第5話 侯爵家の三兄弟(1)

 サッカーを終えた二人の息子たちが入ってきた。騒々しい声がホールに響き渡る。階下に降りたミラベルとばったりと出くわした。


「やあ、君は新しく来たピスタの家庭教師?」


 髪の毛をぼさぼさにし、汗を拭きながら大柄の方の男性が聞いた。


「はい、ミラベルです。よろしくお願いします。メイドも兼任ですのでこの後そちらのお仕事に参ります」


「へえ、良く働くんだな。僕は長男のヘーゼル二十二歳、よろしくな。こっちは次男のカシュ―二十歳だ」


「二階から拝見していました。お二人ともよく運動なさっていましたね」


「体力をつけることは大切だからな。一に体力に二に体力だ」


「ごもっともです。体力は必要です、何をするにも」


「体力をつけるのに夢中で、僕はカレッジに入るのに二年もかかってしまった」


 長男のヘーゼルが、悪びれないで言った。


「俺の方が優秀だな、たった一年で入れた」


 まあ、どちらとも優劣つけがたい気がする。


「カレッジに入るのはよほど難しいのでしょう。お二人ともよく努力されたのですね」


「いやそうでもない。年上なのは俺たちだけだった


「そうでございましたか。それでは、私メイドのお仕事に入らせていただきます」


「おっとまだ話は終わってない。いくつか質問をする。その前に、その地味な緑色のチェックのワンピースを何とかしてほしいな。今度はもうちょっとおしゃれな服で来て欲しい」


 ヘーゼルが、ミラベルのワンピースを上から下までなめるように見ている。品定めをされているようで居心地が悪い。地味だが、自分好みの柄を選び父が丁寧に仕立てたものだ。急いで鞄に詰めて持ち出した数少ない服の一つだ。他の服を着てこいと言われてもそう簡単には出てこない。


「見た感じ若そうだが、年はいくつだ?」


「十八歳です。若いけど心配しないでください」


「今までの家庭教師の中では一番若いかもしれないな。誰か付き合っている人はいるのか?」


 こんな質問に答えるべきか、一瞬戸惑う。


「そんなことは、お仕事とは関係ないのでは?」


「そんな固いことを言わないで……まあ、いないようだな。今度一緒にサッカーでもやろう」


「サッカーはちょっと……特にご用がなければ、もう失礼します。仕事に遅れますので……」


 こんなことに惑わされている暇はない。とにかく今はお金を稼ぐことだけを考えよう。でも、立ち去り際ちらりと二人の様子をうかがう。二人とも、髪の毛の色はピスタよりもワントーン明るい。瞳は神秘的な薄い緑色で、まつげは長く大きな目を引き立てている。


 ミラベルはメイドの控室に行き、着ていたグリーンのチェックのワンピースをメイドの仕事着に着替えた。ブルーのメイド服に白いエプロンが清潔感を出している。メイド頭に挨拶に行くと夕食の食器を準備するようにという指示が出て、地下の厨房と一階の食堂の間を何度も行き来した。階段の上り下りを繰り返しようやく準備ができたところで、ミラベルの仕事は終わった。


「もう足がパンパン。ここからまた一時間以上かけて帰らなきゃ……」


 来た時に着ていたワンピースに着替え、帰り支度をしてから伯爵夫人のバナーヌ様に挨拶をしに行った。バナーヌ夫人は、食事前でアーモン伯爵と応接室で談話していた。


「あら、もうお帰りの時間なのね。お給金は一週間毎ということでよろしいかしら。何せ一週間以上続いた人がいないもので……」


「……ああ、そうしていただけると助かります」


「あのう……今日はピスタは真面目にやっていましたか?」


「はい、ゆっくりですが、少し勉強されました。また明日も頑張ります」


「そう、それは良かった。お疲れさまでした」



                 *

 バッグを持って帰り道を一時間以上歩く。こんな田舎道乗合馬車も走ってはいないし、たとえ走っていたとしても、乗るお金がもったいない。日が暮れないうちに大股で、一歩一歩早歩きで進んでゆく。太陽は丘の向こうの方へ沈み、薄闇が広がっている。見慣れた雑木林が近づいてくるとホッとする。相変わらず壊れそうな家だが、慣れてくるとそれも気にならない。


「ただいまーっ!」


 暗い部屋で、目を凝らしてみると、かまどの前で鍋をかき回しているレーズンばあさんの姿が見えた。


「はいよ。今夕飯ができるからね。ちょっとお待ち」


「聞いてください! ブランディ侯爵家はものすごいお屋敷だった! 部屋が十以上もあるし、庭でサッカーができるの。あんな大きい家を見たの初めて」


「まあまあ興奮しなさんな。ゆっくり話してみなさい」


「それと、このパンを見て! 厨房でもらったんだけど、ふっくらしてい~いにおい。良質な小麦とバターをたっぷり使ってあるのね。クッキーも最高だったわ」


「そうかいそうかい。良かったじゃないか。その様子だと家庭教師もうまくいったんだな?」


「まあまあってところかな。ちょっと手ごわい生徒だけど、やりがいはありそう」


「私の紹介状が役に立ったのか?」


「あの紹介状の威力は凄かったわ。すぐに信用してくれたし、こんな素晴らしい人が来たのは初めてだって褒めてくれた」


「役に立ってよかった」


「どうやって手に入れたの?」


「それは……ちょっと秘密だ。お前さんは知らなくてもいい。まんざら嘘というわけでもないからな」


「まあ、大丈夫だったと思う。ばれないようにうまくやるから。一週間後に大金が入ると思うと嬉しいわ」


「そうだな。欲しいものが買える」


「お金が入ったら、街の市場へ行って食料と服を買ってくる」


「それじゃダメなのか。地味でいいと思うが」


「もうちょっとおしゃれなのが欲しいから」


「へえ、お洒落に興味が出てきたのか……」


「これじゃちょっと地味すぎかなと思って」


 一日目が無事に終わり、ぐったりとベッドに横たわるとあっという間に眠りについた。明日に向けて英気を養わなければならない。



 

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