第6話 侯爵家の三兄弟(2)

  寝たと思ったらあっという間に朝がやってきた。自給自足農園で勝手に草をついばんでいる鶏がけたたましく泣いている。


「ニワトリさんちょっと失敬」卵を二つ取り出し目玉焼きにする。


  ジュッと焼けた卵の香りが、食欲をそそる。昨日もらってきたパンを一切れ食べお茶を飲み出発の準備完了だ。

 昨日は初日で昼頃からの出勤だったが、今日は朝から仕事だ。鞄をぎゅっと持ち、大股で雑木林を抜けて畑や農場の間の小道を歩く。一時間も歩くと結構足がきつくなってくるが、そんなことは言っていられない。昨日と同じ緑色のワンピースで運動靴といういで立ちだ。

 農夫の荷馬車が向こうの方からやってくる。歩いている人の姿が珍しいのだろう、じっとこちらを見ていいる。


「おはよう、お嬢さん」


「おはようございます」


「こんな朝早くからどちらへ?」


「ブランディ侯爵のお屋敷へ参ります」


「そりゃ大変だな」


「……まあ」


「変わった息子さんたちがいらっしゃるだろ。からかわれても気にするなよ!」


「……えへへ、ご忠告ありがとうございます。頑張ります!」


 そんな会話を交わし、農場へ向かっていった。屋敷まではあと少し、土の道を踏みしめて歩き続ける。村の人からもあの三兄弟は大変だと思われているのだろうか。昨日はあまりに疲れてしまい、ソファに横になったとたん眠り込んでしまった。少々の不安はあるが、まあいいだろう。


「おはようございます!」


「あら、今日は朝からメイドの仕事だったわね」


「頑張って仕事します」


「あまり張り切りすぎると、疲れちゃうわよ。次の家庭教師もあるんでしょ」


 同じメイドのチェリーと言葉を交わす。メイドの服に着替えると、メイドになったような気分がするから不思議だ。昨日仕事を始めたばかりでわからないことだらけだった。朝食のテーブルの片付けから始める。食堂へ行き空いたお皿を何枚か重ねて、慎重に厨房に運ぶ。金の縁取りがあり綺麗な花の模様が描かれたお皿だ。かなり高価そうに見える。割らないように気を付けなければ。しっかりと両手で押さえ、ゆっくりとした足取りで歩いていると、長男のヘーゼルが二階から降りて来たところに出くわした。


「あっ、危ない!」


「おう、高価なお皿だから気を付けろよ!」


「ヘーゼル様、おはようございます!」


「あれっ、メイド服を着てるからわからなかった」


 ヘーゼルは、またしてもミラベルの姿を上から下まで、じろじろと眺めている。がっしりとした体が前に立ちはだかっているから、進むこともできない。そろそろ腕が痛くなってきた。早くどいてくれないかしら。


「メイド服姿は、まあ合格かな」


「あら、良かった」


「十八歳だったよな。口紅とかは持ってないのか」


「ええ、持ってないんです」


 口紅などという高価なものは今の私には買えない。ミラベルの言葉を聞くと、意外そうな顔をして、今度は顔をじろじろ眺めている。頭のてっぺんから顔やそのうち後ろ姿まで眺めている。髪の毛も櫛でとかして真ん中から二つに結わえただけのスタイルだ。ましてや化粧品などを買うお金はないし、もったいない。


「ちょっと来い」


「えっ、お皿はどうするんですか?」


「早く置いてくるんだ!」


「かしこまりました!」


「メイドの時は言葉遣いが丁寧だな」


「そりゃ、私ちゃんと教育を受けておりますので」


 ミラベルは急いで厨房へ皿を置きに行き、再び階段を上がってヘーゼルの元へ戻った。ヘーゼルは、ミラベルの手を掴んで階段をずんずんと昇って行く。


「ちょっと待ってください! どこへ行くのですか?」


「いいからついて来い!」


「私、今仕事中なんです。困ります!」


 二階の廊下をずんずん進んでゆきドアを開けて、部屋に入った。どうやら、ヘーゼルの部屋らしく、シャツが無造作にソファに脱ぎ捨てられ、ベッドの上には部屋着が脱いだままの状態で乗っている。


「ここへ座れ!」


「こんなところに連れてきて、何をなさるんですか!」


「そう焦るな。何もしないよ。黙って椅子に座って」


「ちょ、ちょっとちょっと、これから何が始まるんですか」


「乱暴はしないから暴れるな! ほらこれを付けてみて……」


「はっ」


 机の中から、白粉(おしろい)を出し、目の前に差し出した。これを付けろということらしい。ミラベルは刷毛で粉を少しすくいパタパタと顔に振りまき始めた。何度か刷毛を顔に滑らせ、口紅ですっと唇の輪郭に沿って一塗りした。


「この方がずっといいい、鏡を見てみろ」


「あら、これが私?」


「綺麗になっただろ?」


「お化粧するのは初めてですが……」


 髪の毛を束ねているゴムをほどき、ブラシで何度か髪をすいた後、上の方で一つに結わえポニーテールにした。


「よし、出来上がり」


「なんだか、別人みたいです」


「じゃあこれは……君にあげる」


「そんな、頂くわけにいきません。高価なものなのでしょう」


「いいから持っていけよ」


 ミラベルに熱い視線を送っている。表情も怪しげだ。ヘーゼルは、ミラベルのポケットに白粉(おしろい)と口紅を押し込んだ。殺気を感じて立ち上がったミラベルの背中をポンと押した。そのまま勢いがついてドアの方へ向かい廊下に出た。いったん更衣室に入りポケットの中身をかばんに詰め込み、再び食堂へ戻ると大かたお皿はかたずいていた。


「あら、どこへ行っていたの? う~ん? あら、お化粧してきたのね」


「すいません。さぼるつもりはなかったんですが」


「ヘーゼルのいたずらね。女性と見るとすぐちょっかいを出すんだから。伯爵家のご子息だけど、気取ってないところだけは彼のいいところなんだけど……やることはちょっとねえ……」


「ああ、なんか変な顔になっちゃいましたね」


「いえいえ、その方がずっと魅力的。上手じゃない?」


「それならいいんですが」


 似合うかに合わないかわからなかったが、この家の息子達に嫌われたら職を失うことになる。まあどちらでもいいことなので、気にしないでいることにした。食器の片付けが終わると次は掃除だった。床の掃き掃除やモップ掛け、手すりなどの雑巾がけをする。家を出てからかなりの距離を歩いている。ここまでの仕事でもかなり疲れてしまった。でも泣き言を言っている場合ではない。ようやく一仕事終え、厨房で使用人たちとお茶を飲んだ。


 厨房で、おなじメイドをしているチェリーが感心している。


「ミラベルさんよく働きますね。これから家庭教師ですか?」


「はい、お金を稼がなきゃいけないので」


「しかし生徒が生徒だから大変ですよねえ。あんまり真剣にならないほうがいいですよ」


「どうしてですか?」


「自分に自信を無くしてしまいますから」


「はあ、分かりますが……」


「ピスタ様も悪い方ではないのですが……」


 そんな話をしながら、お茶を一杯頂いてから、緑色のワンピースに着替え二階へ上がっていった。一日に何回着替えればいいのだろうか。仕事が変わる度に着替えるのがめんどうになってきた。一階のホールに置かれた巨大な置時計を見ると十時になっている。ピスタチオは部屋にいるだろうか。今日は古典文学の勉強をしよう。この国には文豪と言われ、今でも多くの人に読み継がれている作家が何人かいる。この屋敷の蔵書の中から見つけた本を片手に、階段を昇っていく。


 ドアの前で、ノックをして返事を待つ。数回ノックをしたが、返事はない。そっとドアノブを回すと、抵抗なくすっと回りドアが開いた。


「あのう、ピスタさんいらっしゃいますか?」


「うう~ん、誰だ?」


「あらあら、おやすみ中だったの?」


「なんだ、ミラベル先生、もう勉強の時間?」


「はい、これからお勉強ですが」


 ベッドの中から、眠そうな目をこちらに向けている。目をこすって時計を見て、ベッドからようやく這い出してきた。


「う~ん、良く寝た」


 そう言って、着ている上着を脱ぎベッドの上に放りだした。当然上半身は裸になってしまった。見たくはなかったのだが、一瞬のうちに脱いでしまい、筋肉隆々の胸が包み隠さず丸見えになってしまった。あっという間の出来事で、後ろを向く間もない。ミラベルは、大声を出すこともできずただその場で筋肉にくぎ付けになってしまった。叫び声をあげるのもおかしいだろう。暫くそれに見入ってから、おもむろに後ろを向いて、しばらくじっとしていた。このままでは困る。何か言ってくれないだろうか。


「もう着替え終わったよ」


「ああ、そうでしたか……」


「もうこっち向いても大丈夫だ」


「良かった。突然脱いだから驚いちゃった」


「寝間着のままじゃ困るだろうから」


 まあそうだが、あまりに筋肉がたくましいので、焦ってしまった。服を着ていると想像がつかない。まあ、そんなことを想像したことはなかったが。隣に座っても、あの筋肉がフラッシュバックしてきて、落ち着かない。


「さあ、今日は古典文学の勉強よ」


 分厚く日に焼けて変色している本を机の上に載せた。パンパンと叩くと埃が出てきそうだ。これから読む部分のページを開けた。見た途端に、ピスタが、悲鳴を上げた。


「うわっ、こんな小さい文字ばかりが並んでる」


「このページの始めから読んでいくわよ」


「私は……彼と……高い……山に……う~ん次は何だ――!」


「私が一度読んでから繰り返して――」


 ということで、一人では読めないことがわかり、少しずつ繰り返し読むことになった。


「こんな言い方今はしないじゃないか?」


「昔はこれが普通の言い方だったのよ」


「昔の人はどういう頭をしているんだ――」


「でも読んでみると昔の人が何を考えて、何に感動してるかわかるじゃない?」


「そんなもんかなあ……」


 一文読んでは止まり、もう一分読んでは止まって考えで、一ページ読んだら二人ともくたくたになってしまった。ミラベルイライラも頂点に達し、目が血走ってくるのがわかったが、こらえてこらえてようやく一時間ほどが過ぎた。


「じゃあ、休憩にしましょう。もう疲れたでしょう」


 ミラベルの方から提案した。目が少し疲れてきたし、朝からずっと働きずくめだ。


「やった――っ! ミラベル大好き!」


 隣から飛びつかれてしまって、筋肉に抱きしめられてしまった。勢いで一歩後ろに下がってしまった。本当にこれで十七歳なのだろうか。先ほどの見た筋肉を思い浮かべると、体と精神のアンバランスがはなはだしい。しかし休憩というと、ピスタは何か食べ物を取りに行くのだろう。それを期待して、座って待っていた。

 案の定何かを手に抱えて戻ってきた。今日もおいしいクッキーにありつけるだろう。


「ジャジャーン! 今日はパウンドケーキがあったぜ!」


 パウンドケーキ! 何という素敵な響きだろう。ケーキは食べたことがあったが、ミラベルの住んでいたエッジ家では、そう滅多には食べられるものではなかった。誕生日や、何かお祝い事がなければケーキを作ることはなかった。それが、ほんのおやつにケーキが食べられるなんて、何という幸せだろう。


「パウンドケーキ!」


 その言葉の響きに、自分で言ってみて酔いしれる。


「さあ、食べようぜ! ミラベル先生もどうぞ」


 その言葉を待っていた。


「あら、悪いわね、今日も。私までいただいちゃっていいのかしら?」


「いらないならいいよ。僕が全部食べるから」


「あらせっかくだから頂きます。一人でそんなに食べちゃ食べすぎでしょ」


 ピスタは、ミラベルの顔色をちらと窺ってから、大きい口を開け、大きなケーキの塊をがばっと放り込んだ。ミラベルも、フォークで一切れずつ切り分け、味わうように口の中一杯に広がる甘さとバターの香りを堪能した。久しぶりの幸せにしばし浸っていた。あまりに美味しくてついつい顔に現れていたのだろう。


「ミラベル先生、よだれが垂れそうだぜ。こんなおいしそうにパウンドケーキを食べる先生は始めて見た」


「あっ、ああ……本当にこのケーキ美味しいわね。作る人が上手なのね」


「ああ、また感心してるね。今までの先生は、休憩ばかりしちゃダメだって叱られたんだけど、君はいい先生だね」


「まっ、まあ……休憩も大切よね。食べたらあと一時間勉強しましょう」


 ケーキを頬張りながら、ピスタに声を掛ける。


「え―――っ、やっぱり勉強するのか? サッカーでもやらないか? 兄貴たちを誘って」


「お兄様たち、カレッジに行っているんじゃないんですか?」


「今日は授業がないらしい。家にいるよ」


 本当に授業がないのかどうか、怪しい。


「午後から勉強するから、ちょっとだけ外で遊ぼうぜ!」


「ちょっとだけってどのくらい?」


「たくさん勉強したんだし、ちょっとぐらいいいだろう」


 そう言うと、部屋を飛び出してしまった。このままで勉強ができるようになるのかどうか。仕方なく、ピスタの後を追いかけ、二人の兄のところへついていった。



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