第2話 逃亡

 ここメローネ王国の王都は古くから栄え、市場には多くの店が立ち並ぶ。


 十八歳のミラベルの家は、そんな王都の市場にある仕立て屋だ。王家や名だたる貴族たちの礼服やドレスを仕立て、評判はこの上なく良い。しかし子供のころから教育熱心な両親の元家庭教師を付けられ、一通りの勉強を終えると街の人々のために公開されている王宮に隣接して建つ王立図書館へ通い勉強するのが日課となっていた。


 彼女の父は、娘がいつか出入りの貴族に見初められる日を夢見て、教養を付けさせようと必死だった。ミラベルも勉強が嫌いではなかったし、図書館に通うのは見知らぬ世界を覗いているようで楽しみだった。


 ミラベルが、図書館での勉強を終えて、帰宅の支度をしていた時だ。


「勉強していると時間が経つの早いわ。それにここにある本も大方読んでしまった」


 何の気なしにつぶやくと、司書は感心したようにミラベルに挨拶をした。


「いつも精が出ますね。そんなに勉強して学者にでもなるつもりですか?」


 冷やかし半分の言い方に、ミラベルはそっと言い返す。


「いつか役に立つときがくるでしょう。その時のために勉強しているの」


 図書館を出て、石畳の続く街並みを歩いていく。そこを抜けると市場に出る。さらに歩くと街の中心にある店が見えてくる。が、今日はいつもと様子が違っている。ただならぬ雰囲気に足がすくんだ。戻ってはいけない、と本能的に思った。男たちの怒鳴り合う声が聞こえる。話の内容までは聞き取れないが、その真ん中に父と母が小さくなり、困り果てている姿があった。しきりに謝っている。


――何があったのだろうか……。


 すぐに近寄った方が良いのか、彼らが立ち去るのを待っていた方がいいのか、逡巡してからもう一度様子を探り、家の陰に身を寄せて彼らがいなくなってから戻ることにした。かなりの時間怒鳴ったり家の戸をたたいたりして男たちは去っていった。塀に隠れて様子をうかがい、彼らの姿が見えなくなってから急ぎ足で家に戻った。


「何があったの! あの男たちは誰?」


 父も母も項垂れて、力なく椅子に座り込んでいた。


「大変なことになった。もうここにはいられない。商売を拡張しないかと持ち掛けられて、隣町に支店を出すことにしたんだ。紹介された高利貸しからお金を借りて払い込み、商売を始めようと思った矢先、店舗の土地や建物は他人の所有になっていた」


「それって完全に詐欺じゃない? 王様に訴えてそいつらを処分してもらえないの?」


「騙された私がばかだった。お金を取られた挙句、この家も借金の形に取られてしまった」


 母は、おろおろして泣くばかりだ。


「じゃあ、どうすればいいの?」


「私はここを逃げて、どこか住み込みで働くことにする」


「お母さんはどうするの?」


「私はしばらく友達のところに身を潜めて、ドレスの仕立てで生計を立てるわ」


「それじゃ私は?」


「見つかると大変なことになるわ。どこかへ逃げて! 見つからないところに暫く隠れているのよ!」


「お父さんがそのうちお金を貯めたら、お前たちを呼び戻すから」


 そんなお人よしの父に、お金をためて家族を呼びよせることができるとは思えない。大体そんな話に騙されるなんて情けなくて言葉も出ない。


「分かったわ! 私は私でやっていく」


 そうして三人は、荷物をまとめて長年住んだ仕立て屋の家を出て行かざるをえなくなった。


 後になって知ったのだが、父は王家の仕事で街の石畳を作る作業所に住み込み、土木工事の仕事に従事しているらしかった。母は、友人宅に身を隠して今まで培ったドレス作りの技術を生かし内職をし何とか生計を立てていた。


 そしてミラベルは……


「もう、なんてことなの。町一番の仕立て屋だったのに、こんなにあっさりと騙されてあんな奴らに家まで騙し取られるなんて! これからはうまい言葉に乗らないで、一人でやっていくわ!」


 そうはいっても十八歳のミラベルに行く当てはなかった。追手が来ないうちにと暗いうちに家を出た。ほんの少しの所持金と、家に残っていたパンと着替えをかばんに詰め、町はずれまで歩き続けた。街を取り囲んでいる城壁を出てると、そこからは急に景色が変わる。畑や牧場や林がどこまでも広がっている。


――この辺に空き家や、家畜の小屋はないかしら……一時身を潜められるような場所は……



 太陽が昇っていく畑の道をずんずんと進んでいく。もう少したつと農夫たちが仕事をするために外へ出てくるだろう。急いで隠れられる場所を見つけなければならない。見通しの良い牧場から少し小道に入ったところに、ちょっとした雑木林があった。低木が生い茂る林の中の小道を進んで行く。次第に見通しが悪くなってきた。さらに奥へ進んでゆき、この辺の農夫が立ち入らないようなところまでやって来た。そこには、何とおあつらえ向きの小さな家があった。


 ここだったら隠れ家にちょうど良いかもしれない。かなり年季の入った木造の家で、崩れる寸前のようだ。もうだれも住まなくなり、放置されているのかもしれない。


「すいません。どなたかいらっしゃいますか?」


 誰もいないとは思ったが、念のため声を掛けてみる。


「こんにちは! どなたもいらっしゃいませんね……」


 扉が、かなり軋んでいて開けられるかどうか疑問だが、一応ドアを引っ張ってみた。キーっと鈍い音がして、何とかドアは開いた。蜘蛛の巣だらけの廃屋かと思いきや、ミシミシと音がするようなベッドや古い木のテーブルが置いてあり、リンゴやジャガイモなどが無造作に置かれている。その隣には、何処で採ってきたのかわからないような様々な種類の草が置かれている。


――誰かが住んでいるのかしら。でもこんなところに誰が……見つかってしまったらどうしよう。どんな人が住んでいるのだろう。

とにかくあの高利貸しから逃げることだけを考えて家を出てきてしまったが、今日から何をして生活したらいいのか皆目見当がつかない。何とかなるだろうと思って飛び出したのだが、さて、どうしようか……

バッグの中からパンを一切れ出してかじる。有り金をすべて持って家を出て、街角のパン屋で朝買ってきたものだ。このパンも食べ納めなのだろうかと思い、一口一口噛みしめるといつもよりさらにおいしく感じられる。いつの間にか椅子に座り、パンを一つ食べ切ってしまった。

部屋の中にはかまどもあり、そのわきには薪がいくつか転がっている。かまどの中を覗くと、薪の燃えかすが残っていた。


――こんなところにも誰かが住んでいるんだわ。何をして生活しているのかしら。

そんなことを考えながら、ベッドの上を見ると小さな女性ものの夜着が置いてあった。どうやら小柄な女性が住んでいるようだ。


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