第4話

 犯人はこの中に居る。

 そう切り出した水瀬さんの言葉に、私以外の乗客達は皆、驚きの表情を浮かべていた。

「あの……それって本当に殺人だったんですか?さっきの揺れで起こった事故とかじゃなく……」

 車椅子の老婆を支える若い男性が水瀬さんに尋ねた。

「残念ながら私は目が見えないので実際に確認はしていないのですが、彼女が目撃した情報だと事故ではなく、何者かによる殺人が起こったのではないかと私は考えています」

 水瀬さんに紹介される形で、乗客の視線が一斉に私の方へと向けられる。

「そこの君が第一発見者ってこと?」

 私は男性の質問に頷いた。全員の視線が私に集められたまま若干の間が空く。皆、私から次の言葉が来るのではと待っているのだ。

 私は恥ずかしながらもジェスチャーで喉を指差しした後に両手でバツを作って自分が喋れないことを伝えた。

「あぁ、君、喋れなかったのか」

 すまなかったね、と男性が申し訳なさそうに小さく謝る。他の人にも私が喋れないことが伝わり、皆一応に納得して悪い事をしたような曖昧な表情を浮かべた。

「チッ、電波も通じねぇし、どうなってんだよ!」

 変わらず貧乏揺すりをしたまま、スーツ姿の中年男性が大きな声で喚いた。

 男性の大きな声に怯えて、小さな女の子は母親の女性へと擦り寄る。

 私はスマートフォンを学校には持って通学しないため直接確認は出来ないが、どうやら圏外の様な状態になっていて通話も連絡も出来ないみたいだ。

 あれ?これってひょっとして結構ヤバい状況かも?

「恐らくこの降雪の影響で電波障害が発生してるんですよ」

 だからスマホも無線機も通じないんでしょう、と車椅子の老婆を補助する男性が、私同様不安な表情を浮かべる乗客達を宥めるように優しげな口調で返答した。

 その男性の返しを唯一ムッとした表情で受け止めた中年男性は、フイッと顔を逸らして貧乏揺すりを益々加速させる。

「一先ず、現状を確認し合う為にも皆さん自己紹介をしましょうか」

 若い女性車掌が話題を変えようと提案した。

「その流れでこの列車に乗ってから事故が起こり、急停車した今までの行動を教えて下さい。後で警察に聞かれた時にも答えやすいでしょう」

 後で警察に聞かれる、といった言葉で場の空気がピンと張り詰めるのが分かった。だが、この時点で既にアリバイ聴取なのだと私は心の中で身構えた。

 だって実際この状況下で一番怪しまれるのは私だ。第一発見者にして凶器かもしれない拳銃を持っているのだから。でも私は本当にただ眠っていただけで、絶対に見ず知らずの男性を殺したりなんかしていない。ましてや私は銃の使い方だってまともに知らない。つまり水瀬さんの言っていた事が正しければ、この中の誰かが私に罪を被せようと、眠っている間に拳銃を握らせ、そのまま現場を後にした人が居るという事だ。

 張り詰める場の空気で若干の気まずさを増した中、ではまず私からとさっきの若い女性車掌が片手を挙げて名乗り始める。

「私は小林といいます。後方車両側の車掌担当をしていました。列車が停車した際には前方車両側の担当である片桐さんと連絡を取り合い、その後は乗客皆さんの安全確認を行いながら今に至るといったところです。なので殺人かもしれないという事を片桐さんから一通り聞きましたが、まだ直接死体は確認しておりません」

 礼儀正しく、それでいて簡潔に女性車掌こと小林さんは語った。

 小林さんは見た目からも真面目で冷静沈着といった印象が伝わってくる容姿で、黒い髪を後ろで1つに結び、見た目は水瀬さんよりも少し年上の様に見えた。

 そんな小林さんから、ほら次やって下さいよ、と肘で突かれる形で今度は男性車掌がおずおずと名乗り始める。

「えっと……俺は片桐っていいます。想像以上の雪でパニクっちゃって、それで事故っちゃいました……。すみません!すみません!」

 終始目をギョロギョロと泳がせながら片桐さんは語り、頭を2回深々と下げて乗客全員に対して謝った。そんな片桐さんが頭を振る度に、もじゃもじゃのパーマヘアはうねりを増していった。

「んで、殺人についてですけど、死体は一応見ました……。ただ俺は当然運転してましたし、俺が見つけるよりも先にそこの2人が先に居ました」

 だから俺は犯人じゃないですから、とずれた眼鏡を直しながら片桐さんが訴え掛ける様に語るので、他の乗客達の視線は再び私と水瀬さんの元へと集められる。

 私達も犯人じゃないです、と一言でも言えたらどれ程スッキリするだろうか。そんな喉元で痞えている私の葛藤を汲み取ってか、水瀬さんが繋いでいた私の右手を優しく握り、小声で大丈夫ですよ、と囁いてくれた。私もそれに応えるように握り返すと、水瀬さんは凛とした声で語り始めた。

「確かに私達は片桐さんが到着するよりも前に現場に居ました。ですが、私もこちらの彼女、佐藤真白さんも犯人ではありません。……申し遅れました、私は水瀬小雪といいます。後天性の病の影響で視力を失い、今はもう殆ど見えていません」

 そう言って水瀬さんは肩にかけた小さなポーチから手帳を取り出して、乗客全員に見せるように掲げた。手帳は紺色の装丁に金色の字体で『障害者手帳』と書かれている。

「列車が停車した時、私は正にちょうどこの車両に居ました。少しするとドンっと大きな音が隣の車両から聞こえたんです。私は誰か怪我をしたのではないかと思って音の鳴った方に移動しました」

 水瀬さんの言った音というのは、恐らく私が腰を抜かして尻餅ついた時の音だろう。今でもジンジンと痛む腰付近を私は左手でさする。

「そこには既に真白さんがいらっしゃいました。真白さんは列車が停車するまで眠っていたとの事で、目を覚ましてすぐ死体があった事でパニックになっていました」

 水瀬さんの語るつい数分前の事を思い出そうとすると、脳裏に焼き付いたあの死体の映像がフラッシュバックしてチラついた。

「それからはこうして手に文字を書いてもらう形で私と真白さんはコミュニケーションを取り合い、あとは前方車両の方から来られた片桐さんと出会い、今に至ります」

 ご清聴ありがとうございました、と丁寧に付け加え、話終えた水瀬さんに早速質問が飛ぶ。

「水瀬とか言ったか?アンタの話じゃ、その喋れないソイツが犯人って事になるんじゃねぇのか?」

 と収まりきってない苛立ちからぶっきらぼうに、サラリーマンの男性が言った。私はその睨む様な視線で固まってしまう。

「確かに真白さんは第一発見者ではありますが、

 犯人であるとはまだ言い切れません」

 水瀬さんがキッパリと言って、私の事を庇ってくれた。しかし、男性の追求は続く。

「……言い切れないってのはどういう事だ?」

「私は当初、今皆さんの居るこの車両に居ました。他に誰か居たかもしれませんし、居なかったかもしれません。そして真白さんは隣の車両で眠っていたのです」

「だからそれが何だって言うんだ?」

「仮に第三者がこの車両を通って隣の車両へ移っても、誰も目撃出来ないという事です」

 その水瀬さんの言葉で、サラリーマン男性の次の言葉は喉奥に詰まって出て来なくなった。

 そうかと私はようやく理解する。

 水瀬さんが言いたかった事はつまり

「つまりこの中の殆ど全員が、誰にも目撃されずに殺人を実行する事が可能なのです」

 水瀬さんの言ったその言葉は雪のように冷たく、車両内に沁み渡るように淡く消えていった。

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