第10話 臨時収入はヘーゼルの優しさ

 ピスタの部屋をノックして、そっとドアを開けて入った。ピスタは机の前にちょこんと座っていた。それだけでも大変珍しいことなのだが、何をしているのだろう。


「ピスタ、入るわよ。約束通り一緒におやつを食べに来たわ」


「おお、入れよ。今古典の勉強をしようと思っていたところなんだ。本を開いてみたけどやっぱり難しいなあ。自分では読めそうもない」


「じゃあ、休憩時間だけど一緒に読んでみる?」


「そうしよう。じゃあその前に、今日はもらってきたスコーンでおやつタイムだ」


「わあ、嬉しい!」


 思わずミラベルは、歓声を上げてしまった。スコーンを食べるのも久しぶりだ。口いっぱいに頬張りお茶でごくりと飲み込む。パクパク口に放り込み三個をぺろりと平らげた。


「そんなにおいしいのか?」


「えっ、ええ、まあ……美味しいです」


「俺と付き合ってくれたら、もっとおいしいものを食べさせてあげるが」


「どっ、どっ、どういうこと?」


「言葉通りだが」


「そんな、私たちまだ若いし、それに、家庭教師と生徒だし、まだ知り合って一週間だし、心の準備が出来てないし……あなたは侯爵家のご子息だし……」


「スト―ップ! 付き合うって、サッカーの練習に付き合ってもらおうと思ったんだが……」


「……はあ、そうでしたかあ……」


 早とちりも甚だしい。ピスタが付き合ってもらいたいことと言ったら、そんなことに決まっているのに。どきりとした自分が恥ずかしい。でも、そんなことを言っても不思議ではないほど、ピスタは格好がいいのだ。さあ気を引き締めて仕事仕事と、自分を鼓舞する。


「せっかく古典を読む気になったんだから少しは読んでからサッカーをやりましょう」


「ああ、ボールに当たらないように気を付けろよな!」


「……あっ、ああそうでした。気を付けます」


 何だかミラベルの方がしゅんとなってしまった。


 ピスタが広げていたページを読み、意味を説明するとオーバーに感動している。子供のように振る舞っているとミラベルは安心して接していられるが、先ほどの様に付き合ってなどと意味深なことを言われると、はっとしてしまう。ひとしきり古典を読み、またサッカーの練習に付き合うことになった。付き合うといっても、前庭の芝生の当たりで、眺めているだけなのだが。


 ピスタはヘーゼルを誘って庭へ出て二人でドリブルやシュートの練習をした。のどかな光景にミラベルは外でベンチに座りのんびり寛いでいた。今度はボールの行方をしっかり目で追い頭に当たらないように気を付けながら。


「もう終わりにしよう! 部屋へ戻ろう」


 ヘーゼルが、ミラベルの方へ向かってきて声を掛けた。


「二人ともサッカーをしていると楽しそうですね」


「体を動かすとスカッとするんだ。体の中の血の巡りが良くなって頭もよくなった気がする」


「そうですか。だといいんですが」


 最後は小声で言ったのだが、聞こえてしまった。


「いやっ、確かに最近頭が良くなっている気がする」


 ピスタが、大まじめな顔をして言う。ミラベルはメイドの仕事だけをすることになっていたが、この二人と話す時間が、無くてはならないものになってきていることに気がついた。


 帰りがけに、侯爵夫人のバナーヌ様に呼び止められた。何の話だろうと思っていると、


「あら、ごめんなさいね。素敵なクリーム色のドレスを着ていらっしゃったのに、ピスタの掘った穴に落ちてしまって、台無しにしてしまったそうね。これ、少ないけど取っておいてくださる」


「そんな、困ります。私の不注意で汚してしまったんですから。それに洗って干してありますから、明日には乾いて元に戻るはずです」


「いいのよ気になさらないで。ヘーゼルが、是非弁償して差し上げてと強く私に言ってね……あの子の気持ちでもあるから取っておいてちょうだい」


「えっ、ヘーゼル様がそんなことを」


「だから、ねっ、いいでしょ?」


 バナーヌ夫人は、ミラベルの手に紙幣を何枚か握らせた。ミラベルは、そこまで言うならと受け取っておいたのだが、やはり、屋敷を出てから見るとそれは、一週間分の給料の半分五十ダーラ分の紙幣があった。


――またまた、すごいことになった……こんなにもらってしまっていいの?


 帰り道を歩きながら、さらにミラベルの気持ちは高揚していくのだった。これはそっくり貯めておくことが出来そうだ。ヘーゼルの優しさが心に沁みてきた。


「レーズンおばあさん、今日は特別な収入があったのよ。クリーム色のワンピースを汚してしまったお詫びにと五十ダーラももらってしまったの。まったくどういう金銭感覚をしているのかしら。でも有難いわ。ワンピースは洗えば綺麗になるし……」


「おう、おう、そうかい。そりゃ幸運だったね。しっかり働いている証拠だよ」


「おばあさん、私最初から疑問に思っていたんだけど……」


「何だい?」


「おばあさん、やっぱり魔法使いなんじゃないのかしら? 答えられないならいいけど」


「私は年を取ってはいるが、魔法使いではないよ」


「でも、突然推薦状が出てきたりして……あれはどうやって出したの?」


「もう話しておいた方がよさそうだな。実は私、若い頃領主さまの屋敷でメイド頭をしていたんだ。領主さまの事もよく知っているし、推薦状がどんな物かもわかってる。割り印は、私が持っている物をそっくりまねて作ったんだ。領主さまが発行したんじゃないだけの違いだ」


「あらあら、やっぱり本物じゃなかったのよね。レーズンおばあさんは、メイド頭だったんですね。メイドの仕事も詳しいはずね。それでマナーや立ち居振る舞いなど色々なことを教えてくれたのね」


「魔法使いじゃないってことがわかっただろ? 薬草を集めているのは、本当に薬を作っているからだ。必要とあらば、結構いろいろな薬が作れる。作った薬を売りに行ったりもしている。まあ、サイドビジネスってところだな」


「ふ~ん、いろいろできるのね。じゃあ私が具合が悪くなった時は薬を調合してくださいね」


「まあ、作れそうな薬だったらね」


 話を聞けば、今までの事にも納得がいった。レーズンおばあさんは、領主のメイド頭として働いていたのだ。礼儀作法を熟知していたのも当然の事だ。しかし、人目につかないこんな雑木林の中になぜ住んでいるのかはいまだに謎だった。


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