第3話 レーズンおばあさんの特訓

 突然ドアが開いて、人が入ってくるのが見えた。恐ろしい大男ではないことは予想できたが、腰の曲がった老婆がやっと歩いて中へ入ってきたのを見てほっとした。


「おや、お客さんかね。黙ってよその家に入り込むなんて礼儀知らずな娘だな」


「すみません。私は、ミラベル・エッジです」


「ミラベルとやら、ここで一体何をしていたんだ?」


「ちょっと訳がありまして……私悪い奴らから逃げてきてるんです。街にいると見つかってしまうので見つからないようにここまで逃げてきました。行く当てもなく、ちょうどいい隠れ家を見つけたと思って中へ入ってしまったんですが、おばあさんのお家とは知りませんでした」


「家出してきたのかい? それは大変なことになったもんだ。ちょっとここで隠れてるかい? 見つかったら私までひどい目に合わないかな?」


「それは、まあ大丈夫だと思います。おばあさんは他人ですから。父母も追われているので、三人でバラバラに逃げることにしました」


「ふ~む、まあよっぽど困ったことになってるようだ。狭い小屋だが、お前はソファで寝るかい?」


「はい十分です。助かりました。居候する代わりに何かお手伝いをします」


「まあ、あまり気にしなくてもいいよ。それより、見つからないようにすることだな」


「ちょっと訊いていいですか?」


「何だい?」


「おばあさんはここで、何をして生活しているんですか?」


「まあ、何を聞くのかと思ったら……」


「答えたくなかったらいいんですけど……私が勝手に上がり込んでるんですから……」


「元々町に住んでたんだが、いろいろ事情があってここに移り住んだ」


 あまり詮索するのも悪いと思い、そこまでにした。


「お名前は何とおっしゃるんですか?」


「レーズンだ」


「まあ素敵なお名前。すいません、色々訊いちゃって。朝早くからお忙しそうですね」


「うん。ちょっと薬草を取りに行ってたんだ」


「ふ~ん、薬草ですか……」


 何に効く薬を作っているんだろうか。お年寄りだから、体のどこかが悪いのだろうか。それとも薬を作って売りに行くのか気になった。


「お前さん年はいくつだ?」


「十八歳です。家は街で大きな仕立て屋をしていたんですが、父が悪い男たちに店を拡大しないかと持ち掛けられて、お金も家もだまし取られてしまいました」


 何とお人良しの父親なのだろう。私は絶対に人を信用しないようにしよう。


「若い娘がこんなところにいても仕方ないな。お前さん何かできることはないのか?」


「できることっていうと……」


「ちょっと仕事になりそうなことだ。服の仕立てとか、畑仕事とか、料理とか、そういうことだ」


「そういうことは……ほとんどできません。何せ、図書館で本ばかり読んでいましたから。教養を身に着けるために勉強していたんです。今に貴族の方とお知り合いになった時に話が合うようにと、勉強ばかりさせられていたんです」


「嫌いなのに無理やりか?」


「そうでもないです。図書館にあった本は、大方読んでしまいました。地理に、歴史、幾何に代数、古典文学に天文学、ありとあらゆる分野の本を読み尽くしまし

た。だから、仕立て屋と言っても服は作れないんです」


「様々な分野の学問に精通しているのは良いことだ。では私に任せてくれるか? いい考えを思いついた」


「もう、他に当てもないのでお任せしてみます。私、悔しいから絶対お金を稼いで、以前よりもお金持ちになります」


「そうか、よほど悔しかったと見える。頭は良さそうだから、物覚えも早いだろう。勉強の方は置いといて、これから私が特訓してやる」


「特訓ですか?」


「そうだ、やってみるね?」


「分かりました、やってみます。お金のためなら何でもします」



             ⋆

 ということで、その日からレーズンおばあさんの特訓が始まった。


 料理に裁縫、給仕の仕方、ベッド・メイキング、貴族の家庭での所作や言葉遣い、ありとあらゆることを毎日教わった。雑木林の中の掘立小屋でこんなことが行われているなど、誰が想像できるだろう。人目につかないこの場所で、何日も特訓は続いた。食料は、小屋の周りにぐるりと取り囲むように植えられた野菜だ。ほとんど自給自足の生活だった。


「さあ、もう何処へ出しても恥ずかしくない。これから、ある貴族のお屋敷で家庭教師件メイドとして働くのだ。かなりの給金がもらえるはずだ」


「わあ、ありがとうございます。今にこの貧乏生活から這い上がって見せます。そしたら、このお礼はきっとしますね」


「例には及ばないよ。私はここの生活が気に入ってるんだ」


 翌朝起きると、レーズンおばあさんは一枚の証明書をミラベルに手渡した。それは家庭教師とメイドの推薦状で、領主の割り印がしっかり押されていた。


「いつの間にこんなものを手に入れたんですか? いつ領主さまの家に行ってきたのですか?」


「いいや、行ってないよ。でも、れっきとした証明書だ。心配無用だ。ばれることはない。これを持って、侯爵家の三男ピスタチオの家庭教師兼メイドとして働いてきなさい。家庭教師が辞めてしまって困っているようだ。この紙に地図を書いてあげるから行っておいで」


「ふ~ん、そのために今まで準備していたのね。わかりました。ここが今日から、私が働く職場ね。頑張って稼いでくるわ! ありがとう、レーズンおばあさん」


「じゃあ気をつけてな」


「行ってきます」


「ああ、それから、その三男の家庭教師、今まで皆一か月と持たなかったそうだから、覚悟しておくように!」


「どんな子なのかしら、腕が鳴るわ!」


「まあ、楽しみにしていなさい……」

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