第9話 ミラベルクリーム色のワンピースで侯爵家へ
翌日の仕事にはクリーム色のワンピースを着てほんの少しだけ化粧を施して出かけた。一週間分の給料がもらえたことは勿論嬉しかったが、それ以上に明るい色のワンピースを着て侯爵家へ仕事に行けることはさらにうれしかった。弾むような足取りで歩き慣れた道を歩く。牧場を通り、湖を通り過ぎ、いつものように大股で歩いてブランディ―侯爵家にたどり着いた。
屋敷の二階の窓から裏庭へ向けて、紙飛行機がきれいな軌跡を描いて斜め上に上昇している。上昇を終えいったん止まると横風を受け斜め下へ綺麗な軌跡を描いて下降していった。近くにヘーゼルが飛行機の行方を見守っている。窓からはピスタが紙飛行機を持ち、もう一機飛び立たせようと構えている。ミラベルは先ほどの飛行機が着陸した方へ向かった。
「ミラベルさんこっちへ来るな!」
拾ってあげようとして手を伸ばした瞬間、体が宙に浮いたような気がした。あれ、体が浮いている。と思ったのは下へ向かって落下しただけ……だったのだ。が、下に落ちてこのまま奈落の底に落ちてもう這い上がれないのでは、と一瞬頭をよぎった。が、次の瞬間には地面にドスンと尻餅をついていた。上を見上げると、真っ青な空が丸い穴の上に見えた。ミラベルは自分の身長ぐらいの深さの丸い穴の中にすっぽりとはまり込んでいた。体の上には、枯草や葉がパラパラと乗っている。
「ミラベルさーん、大丈夫か! 落とし穴に落とすつもりはなかったんだ」
「何とか……大丈夫のようだけど……なぜこんなことを……」
ヘーゼルが傍へ寄ってきて、穴の中を覗き込んだ。手を差し伸べている。
「あ~あ、綺麗なワンピースが泥だらけになってる。さあ、この手につかまって、這い上がれるだろう」
「よいしょっと、ふ――っ、全くどうしてこんなところに穴が開いてるのよ! しかも落とし穴の様に周りからわからないように隠してある」
「その通り、落とし穴なんだよこれは。ただし、ミラベルさんを落とそうとして掘ったわけじゃない。ピスタが、前の先生を落とすつもりで掘った穴だったんだけど、埋め戻さずにそのままになっていたんだ」
「まあ、酷いことしてたのね」
これでは家庭教師がすぐにやめてしまうのもわかるような気がする。ピスタが部屋から急いで外に出ていた。目の前に現れた。
「良く見ないからだぞ。俺のせいじゃないからな……」
「まあ、そんなこと言うな。お前が掘った穴なんだから。埋め戻しておくべきだった。ミラベルさんが落ちなくても、そのうち誰かがこの穴に近づいて落ちてしまっていただろう」
ヘーゼルがピスタに言った。
「俺のせいだな……御免」
「まあ、怪我をしなかったからいいけど……」
「あ―あ、新品のワンピースが泥だらけだ。顔も泥と草にまみれちゃってひどいもんだ」
ヘーゼルが、憐れむような顔で見ている。
「シャワーでも浴びて、着替えてくるといい。せっかく買ったワンピースも洗って干しとけばいいよ」
しかし着替えをしようにも、自分の服はもうないのだから、メイド服に着替えるしかない。シャワー室を出たミラベルは、メイド服に身を包みワンピースを干した。
――週の初日からこんなことになってしまった……。
ヘーゼルが着替えたばかりの姿を見に来ている。
「ヘーゼル、この方がずっとましね。ちょっとおしゃれしてきたからこんなことになっちゃった」
「クリーム色のワンピース、君に良く似合ってたのに残念だったね。でも、シャワーの後の君も悪くない」
「なっ、何を言ってるの!」
ヘーゼルは、ミラベルの頭に手を置いて、撫でるような仕草をした。またヘーゼルにからかわれてしまった。それ以上言われると、赤くなってしまいそうで奥様に事情を話してこの日はメイドの仕事をすることにした。
「ピスタ、今日は家庭教師は無しですって。嬉しいでしょう?」
「勉強しなくていいのは嬉しいけど、ちょっと残念だな」
ピスタは、一瞬矛盾するようなことを言ったが、ミラベルと勉強できなくなり、残念がっているのかもしれない。ちらりとミラベルの顔を覗き見ていた。それだったら教え甲斐があるのだが……。
今日は一日中メイドの仕事をすることになり、部屋の掃除をすることになった。チェリーと二人一組になり、寝室へ入って行きシーツ交換や床のモップ掛けや家具の雑巾がけをする。まずヘーゼルの部屋へ入って行き、二人でシーツをはがして丸める。洗い立てのシーツを二人でパンパンと引っ張り両サイドに分かれてベッドに包み込む。慣れれば物の数秒でできるようになる。ベッドメイキングの後は掃除を二人で分担して手早く行う。拭き掃除をしていたミラベルの視線の先に……ヘーゼルがいた。いつの間にか部屋へ入ってきて、二人の動きをじっと観察している。
「あのう、お暇なんでしょうか?」
「いや、とっても忙しいが、掃除をするからちょっと席を外してから戻ってきた。動きに無駄がなくて美しい。二人でダンスをしているようだった。チェリーの動きは、指先まで洗練されている。長年の経験がものをいうのだろう。ミラベルはまだまだだな」
「私もう考えなくても体が勝手に動いてしまいます。掃除だってそうですよ」
チェリーが嬉しそうに、ヘーゼルに媚を売っているようにミラベルには見える。自分はまだ始めたばかりなのだからうまくいかないのは当たり前だとミラベルは自分を慰める。ヘーゼルに認められているチェリーが羨ましい。
「ミラベルさん、元気ないね」
「あっ、ああ、すいません。掃除はしっかりやりますから」
「ピスタのせいで大変だったものな」
「いいえ、私が不注意でした。気になさらないでください」
そうでも言わないと、さらに落ち込んでしまいそうだ。てきぱきと仕事をして、次の部屋へ移った。カシュ―は珍しくカレッジへ行っていて留守だったので、ミラベルとチェリーは二人でてきぱきと仕事をした。仕事をしながら、ミラベルはこの仕事を始めることになったいきさつを、チェリーは自己紹介をし
彼女から見たここの息子たちの印象などを語った。どうやら三人とも屋敷では勉強はあまりしていないようだが、性格はおおらかでたくましく生活能力はあるようだ。ミラベルはいざとなったらそういう力は大切なのだろうと思う。
最後にピスタの部屋を掃除しに行くと、ベッドに寝っ転がってぼうっとしていた。
「ピスタ、シーツの交換をするけど、いい?」
「ああ、移動するよ。さっきは大変だったね」
「ええ、大変なんてもんじゃなかったけど」
「おやつをもらってくるから許してよ……」
「あらあら、ありがとう。もう怒ってないから……」
まあいい、おやつがもらえると聞いただけで服を汚してしまったことは帳消しにできるくらいうれしい。彼は、チェリーが一緒にいることに気がつき付け加えた。
「チェリーにもあげる。おやつは好きだろ?」
「あら、私もピスタ様からいただいていいんですか。いつも厨房で休憩時間にいただいていたんですが……」
「そうだったんだ。じゃあいらないかな」
「お気持ちだけ頂いておきます。ピスタ様はお勉強しながらミラベルさんと召し上
がってくださいな」
「勉強しながらは余計だけど、おやつだけ一緒に食べよう?」
「ありがとうございます。じゃあそうします」
何だか叱られた猫のようにしゅんと縮こまっている。許しを請うような目つきをされ、一緒に食べることにした。いつも一緒に食べていたのだから、別に問題はないだろう。シーツ交換と掃除を終えてから洗濯をしシーツをすべて干し、ようやく休憩になった。
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