第5話

 水瀬さんの言葉は爆弾のように投下され、爆心地と化した車内は一層冷たさと重さを増し、もはや暖房が効いているのかもよく分からないほど薄ら寒い空気に包まれていた。

 外の雪は変わらずに降り続いており、車内の音まで吸い込んで、淡々と車窓から見える景色を白く染めていく。

 水瀬さんが自身の紹介と喋れない私を補足する形で語り終え、形式的に次の発言者は誰がやるんだと顔を見合わせて静まり返っているといった状況下だ。皆この中の誰が殺人犯なのか、睨み合って牽制し合っているのが空気越しに肌へと伝わって来る。

 私は今のうちに水瀬さんの言った発言をもう一度深く考える。

 この中の殆ど全員が、誰にも目撃されずに殺人を実行する事が可能である。

 この中の殆ど全員が、と水瀬さんは言った。

 ではその殆ど全員に入らない人物、殺人の実行が出来ない人は誰か。

 すぐに3人が浮かんだ。水瀬さん、女性が連れている小さな女の子、そして車椅子の老婆だ。

 だがここで補足すると、水瀬さんは死体を直接見ていないから凶器が拳銃という事を知っているのは私だけだ。

 拳銃を使う……そうなると益々分からなくなる。

 水瀬さんは目が見えていないため、そもそも狙いを定めることがまず難しい。眠っているとはいえ、男性をあんな風に殺すのは難しいだろう。

 では、少女や車椅子の老婆は拳銃でなら殺人は可能だろうか?

 いや、そもそも拳銃のちゃんとした使い方なんて私は分からないし、それを少女が知っているとも考えにくい。

 そんな風に悶々と考え込んでいると水瀬さんが

「皆さん、警戒させてしまったのであればすみません。ですが、まだ不確定な事だらけですし、犯人が居ないケースもあり得ますから」

 だからどうか自己紹介を続けて下さい、と今度は冷え切った車内を温めるかのような優しげな口調で言った。

 そうだ、そもそも水瀬さんはこの中に犯人が居るかもとしか言っていない。

 犯人が殺人を実行して、手前の途中駅で下車したかもしれない……というか冷静になって考えてみれば、殺人を犯したのなら次に考えるのは逃走だ。列車内に残り続ける方が不自然な気がする。

 そんな風に悶々と考えていると

「あの……ちょっといいかな」と若い男性がおずおずと手を挙げた。車椅子の老婆を補助していた人だ。

「やっぱり第一発見者の彼女に話してもらうってのはどうですかね」

 他の乗客達に投げ掛けるように男性は言った。

「話してもらうって、どうやって?」

 サラリーマンの男性が聞いた。苛立ちは治っているようだったが、どこかぶっきらぼうな言い方で攻撃的な印象は残っている。

「実は思い付いた方法があって、ちょっと試したいんだけど……」

 そう言いながら男性はポケットからスマートフォンを取り出して画面を少し操作し、ロックを解除した状態で私の前へと差し出した。

「アプリのメモ帳から読み上げ機能を使用すれば、君自身の言葉で話が聞けないかなと思ってね」

 そう言って男性は私に使い方をレクチャーしてくれた。スマホに不慣れな私は苦戦しながらも教わったやり方通りに文章を入力し、画面を長押しして文章を全選択、すると吹き出しが出てくるのでそこからコピーやペーストといった機能の中にある読み上げを選択する。

「スマホありがとうございます」

 変な抑揚の機械的な女性の音声が流れた。

「これなら君も喋れるんじゃないかな?」

 男性はゆっくりでいいから、と私が文字を入力する時間を作ってくれて、その間に自身の紹介を語り始めた。

「じゃあ、えーっと、彼女が入力している間に簡単な自己紹介って事で、僕は豊本明っていいます。今日は母の検査で病院まで連れてって、その帰りで今に至るって感じです」

 低く良く通る声で、しかし威圧感を感じさせない柔らかな物腰で男性は語り始める。

「母の長美はアルツハイマー病を患ってて、今はこうして大人しいですけど、薬が切れるとヒステリックになりがちで、それで定期的に病院で検査と処方箋を受けてて……」

 豊本さんの言葉通り、母こと長美さんのは未だに一言も発したりせず、車椅子で微睡んで眠たそうな表情を浮かべてたまま、息子の明さんの話を黙って聞いているのだった。

「列車が停まった時はこの車両よりも大分後ろの方に居て、そこの小林さんに集まってくれって言われたからこの車両まで移って来たってところかな」

「小林さんに呼ばれたその時は、どなたかご一緒でしたか?」

 豊本さんが簡潔に語り終えると同時に、水瀬さんが聞く。

「あぁ、えっと、そこの彼女とその子が一緒だったな。その後で、そこの男性を僕の時と同じ様に呼び掛けてここまでって感じかな」

 豊本さんの答えにありがとうございます、と水瀬さんは丁寧に返す。

「あと他に豊本さんへの質問は無いですか?佐藤さんはどうでしょうか、打ち終わりましたか?」

 と小林さんが私に聞いてくる。しまった、話に夢中で全然書けてなかった。私は申し訳なく首を横に振った。

「それなら次の紹介をどちらかお願いします」と小林さんが残りの2組を交互に見合わせる。

「あの……じゃあ私から」

 おずおずと手を小さく挙げたのは、女の子を連れた女性の方だった。

「私は飯塚聡美っていいます……。この子は私の娘で、心っていいます。ほら心、挨拶して」

 終始おどおどと、自信なさげな口調で飯塚さんは語り、娘といって紹介された心ちゃんも恥ずかしがり屋なのか母の聡美さんの服を小さく掴んで、顔を隠す様にして、くっ付いていた。

「すみません、随分と臆病な子でして……。えっと、今日はこれから私とこの子で母の家に行こうかなと思って電車に乗っててですね……。それで電車が止まってからは、小林さんに連れられて、ここに居るといった感じです……」

 静かに語り終えた飯塚さんは挙動不審な様子で、いつ自分の方へ質問の矢が飛んで来るか身構えている様だった。

「質問は、無さそうですね」

 小林さんが場の空気を読み取り、次はどちらにしますかといった視線で私とサラリーマンの男性を交互に見比べた。

 まだ私は打ち終えていなかったので、チラリと男性の方を見た時だった。

「あっ、あの……」

 そこで小さく手を挙げたのは意外にも、たった今紹介を終えたばかりの飯塚さんだった。

「皆さん……だいぶ冷静ですけど、ほっ、本当に殺人があったんですか?」

「…………」

 若干の沈黙。それもその筈で、死体を実際に見たのは私と片桐さんだけであり、私はまだ正式には語っていない。片桐さんも死体を見たとは言ったものも、殺人を裏付ける程の決定的な発言をした訳ではないのだ。

「まだ私達は遺体を見ていないので、本当に殺人かどうかはまだ明らかではないですが……」

「少なくとも事故ではない、と私は考えています」と小林さんの言葉に対して水瀬さんが返す。それは確かなのかと飯塚さんが水瀬さんと私へ戸惑った目線を送ってくるので、私は頷いて、受け入れ難いけれど事実なんですといった視線を送り返した。

「おっ、俺も見ましたけど、あれは事故とかであんな風になる様な見た目じゃ無かったですよ」

 途切れ途切れで振り絞った様な口調で片桐さんが言い、思わず想像してしまったのか、たちまち飯塚さんの表情は青ざめていく。

「一旦、その死体を全員で確認すべきだと僕は思うんですけど、どうでしょうか?」

 豊本さんが穏やかな声で提案するも、小林さんは首を横に振った。

「下手に見に行けば、隠蔽工作でもしてるんじゃねぇかって疑われるだけだろ」

 サラリーマンの男性が豊本さんに対して強めな口調で言い、静止を促した。

「ともかく、パニックになっていても何も解決しません。今は皆さんの自己紹介も兼ねた状況報告を優先して、各自の情報の正確性を高め、共有していきましょう」

 小林さんは場を切り替える様に言いながら、片桐さんを肘で突いた。

「だから、いつまでもウジウジしてないでシャンとして下さいよ」

「だってお前が仕切るからよぉ」と片桐さんはため息を吐きながら、渋々といった態度で進行役を小林さんと交代し、小林さんはそっと座席に腰掛けた。

 その様子が少し可笑しくて、ほんの少しだけ車内の空気は緩み、飯塚さんの表情もほんのちょっと色味を取り戻していた。

 窓から見える景色が未だに白さを増していく中で、私達は雪溶けの様に少しずつ時間を掛けて、徐々に打ち解け始めていた。

 本当に殺人なのか、何時になったら連絡がつくようになるのか、殺人なら誰が犯人なのか、それらを考えないようにして、束の間の暖かさに包まれていたのだった。

 ただ1人、水瀬さんだけを除いて。

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