第4話 侯爵家の仕事始まる

 地図によると、ミラベルの住んでいた街とは逆方向にある。畑や牧場をどんどん過ぎて、小さな池も通り過ぎていく。少し森の中を通りまた別の牧場を通り過ぎる。


――遠い――! まだ見えない! 


 地図を見ても距離が全く分からない。牧場の次に池がありまた牧場がありその牧場が途切れたあたりにお屋敷の絵が描いてある。もう一時間ぐらいは歩いているはずだ。


 遥か彼方に、ほんの小さな家が見えた。まあ、かなりの距離があるので小さく見えるのだろう。次第に屋敷は大きくなり、すぐ前まで来たときは、目の前に聳え立つような大きな屋敷が現れた。馬車の通る道をひたすら歩き、車寄せまで来て呼び鈴を押した。ドアが開き、執事らしき男性が丁寧にあいさつした。


「あのう、家庭教師兼メイドとして今日から赴任いたします、ミラベル・エッジと申します。紹介状を持ってきました」


「おおこれは素晴らしい。ブランディ伯爵家へようこそいらっしゃいました。わたくし執事のパースリーと申します。お嬢さん、少々お待ちください」


 中へ通されると、高い天井と、品の良い椅子やテーブルなどが目に入った。侯爵家ともなると、椅子もテーブルもさぞかし高いものを使ってるのだろう。と感心していると、


「旦那様は本日はお出かけされています。奥様がお見えになりますのでソファにお掛けになって、少々お待ちください。お茶もお持ちしますので……」


「ご丁寧にありがとうございます」


 ソファに座ると、自分の重みで沈み込みそうになりながら、どうやら姿勢を保った。柱時計も年代物の重厚なものだ。これも高価なものに違いない。あまりきょろきょろして品定めをしていると変に思われるので、ソファに体重をかけ、一時間余り早歩きしてパンパンになった足を休めていた。


「あら、ミラベルさん。ようこそいらしてくださいました。こんな優秀な方に来てもらって、申し訳ないわ」


「いえいえ、申し訳ないだなんて……まだまだ駆け出しで勉強不足の身ですので、私の方こそ申し訳ないです。精一杯頑張ります」


「大変言いにくいんですけど……三男ピスタチオを是非カレッジに合格させてください! これがあなたの最終目標です! では、部屋へご案内します」


「はい、かしこまりました。ピスタチオさんがカレッジに合格できるよう全力で頑張りますっ!」


「よろしくお願いしますねっ。でも、あのう……驚かれないでくださいね」


「まあ、大抵の事では驚きませんので、ご安心ください」


「ささ、どうぞ二階です」


「素晴らしいお家ですわ。このようなお宅で働かせていただけて光栄です」


 ミラベルは、レーズンばあさんから教わった通り、階段も音を立てず滑らかに上がっていく。特別製の皮の鞄も決まっている。


 ノックをすると、中から「どうぞ、入って!」という声がした。

ミラベルは、そっとドアを押して中に入った。


ーーギャー―ッ! 蛇が落ちてきた――!


 叫び声をあげ、思わず後ずさる。恐る恐るそれを見ると、良くできた偽物だった。


「全く! 何をしているの!」


 部屋の中へ入ると、蛇の仕掛けがわかった。ドアを押すとひもが引っ張られ、ドア上部に固定されている籠がひっくり返り、偽物の蛇が下に落ちるという仕掛けた。


「まあ、よく出来てるわね。感心しました」


 机の前には、ピスタチオが座って、笑っていた。ミラベルは、顔が引きつりそうになるのをこらえた。


「驚いただろ?」


「まあね、楽しませてもらった。私はミラベル・エッジ、今日からあなたの家庭教師兼メイドになりました。よろしくね」


「僕は、ピスタチオ、年は十七歳。ピスタと呼んで」


「じゃあ、ピスタ。早速勉強しましょう」


「もう勉強するのか? まず初めに自己紹介してほしいな」


「ああ、そうね。私はミラベル・エッジです」


「年はいくつ?」


「十八歳よ」


「へ~、僕とひとつ違いだな。何で家庭教師なんかやろうと思ったんだ?」


「まあ、勉強が好きだからと言いたいところだけど、生活のためと言った方が当たってるわね」


「貧乏なんだな。じゃあ、勉強教えないでうちで食事だけして帰ってもいいぞ。だまっててやるからな」


「そんなわけにいかないわよ。あなたをカレッジに入れるのが最終目標なんだから」


「無理無理、生まれつき物覚えが悪いんだ。あきらめた方がいい」


「いいえ、あなたを賢くして見せます!」


 そして、謝礼金をたくさんもらわなきゃならないのよ。今やお金がすべての関心事となったミラベルは必死だ。


「まだ質問は終わってないぞ」


 めんどうになってきたし、答えられないような質問をされても困る。


「どこに住んでるんだ?」


「池の向こうの畑を超えたあたりかしら」


「牧場に住んでるのか?」


「ああ、まあその辺ね。もう質問はこのくらいにして、今日は地理を勉強をしますよ」


「ちぇっ、もう終わりか」


「地図帳を見ながら説明します。この辺が、私たちの国メローネ王国ね。王都はこの辺だから市場もこの辺りね。周囲には城壁が張り巡らされているので、簡単には攻め込まれないようになってるの。そして、その周りに畑と牧場、湖がここにあって、このお屋敷がこの辺にあります。メローネ王国の東側にあるのがパイン王国。パイン王国の国土はメローネ王国に比べるとかなり広いわね」


「メローネ王国はこんなに小さいのか?」


「そうね……」


「俺はまだ行ったことがないところがたくさんあるぞ!」


「私だって、見たことがないところがたくさんあるわ」


「じゃあなんで、山や川があるところがわかるんだ?」


「作った人が歩いたのよ」


「へえ、そんなもの好きな奴がいたのか。そいつは宝のありかや、魔物が住む場所なんかも知ってるのか? 魔法使いが住む森なんかもあるかもしれないぞ」


「まあまあ、変なことに感心してないで、よ~く見て覚えといて頂戴ね」


 本当に十七歳なのだろうか。年の割に頭が悪いのだろうか。それともふざけているのだろうか。


「魔法使いはおとぎ話の中での話。本当にはいないのよ」


「そうなのか。俺はいると思っていた」


「少なくとも私は見たことがない」


「見たことがなくても、あるものだってあるっていったよなあ。さっきの地図のように」


 ちょっとだけ、まともなことを言っているような気がする。口をとがらせて抗議している顔が幼げだ。今初めてまじまじと顔を見た。丁度ススキに夕日が当たったような髪の毛の色、薄緑色の瞳を長いまつげが縁取っている。逆三角形のようなほっそりとした顔立ちに幼さの残る口元。そんな顔が、両肘をついた姿勢でこちらを見つめている。

 話をしなければ、かなり魅力的で賢そうに見える。授業の時には、顔をまともに見ないほうがよさそうだ。


「次は数学の勉強をするわよ」


「休憩しないのか?」


「まだ始まったばかりでしょ。まだまだ」


「ちょっとおやつでもつまんでくる」


「ちょっと待って! ねえ、ちょっとちょっと」


 ミラベルの制止を無視して、部屋を出て行ってしまった。ふーっとため息をついて、立ち上がり窓の外を見ると、二人の若い男たちがボールを蹴って遊んでいるのが見えた。それにしても広い庭だ。二人はボールを追いかけながら、必死で走り回っている。芝生の上は良い運動場になっている。屋敷も二階へ上がった時にさっと素早く見たところ個室が十部屋以上はありそうだ。それに一階のホールや食堂や居間などのパブリックスペースを合わせると……無駄に広い! 一体何人で住んでいるのだろうか、と考えているとピスタチオが手に大量のお菓子を抱えて戻ってきた。


「お前も食べるか?」


「お前じゃなくて、ミラベル先生と呼んで!」


「ミラベルか。じゃあミラベルさんぐらいでいいだろ」


「まあいいでしょ。一歳違いだしね」


 目の前に大量のクッキーが置かれぐっと唾を飲み込んだ。家を出てから、全く見たことのなかったクッキーの山に思わずくらくらした。レーズンおばあさんの家で食べるものときたら、きのこのスープや、その辺で採ってきたような鶏肉のローストに自家製畑の痩せた野菜ぐらいのものだ。居候の身で申し訳ないが、大変質素なものだ。


「う~ん、うまい! どうだ?」


「そんなに食べてほしいんだったら、一口ぐらい食べてみるわ」


 そっと上品に一つつまみ、口の中に放り込んだ。う~む、こんなにおいしいクッキーは食べたことがない。


「家の専属のシェフが作ってるからうまいに決まってる。もっと食べていいぞ!」 

「まあ……そんなあ……いいのよ。でもそんなに勧めてくれるんじゃ、もっといただくわっ!」


 ということで、次から次へ様々な種類のクッキーを食べていった。気がついたら、十個以上は食べてしまっていた。


「やっぱりお前だって、おやつの時間が欲しかったんだろう」


「いえいえ、そんなことはないわよ。全くしょうがないわね、お腹が空いて勉強に身が入らないんじゃしょうがないから、おやつタイムは認めてあげるわ」


「やったー。のんびりやろうぜ」


 全く嬉しそうな顔をして、本当に十七歳なのかと疑ってしまったが、ミラベルとておやつタイムという甘い誘惑に勝つことはできなかった。絶品のおやつにありつけることとなり、本心では喜んでいるのだった。

その後数学の勉強を終わらせたのだが、今までの家庭教師の苦労がよくわかった。終わった頃にはくたくたに疲れ切ってしまったミラベルだが、次はメイドの仕事が待っていた。

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