菓子も運ばれてきた。侯爵家のクッキーもおいしかったが、王宮のクッキーはさらにおいしいだろうと期待して手を伸ばした。薫り高いお茶に、良質な材料を使って作られたクッキー、至福のひと時だった。
「美味しゅうございますねえ。流石王子様のお気に入りのクッキー、最高品ですわ」
お世辞ではなく本心からそう思う。王子は指に大きな赤い指輪をして、それをちらちらとこれ見よがしにミラベルに見せながら、紅茶を頂いている。着ている服から、身につけているものまで全てが高価そうだ。
「国内の最高の材料を取り寄せて作らせているから、美味しいのが当たり前さ。シェフも国内で一番だ。ああ、申し遅れました。僕はメローネ王国の第一王子でウオルナーです。ミラベルさんは男爵家のお嬢さんとおしゃいましたが、どちらの男爵でしょうか?」
「え、っとお、あの男爵家と申しましても、ここから遥か彼方辺境の地にありますので、ご存じないかと思います。領地もほんのわずかですし、落ちぶれてしまい侯爵家で家庭教師兼メイドとして、この辺りで働いているぐらいですので……」
「それはそれは、大変ですねえ。この辺りの貴族は、いかほど給金をくれるのでしょうか。こちらの方が、お金になると思いますよ、はっ、はっ、はっ」
「大層なお給金を頂いております。わたくしには十分すぎるくらい」
「へえー、おいくらぐらい?」
「一週間に、百ダーラもいただいております」
「へえ――、たったそれだけですかあ、王宮へ来れば週に二百ダーラですが……いかがですか、家へ来てメイドとして働いてみませんか?」
まさかそんな提案をしてくれるとは、想像していなかった。願ってもないチャンスだ! しかもそんなに給料が多いのか! 今すぐにでも返事をしたい気持ちを押さえて、考えるふりをしてみる。
「う~ん、今のお宅にはお世話になっておりますし、カレッジ入学を目指す受験生もおりますので……」
「では、三倍の三百ダーラではどうですか?」
な、な、な、何で、そんなに簡単に増やしてくれるのか、値段を吊り上げるために言ったわけではないのに、不思議なことを提案する王子だ。
「なっ、なぜっ、そんなに簡単に増やしてくださるのですか。お家のお金を王子様がそう簡単に使ってよろしいのでしょうか?」
もらえるのはありがたいが、この王子のことが心配になってきた。
「平気、平気。僕の自由になるお金はそんなもんじゃないんだ。君が心配することはない。貴族なのに働いていたり、間違えてこんなところに来ちゃったり、そんな不思議な君が気に入った」
「気に入っていただけたのですね。王子さまってすごいお力があって素晴らしいです。少し考えさせていただいてもいいでしょうか?」
「そうだね、今働いているところもけりを付けてこなきゃいけないからね。ちょっと待ってもいいけど、あまり待たせないでね」
「それでは……う~ん、では、突然のお話なので、来月からお仕事をさせていただくということでいかがでしょうか?」
「まあ、こちらもそれほど急いでいるわけじゃないから、それでいいよ」
王子の一方的な物言いに圧倒されて、つい返事をしてしまった。これでよかったのだろうかという気持ちも一方にはあったが、お金の誘惑に負けた形となった。とにかく早くお金を手に入れたい、という気持ちがいつもどこかにあったのかもしれない。
いざ引き受けてしまうと、ピスタの家庭教師を断らなければならず、そのことが気がかりになった。
「今月いっぱいで、何とかあちらの仕事にけりを付けてきますので、よろしくお願いします」
やはり、こんな良い機会を逃がす手はないのだ。ウォルナー王子は派手な上着をこれまた派手な動作で脱ぎ捨て、ポイとソファに投げ出した。襟と袖にひらひらフリルの付いたシャツをこれ見よがしにひけらかしながらクッキー皿に手を伸ばした。
「う~む、美味しいねえ、君?」
「はい、美味しゅうございます」
ミラベルも真似をして一つつまんで口に放り込んだ。さくりとした歯触りと、それに続いて舌の上でとろける甘さは最高だった。このおいしさにも参ってしまったのだ。王子の姿が次第にお金に見えてきた。逃げる時に持ち出せた普段着のシャツがみすぼらしく見える。自分の服装をしみじみ眺めてしまった。
「しゃれたシャツだね。街ではそういうのが流行ってるの?」
何と嫌味なことを言うのだろう。そんなはずがないではないか。
「まあ、こういうシャツが若者の間では人気があるんです。市場でよく見かけますから」
「へえ、そうなんだ。僕もそういうシャツを注文して作ってもらおうかなあ」
「是非、そうしてください。女性におもてになって困ってしまうと思いますよ」
「いいことを聞いた。今度来た時までに作っておこう」
地味だが仕立ては良いものだが、王子がわざわざ注文して作るほどのものではない。まったくミラベルの話が通じないようだ。
「では、私この辺でお暇します。手当までしていただいて大変恐縮でございます」
「そうお、じゃ気をつけてね。来月必ず来てよ! 君は特別メイドだから」
特別メイドとは……何が特別なのだろうか。ミラベルは、考えても意味が分からない。まあ、何とか今の仕事は来月一杯でやめて、ここへ転職することにしよう。
⋆
週が始まり、今月いっぱいで退職すると言ったときのピスタの反応は尋常ではなかった。ようやく勉強する気になり机に向かうようになったのに、またやる気が無くなってしまうと駄々をこねた。
「何で、急にやめてしまうんだ。ミラベルさんには責任感というものはないのか!」
「本当にごめんなさい。大人の事情で、急にこういうことになってしまって」
「大人の事情って何だい! ウォルナー王子に口説かれでもしたのかよ!」
「違うのよ。是非とも家で働いてほしいって、相手は王子様だからお願いされたらお断わりするわけにいかないのよ」
「怪しいもんだな。ウォルナー王子は、金があることをひけらかすやな奴だって評判だぞ。金の話でもされたんじゃないのか?」
「本当に違うのよ、ピスタ。あなたも勉強する気になってきたからもう大丈夫よ。独り立ちできるわ。たまには様子を見に来るから、ねっ、機嫌を直してちょうだい」
「絶対だぞ! 来てくれよな」
全く一歳年下とは思えないような、駄々っ子のような言い方をする。それだけ慕ってくれたのかと思うと、申し訳ない気持ちも湧いてくる。
ヘーゼルも、この間からぎくしゃくしたままこの話を聞いて、憮然としたままだ。突然のミラベルの申し出に納得いかない様子だ。
「ヘーゼル、私ウォルナー王子のところでメイドをすることになったの」
「ピスタから聞いたよ。良かったな……」
怒っているのがすぐわかった。
「御免なさい」
「別に謝ることはない。どこで働こうが君の自由だ」
しばし、二人とも言葉もなく黙っていた。
「私、もう少しいろいろなことをして、自分の力を試してみたい」
これは嘘偽りない気持ちだった。ピスタの事も、ヘーゼルやカシュ―の事は大好きになった。でも、もう一歩先へ進まなければならないような気がしていた。
「分かった、元気でいろよな。またウォルナー王子のところをクビになったら来いよ。じゃあこれはお守りとして持ってろ。私の手をぎゅっと掴むと、何かを握らせた。金貨かと思いきやそれは、小さなクマのマスコットだった。
「銀でできているから、金に困った時には売ってもいいよ」
「いいえ、売ったりなんかしないわ! これ、あなたの宝物なんでしょ?」
「まあな。子供のころから持っていたものだ」
帰り道、ヘーゼルからもらった銀のクマを見ると思わず笑みがこぼれた。しかしいつものように畑のあぜ道をはるかかなたまで歩いて帰ることを考えると、収入の良い方で働くのも仕方がないのかなと思えるのだった。
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