第6話

「えっと、まぁ殺人かどうかは後で死体を見たら分かるだろうから、一先ずは自己紹介を最後までやってみる感じで……。じゃあ、どっちがやります?」

 司会進行役を小林さんと交代した片桐さんが言った。最初の時程の挙動不審さはなく、ある程度落ち着いたのだろう。そんな片桐さんが私とサラリーマンの男性を交互に見合わせたので、私はゆっくりと首を横に振って、まだ文章の入力が終わってないことを伝えた。

「じゃあ俺が話す」とサラリーマンの男性が言って、よっこいしょと腰を上げて立ち上がった。

「俺は角田っていう……まぁその、さっきまではちょっと苛立ってて悪かった。今日は仕事で上手くいかない事があったもんで気が立ってたんだ」

 空気を悪くしてすまなかったと、角田さんは軽く頭を下げて謝った。

「んで今日は定時で帰れる筈がちょっと残業して、ようやく帰れると電車に乗ったら停車しちまって、あとはさっきの豊本だっけか?そいつの言ってた通りで、まぁ今に至るって感じだ」

 そういえば今何時だろうと、豊本さんから借りたスマホの画面上部を見ると、時刻は20時を回ろうとしていた。私が最終下校時刻で学校を出てから既に2時間が経とうとしている。

 まずい、普段なら帰宅して夕飯を家族と囲んでいる時間だ。スマホを持ち歩かないため連絡も取れず、まだ私が帰って来ないのかと今頃家族は心配しているかもしれない。こういう時、家に一言電話出来れば楽なのにと、つくづく私は自分の体質を憎んだ。

 質問も特に挙がらず、ふぅと溜め息を吐きながら、角田さんは再び座席に腰掛けた。

「さてと……えっと、佐藤さんだっけ?そろそろいけそう?」

 片桐さんが私の方を見る。他の人達の視線も私へと集約される。

「真白さん、大丈夫ですよ」

 押し潰されそうな私を、隣から水瀬さんが優しく声を掛け、背中を押してくれる。その言葉に返事をするように私も水瀬さんの手を取って、小指を摘む。すると水瀬さんの表情も優しく和らいだ。

 大丈夫、私はちゃんと出来る。

 私は一歩前に出て、スマホに打ち込んだ文章を全選択し、読み上げを再生した。

「改めまして私は佐藤真白といいます。今日は部活が長引いて普段の時間よりも遅くなり、疲れていた私は電車に乗ると同時に眠ってしまいました。」

 最初に水瀬さんに書いて伝えた内容と殆ど同じで、目覚めた時に握っていた拳銃の事は伏せた。それから帰りが遅くなった事や私が喋れなくなった事は私がイジメに合っている事に繋がるため、部活だと少し嘘を混ぜた。家族にだって話したくないイジメの話を、さすがに会ったばかりの人達には言えない。そんな風に少しだけ改変しつつも、大きく事実と異ならない程度にして、目覚めてから今に至るまでの経緯を機械的な音声が淡々と読み上げていった。

「それから起きた時に男性が正面の座席に座っていて、リュックを抱えながら眠っていると思ったら、列車が緊急停車して、その衝撃で男性が床へと倒れて、死んでいるのだと分かりました。私は思わず驚いて尻餅を付いて、その音を聞いた水瀬さんがやって来て、手に文通する形で意思を伝えて、その後に片桐さんと合流して今に至ります。以上で私の話は終わりです」

 数十秒だろうか、数分は経っただろうか、抑揚の無い機械音声が静かな車内にゆったりと流れる。機械音声だからか水瀬さんをミズセさんと変な読み間違いしてしまい、その度に私は背中にポツポツと嫌な汗が湧き出るのを感じた。

 私の話が全体に浸透するまで若干の間が空いた後、

「質問があります」と小林さんが手を挙げたので私がスマホを構えると、小林さんは手で制して「YesかNoかで答えられる様な質問だからスマホは使わなくも大丈夫です」と言い、「佐藤さん自身は起きた時に何か変わった事とかありませんでしたか?」と続けて尋ねてきた。

 私は首を横に振って自分の身には何も無かった事を小林さんへと伝えた。

 確かに小林さんの考えた通り、単に男性のみが被害に遭い、同じ車両で無防備なまでに眠っていた私は何故か犯人に狙われずに無事だった事は未だに不思議で分からない。それに加えて、眠っている間に拳銃という凶器を私に握らせるなんて正しく変な事ではあるのだが、さすがにそこまで言ったら真っ先に疑われてしまう。

「他に、佐藤さんへ質問のある方は居ますか?」

「あっ、じゃあ1つ良いかな」

 小林さんの提案に豊本さんが手を挙げた。

「ふと気になった事なんだけれど、普段の学校とかお家でのコミュニケーションとかどうしてるのかなって」

「確かに、今時スマホを持ち歩かないのも珍しいですよね……」

 豊本さんの私への問い掛けに飯塚さんが賛同する。

 確かに、今時スマホを持ち歩かない女子高生は珍しいだろう。豊本さんが教えてくれた読み上げ機能を使えれば、かなり円滑なコミュニケーションが取れるのも確かだ。

 しかし、それを私を虐める彼女達が黙って見てる筈はないだろう。すぐにスマホは隠されるか、水没させられるか、破損させられるかだ。だから私はスマホは持ち歩かず、家に置きっぱなしなのだが……。

 どうしよう、余りイジメの事は言いたくない。

 しかし、今ここで鞄を開けて普段のコミュニケーションツールである手帳を取り出そうものなら、その際に鞄の中の拳銃も見えてしまうかもしれない。

 乗客全員の視線が私に集められたまま、静寂が生まれる。私自身、何をどう上手く伝えようかと思考が止まって、身体を硬直させたままスマホの画面をじっと見つめる事しか出来ない。

「真白さん、大丈夫ですか?」

 水瀬さんが私に向かって微笑んだ。

 その笑顔を糧になんとか私は無い知恵を振り絞って、今日は偶々家に忘れてきてしまったと豊本さんの質問に答えた。

「そっか、なんか無理に聞いてごめんね……」

 豊本さんが気を遣って私に謝る。

「んで、とりあえず全員の紹介は終わった訳だが、どうするよ?」

 角田さんが場を切り替える様に少し大きな声で片桐さんと小林さんの両者に問い掛けた。当然、死体を確認しに行くんだろ、とでも言いたげな口調だが、皆言葉に詰まって、次の発言は中々生まれて来ない。

「仮に死体を見に行くとして……」と静寂を断ち切った水瀬さん。

「私と真白さん、そして片桐さんはもう一度見に行った方が宜しいですよね?」

「はい。状況の確認も兼ねてますから、一度でも目撃した人には、再度確認して欲しいですね」

 小林さんがその上で確認したい方は居ますかと乗客達に尋ねた。

「勿論、俺は見に行くぜ」と角田さんが言う。

「わたっ、私はその、遠慮しておきます……」飯塚さんは小さな声で否定した。

「僕も一応遺体の確認をしておきたいけど……」と豊本さんは言ったが、車椅子の母をどうするか決めかねている様だった。そんな豊本さんの様子を汲み取ってか、飯塚さんが「なら私が見ておきますよ」と答えた。

 しかし、豊本さんは顎に手をやってうーんと考えながら、

「でもさ、もしも殺人の犯人がまだこの電車内に残っていて、僕達が分断したのを見計らって襲って来たらどうする?」と声を低くして言った。

 豊本さんのその言葉で、私は思わず車両間を隔てるドアへと視線を向けてしまった。勿論何も写ってこそ居ないのだが、ひょっとすると犯人が今も尚、扉を隔てた向こう側でじっと息を殺し、此方の反応を待っているかもしれないのだ。

「じゃあ俺は一旦残るわ。車掌さんらが見て戻って来た後で、俺も見に行く」

 こう見えても腕っ節には自信があるんだと角田さんは肩と首をポキポキと鳴らした。

「じゃあ、一先ずお願いします」

「おう任せとけ。変な奴が襲って来たら、返り討ちにしといてやるよ」

 その変な奴が角田さん自身かもしれないのだが、それを言ってたらキリが無いだろう。この中で怪しく無い人物の方が少数だ。

「では、豊本さんのお母様と飯塚さんと心ちゃんは角田さんに見てもらう形で此処に残って頂いて、他の方達は見に行きましょう」

 場の空気を切り替える様に、そう言って小林さんが立ち上がるのに合わせて、他の皆も同様に座席から立ち上がった。

「私が先導して行きますので、次に片桐さん。その後ろから水瀬さんと佐藤さん。最後に豊本さんの順で行きましょう」

 では開けます、と小林さんが車両間を隔てるドアに手を掛ける。ドア前に立つ小林さんの丁度腰から上半分は透明なアクリル板のようになっており、向こう側がきっと透けて見える筈だ。という事は既に小林さんにはあの光景が見えているのかもしれない。私の脳裏にも最初の光景がよぎった。血塗れの男性。身体には無数に空いた穴。そして未だに手に残る拳銃の重さの触感。

 お腹の奥の方で、何かが蠢くような感覚が襲った。ヤバい、ひょっとすると、ひょっとするかもしれない……。

 しかしそんな私の意思は当然誰かに伝わるなんてことは無く、小林さんは此方の車両側のドアを開け、車両と車両を繋ぐ空間へと入り、そしてもう1枚のドアを開けた。

「うっ」と言った声が男性陣から漏れ出した。2重扉のおかげか、移動した車両先では気にならなかった鼻をつくような異臭が扉を開けて流れてきたのだ。しかし、それに臆する様子を見せる事なく、小林さんはそのままカツカツと進んでいった。

 続けて嫌そうな顔を浮かべながらも片桐さんが続き、私は体調の不具合を感じながらも、死体が転がっているであろう床下からなるべく目を背けながら、慎重に水瀬さんの手を引き、そうして最初に自分が乗っていた車両へと戻って来ると、最後に豊本さんが入って来た。

「片桐さん、それと佐藤さん。此方の現場は事件発生の時から変わってないでしょうか?ご確認をお願いします」小林さんが言った。

「俺は最初と変わりないと思うけど……」と片桐さん。私にも確認を仰いでいるようだったが、私は未だに床下の男性を直視出来ていない。

「真白さん、大丈夫ですか?」

 水瀬さんが優しく私を気遣ってくれる。大丈夫、これ以上他の人に迷惑は掛けていられない。そう言い聞かせるように、私は息を深く吸って吐いてを繰り返して、気持ち悪さを誤魔化す。

 意を決して、床下の男性を見つめる。

 うつ伏せに倒れた男性が視界に写る。

 最初に見た時と同じで、男性の背中には幾つもの穴が空いており、その付近から滲み出したのか身体の至る所が赤黒く、最初に座っていた座席と床も同様に染めている。

 お腹の奥から吐き出さない様に、手の震えを押さえながら、私はなんとかスマホに最初の状況と特に変わって無い事を入力し、機械音声に読み上げさせた。

「これは、酷い……」

 言葉にならない言葉を絞り出すように、豊本さんが呟いた。明らかに普通ではないその光景によって優しげな顔立ちも今では顰めている。

「……これが先程佐藤さんが話していた、この男性の持ち物でしょうか?」と小林さんが床に転がったリュックを指して尋ねた。私はそれを無言で頷き返す。水瀬さんと繋いだ手の温もりが私を何とかこの場へと踏み留めてくれてはいるが、さっきから指先の細かな震えが治らない。

「随分と大きなリュックですね」

 小林さんが片手で持ち上げようとするが、リュックの大きさもあってか、引き摺ってしまいそうだった。

「念の為、中を確認しますか。片桐さん手伝って下さい」

 呼ばれた片桐さんは遺体とその周辺の血に触れないようにと、跨ぐように近づいてリュックを掴んだ。

「せーのっと」

 片桐さんと小林さんが2人がかりでリュックを血痕や死体のなるべく無い場所へと運んだ。

「中……何入ってんだ?」と片桐さん。

 私はもう既に嫌な予感がしていた。そんな私の手の震えを抑えてくれようと、水瀬さんが優しく両手で包み込んでくれていた。しかし、震えと気持ち悪さは治らない。

「……開けます」

 小林さんがリュックのジッパーに手を掛ける。ゴクリと誰かが生唾を飲む音が聞こえた。

 小林さんがジーッと音を立ててリュックを開け切ると、ゴトッと何かが床に転がり落ちた。

 それは黒々と鈍く光っており、まるでこの世の物では無いかのように禍々しさを放っていた。

「拳銃だ……」

 そう片桐さんが呟くと同時に、私は膝から崩れ落ち、気持ち悪さの余りその場に嘔吐してしまった。

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