拾壱

 校舎に入った2人は入り口で静かに立ち止まった。

 金次郎像にとって校内に入るのは初めてだが、花子にとってもきちんと入り口から学校に入ることは初めてであった。緊張を隠せない金次郎像の隣で、花子は先輩面を作りたいのに作れない状況に苛立つ。 下駄箱を横目にここで生徒達が上履きに履き替えるのだと知り、花子は今まで気にも留めなかった自分の足元を調べた。ほのかに薄汚れた白い靴は見様によっては白い上履きにみえる。それに気付いた花子は自慢げに金次郎像に話し掛ける。

 「ようこそ初めての校内へ。ここは人間達が靴から上履きに履き替える場所やで。これらは下駄箱っていうねん。外の砂とか校内に入らんようにするためと”内"と"外"の概念をここで線引いてるんやで」

 そう言い終えた花子は金次郎像を振り返った。

 金次郎像は下駄箱の存在すら知らなかった。知らない事だらけの世界が新たな情報で満ちていく事に嬉しさを隠せない。全てが目新しく自然と顔がにやける中、下駄箱を経て校内ホールに入ろうとする金次郎像を花子が両手で止める。

 「ちょっと待ちや。そのまま入ったら砂とか土入るやろ。ワラジは脱いで上がらなあかんで」

 当然の事である。金次郎像は内と外の境界線となる低い段差に腰掛け、わらじを脱ごうと試みた。  だが、残念ながら石として一体化しているためどうにも脱げそうにない。脱ぐということは身体の一部を破損させるということである。話し合った結果、ワラジの底を綺麗に手ではたくことで花子の了承を得た金次郎像だったが、妙に上から目線で話しかける花子に率直な疑念を投げ掛けた。

 「花子さんが履いてるのは上履きかもしれないけど、それで外歩いてたよね。きっと砂埃とかついてるよ」

 花子は注意深く再度足元を確認してみる。確かに上履きではあるが、靴のサイドや底に砂や木の枝が目に付いた。

 何も言わずに金次郎像の隣に腰掛けた花子は、自分の上履きを脱ぎ空中でそれらを重ねはたいた。重なった上履きからは砂煙が舞い、木の枝クズが驚くほど飛んでいった。

 真夜中の校内玄関ホールでペチペチ・パタパタという音だけが静かに木霊していた。


 「今どこに向かってるの?」 

  花子に誘導されるまま下駄箱を通り、階段を上り、単調な廊下をただ真っ直ぐに歩いている最中、金次郎像は花子に質問する。もっと前に聴くべき事であったが、物珍しい校内風景に酔い痴れていた金次郎像は質問の機会を失っていた。

 「やっと聞いてくれたやん。その質問ずっっと待ってたんやで。普通どこ行くかわからんのに無心でただついてくる?周りばっかり見渡してお上りさん隠す気ないし。このままあんたの台座までしれーっと戻ったろう思ったわ」

 花子の呆れた声に謝ろうとした瞬間、急に花子がある部屋の前で立ち止まり入室するよう勧める。

 「って言うてる間に着いちゃったよん。困ったらまずはここ、図書室でございまーす」 

 長い廊下の先にどの部屋よりも広く大きく設けられた場所。そこには図書室という札が天井付近に掛けられている。勧められるまま金次郎像が扉を開けようとするがビクともしない。何回か押したりしてみるが一向に開く気配はない。困って扉から花子に目線を移すと、花子の顔は恥ずかしそうに赤らんでいた。

 「おっとっと。やってしまいましたわ、ごめんやで。ちょい待ってて」

 すると花子は照れ笑いを浮かべながらキョロキョロと辺りを見渡し、月明かりが届かない図書室の反対側の壁の隅に向かい歩き出した。

 「すぐ戻るから待っとって。まあ笑って許して下さいな」

 そう言い終わると、闇に飲み込まれるように花子の姿は壁の隅へと消えていった。


 あれからどれぐらい経っただろうか。

 1人図書室前で待ちぼうけをくらう金次郎像は暇で仕方がなかった。

 「すぐに戻るって言ったのに」

 ぶつぶつと文句を言っていると、花子さんが先程消えた壁の上の隅から何かが覗いているのに気が付いた。薄ら笑いを浮かべるその白い顔が花子のものと気付くのにそれほど時間は掛からなかった。

 「あのぅ、花子さん。一応僕も妖怪なんであんまり恐いって思うことないんですが」

 申し訳無さそうに金次郎像がそう告げると、壁の隅から生えた花子の顔は少しシュンとなり、両手を出したかと思うと筒から抜け出す様に力一杯自分の身体を闇から引き出す形で飛び出し廊下に着地した。

 「もっと良いリアクションして欲しかったなぁ。まぁええわ、お待たせ。図書室の鍵持ってきたで」

 花子は闇を通じて職員室に向かい、鍵を探しに行っていたようだ。

 金次郎像と違い花子は妖怪の身体としての融通が利き易いようだ。闇に溶け込み移動することは常日頃からしているので造作もないことである。  花子は鍵を挿しカチリと音がするまで回した。そのままドアを強く押してみるが、一向に開く気配がしない。まるで図書室の中にいる妖怪に反対側から邪魔されているようだ。

 花子は気性が荒い。ドアをバンバンと叩き出し、早く開けるようにと大きな声で怒鳴り出した。金次郎像は隣でこの状況を静かに分析し、一つの答えを導き出す。

 「ちょっと待って、花子さん」

 怒り狂う花子をそっと移動させ、金次郎像はドアに手を掛ける。

 ガラガラガラ。

 意図も簡単に図書室への入り口は開かれた。

 「花子さん、これスライドドアみたい」

 薄暗い廊下で鍵を開けたまでは良かったが、日頃トイレ生活の花子にとってドアは押したり引いたりして開けるものであり、スライドさせるというアイデアがそもそもなかったようだ。

 「こんなドアの開け方もあるんや。いつもフッと中に入ってるからわからんかったわ。ほなら、中に入ろ。これから探し物を見つけるでー」

 花子の会話を聞き、以前図書室を訪れた際は先程のように闇に溶け込んで入ったのだと金次郎像は察した。元が石像である金次郎像のために何も言わずわざわざ鍵を探しに行ってくれた花子の優しさを感じる。そんな彼女に対してドアの開け方に苦戦した事をつつけるであろうか。金次郎像は照れ隠しで少し早口になった花子にゆっくり落ち着いた声で話し返す。

 「探し物って何?ここには何があるの?」

 と、金次郎像が言った矢先、彼の大好きな本がぎっしりと詰まった光景が目の前に飛び込んできた。

 

 月明かりがうまく入り込み、部屋は不思議と暗くはなかった。

 「あら、嬉しそうな顔。ここには色んな種類の本があるんやで。石と違ってページ開けば色んな情報がもらえるちゃんとしたやつや。ここで”二宮金次郎"について書かれた本を探そ。あんたについて何かわかるかもしれへん」

 花子は金次郎像が見せた純粋な歓喜の顔に自らも嬉しくなる。石の本を読む姿を初めて見た時から、彼は本が好きだという確信を持っていた。

 本の中身はなんだろうと遠い昔に金次郎像の背後から一度確認したことがあるが、

本には何も書かれていなかった。

 あの時に色々あってそれ以降近づく事はなくなってしまったのだが…

 空白の本を眺めるだけの毎日はどんな気分であっただろうか…今日、悩み相談のついでではあるが彼の夢を一つ叶えれた気がした。花子にとってこれは罪滅ぼしの一つでもある。

 金次郎像はどこからスタートするでもなく、広い図書室を見渡しながら目を煌めかせている。時折立ち止まっては本を探しているが、図書室全体を探検しているように見える。  花子はそんな金次郎像を横目に微笑み、すみやかに歴史コーナーを探し当てた後、彼に気付かれぬよう小走りでそこに向かった。

 少しの間楽しめば良い。

 花子はそう思いながらひたむきに"二宮金次郎"についての本を探し始めた。

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